くさび(2)

 炭鉱の町を出てから二日。

 汽車の終着地点の町に近づき、数キロ手前で車を乗り捨てた。地下坑道か山道を歩くか。揉めた二人はコイントスにして互いの行き先を選んだ。珍しいことではない。コインは裏の町へ続く山道を指した。

 セタは平静を装い路地裏を歩いた。

 東州と南州をつなぐ鉄道の終着地ザティーレ。汽車が行き着く先ならばここしかない。ロゼは老婆にフィンを投げ渡したと言った。途中の下車駅は、人が、ましてや老婆が住めるような町はない。このザティーレに賭ける他なかった。

 素性不明の子どもをどこに連れていく? セタは生まれて初めて老婆の思考を考えた。

 この町は比較的治安が良いらしく、人攫いや臓器売買の陰りは一切ない。

 いや。普通ならば老婆は急に手渡された子どもを売り飛ばすことはしないだろう。

——だめだ、わからん。

 セタは病院、孤児院を訪ねたが見つからず、一片の情報すら出てこないまま、疲れ果てて路地裏に座り込んで一服した。すでに半日が過ぎている。別行動をしたロゼの進捗も気になる頃だ。

——腹減ったな。

 セタは三階建ての建物の間に紐で交差して、ぶら下がっている洗濯物を見上げていた。

「そこのあなた」

まだ若い男の落ち着いた声。冷静な声の主は一目見ただけで紳士らしさを感じた。長い黒髪を束ねて、白い装いをしている。教会の人間だ。肌は病人かと疑うほどに白い。

「何ですか? お若い神父様」

セタはにこやかに笑った。神父は感嘆の声を上げた。どうやら神職に間違いないらしい。

「あなたはこの町の人ではないですね? どなたかお探しですか?」

なるほど疑っているわけだ。セタは「お気になさらず、と」いつも通り飄々とした男を装い、その場をやり過ごそうとした。無駄に丁寧な物腰は、ほんの数秒のやりとりでセタは辟易してしまう。

「あなたは、ヘミスフィアの人間ですか?」

背筋が凍りついた。まだ男の視線が背にへばりついている。

「いや。俺は東州と南州の雑種でね。戦争が終わるまでここにいようと思いまして」

 いつもの適当な嘘だ。

「ごまかさなくても結構ですよ」

男はにこにこと屈託ない笑顔だ。

「お話があるのです、あなたに。場所をかえましょう。もうすぐ雨が降りますから」

神父は長いローブを引きずりながら、路地裏のさらに奥へと案内した。

 罠か。

 この手合いは下手に断れば厄介なことになりかねない。セタは内心舌打ちをしてその神父の後をついていった。


 ステンドグラスをあしらった木造建築の教会。白塗りのそれは歴史を思わせるやわらかい色をしていて、注ぎ込む光は鮮やかな色が美しく染めていた。中をちらりと見ただけで、神父はセタを、教会の片隅にある屋根付きの中庭に連れて行った。戦時下であるのに、庭には色とりどりの花があった。どれもきちんと手入れされているようだ。

「さあ、どうぞ」

差し出されたのはガーネット色の紅茶。このご時世には珍しいしゃれたティーセットに、角砂糖まである。神父はこれまた上品にティースプーンで音を小さく鳴らして砂糖を混ぜている。

「それで、話ってなんだ?」

神父はカップをそっと口から離してセタの目を見た。品定めをする、値踏みをする目だ。腹の読めない相手にセタは眉間にしわを寄せた。目はそらさずに睨み返した。

「私は以前あなたを見たことがあるのですよ」

「——っ」

セタは思わず立ち上がり退いた。発言ではなく言語に。

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