白の贈り物(4)


「ロゼ、君は恋をしたことはあるかい?」

「国民の兵力たる次世代の国民を生む義務はヘミスフィアに生まれた女に課せられたものだが、未だ国からの命令は出ていない」

「そういうのではなくて、こう、相手を見た時にきゅん、と胸が苦しくなるような、甘酸っぱいものだよ」

「薬か?」

「ちがうよ! 全くちがう! 君は心臓を一発で射抜けるくせに、異性の心を奪う術を知らないんだから!」

「何が違うんだ」

「全てちがうね! いいかい、恋っていうのは、この人を大切にしたいとか、独り占めしたいとか、ゆくゆくはこの人の子供を産みたいなって自発的な感情のことさ」

「……お前の言うことは難しすぎる」

「今は分からなくても、いつか分かる日が来る。その日が来たらぜひ僕に教えてくれ」


 亡き友人の言葉も、言葉の意味も未だ分からない。残された疑問だけがロゼの頭にこびりついていた。結局、シャルルが死ぬ前に伝えられないまま、数年を費やした。

 この命が尽きるまでに、理解したい。

 そうしてロゼは、白い子どもを抱えながらも引き金を引き、闘う。

 この小さな命を、亡き友人のためにも、守ろうと心に決めて。


 炭鉱の町で三日間潜伏した。

 宿屋の宿泊代が財布に優しいこともあったが、日雇いの仕事を見つけたことが大きかった。研屋である。炭鉱から取れた鉄を溶かし、棒状になったものを仕入れ、金物を作るのだ。観光地としては栄えられないこの町にとっては、金属の副産物は大事な収入源だ。そこかしこに工房が並び、雇われるのには時間がかからなかった。町の中では小さいうちに入る工房で、運良くナイフを研ぐ仕事を任され、刃物の扱いに慣れたセタにとっては当たりであった。

 至る地域からの出稼ぎ労働者を雇う炭鉱の町では、出自や経歴は不問。腕さえあればいいのである。セタはエドガーと名乗り、田舎出身の放蕩者を演じた。

 鉄を溶かす炉の熱、鉄を鍛える槌の音。

 その奥で、この二日間セタは鍛えられた鉄を鋭利にするため研ぎ師として働いた。

 セタが汗を流して生活費を稼ぐ一方で、ロゼはフィンと共に町を離れる準備を整えていた。炭鉱の町は都会に比べれば寂れているものの、金属物を欠かさない。戦時中の今は安価に十分な銃弾を入手できたのだ。

 我ながら呑気な生活を送っているものだと呆れてしまう。

「ロゼ、あとでセタのところ行こう」

「名前で呼ぶな」

「でも、ロゼはロゼだよ?」

「……」

 フィンは首を傾げ、そしてロゼに耳打ちをした。

「じゃあ、お母さんは?」

「——悪くないが……」

 決まりだね、とどこで覚えてきたのかフィンは楽しそうに、回転スキップをした。

 日が落ちた頃、工房から出てきたセタをフィンは迎えに行った。小さな屋台が並ぶ広場で、ロゼが干し肉を買いに行っていったらしい。ここの町の料理は正直質素なものが多いが、肉料理は香辛料が効いていて、絶品だったのだ。

「おう、フィン。今日はこの町は最後だから、ごちそう食べようぜ!」

セタは汗を拭って、ポケットにあったサイコロを取り出した。

「そうだ、『とばく』はしちゃだめだよってロゼが言ってたよ」

 投げたサイコロを拾い損ね、フィンが拾うために地面にしゃがみこんだその時だった。

 セタの目の端でギラリと何かが光った。

「——っ、フィン、よけろ!」

 セタは咄嗟にフィンを路地へ投げたが、自身は間に合わなかった。銃弾がセタの左腕を貫通したのである。

「セ、セタ!」

 続いて、二発、三発の銃声が響き、広場は騒然とした。町民は一斉に逃げ、家屋の中へと非難していく。

 セタの目に後方、前方の屋根、ライフルを構えている男たちが映り、腕を抑え死角となる屋台に滑り込んだ。広場を挟んだ反対側にある黒と白の影。

分断されたロゼとフィンの姿を見とめると、口を動かし伝えた。

——逃げろ。

「——くそっ。フィン、行くぞ!」

 ロゼはセタを一瞥し、鉱山の方へ走った。

「ロゼ、セタが!」

「黙ってろ!」

あれは賞金稼ぎではない。あいつらは大雑把ではあるが、民間人を巻き込む場所では発砲してこなかった。あの統率の取れた動き、町中で発砲する躊躇いのなさで確信した。

——やはり奴らか!

 祖国と呼ぶべきヘミスフィアの軍人。

 異国の民間人への被害も問わない前に姿を現す大胆不敵、いや傲慢不遜な強行手段。

 予想が確信へと変わった。

 足を、思考を止めている場合じゃない。

 汽笛が鳴る。ロゼは迷わず音がする方へ走った。

「ロゼ、戻らないと! セタがこのままじゃ」

 蒸気を上げて、汽車がまさに駅を離れようとしている。ほんの数秒でいい。時間を稼がなければ間に合わない。

「フィン、お前だけでも先に乗れ!」

「や、やだよ! 僕もセタを待つよ」

「言うことを聞け!」

「やだ!」

「——っ」

 アメシスト色のこの目に見つめられれば、本能に負けてしまいそうになる。

 ロゼは歯を食いしばり、フィンの小さな体のみぞおちに拳を入れた。

 くたり、となった小さな体を抱えながら、ロゼは何度も心の中で謝った。

 ごめん。

 汽車は加速する。背後から迫ってくる足音でロゼは悟った。このままではフィンを逃すことはできない。

 駆け出したロゼの目に飛び込んだのは、窓を閉めようともたつく老女。迷っている暇はもうないのだ。

「——この子を!」

「——え?」

「お願い!」

 困惑した老女は、車窓から滑り入れられた白い子どもの重さに、座席へひっくり返った。

この世の者とは思えない無垢な白い子どもに、老女は息を呑んだ。

 それを託した黒髪の女が、銃弾の雨の中へ駆けていく姿が、窓から見えた


——あの時、車窓が開いていなかったら、僕たちの未来は大きく変わっていただろう。


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