花の名前(3)


 ロゼ程正確ではなくとも、セタには銃には多少なりの心得があり、動く敵に当てることはできた。二人の脛と肩に命中させた。追っては来られないだろうが、遠くから狙撃したスナイパーの位置が分からない今、挟み撃ちを避けるためにも相手の足を削っておかなければならない。セタは待ち伏せをして、あと二人ほど仕留める。そのつもりだった。

 近くでも、自らの手元からでもない銃声が響き、心臓が跳ねた。

 先行させた二人を目で追えば、ティクシ川を架ける未完成の名もなき橋に、黒髪の女が白い子どもを抱えて橋の上へ上へと逃げている。その後を猛追する男たちにロゼは銃弾を当てられずにいる。フィンが動けず、得意の斥力が使えない今、銃弾が当たる可能性は十分にある。

「——ロゼ、フィン!」

 セタはなりふり構わず二人の方へと走った。

おかしい。そもそも今まで賞金稼ぎたちの追尾はこんなにも統率は取れていなかった。懸賞金の分け前を重視するため、徒党を組んだりやたらに増員したりすることはない。

だからという訳ではないが、正直セタは彼らの手には一生かかっても捕まるまいと高をくくっていた。

しかしそれが今日、このタイミングによって彼らの追尾、統率力が格段に上がったのだ。これではまるで………。

——軍隊そのもの。

 セタは背筋が凍った。

 拳銃ではない、ライフル独特の発砲音。それがロゼから放たれたもので、彼女は焦りながらも冷静に、複雑に組み立てられた橋の足場を巧みに利用し、死角から敵を排除していく。

「急げ、セタ!」

 活路が開かれた。セタはロゼの後を追い、足場の梯子を上り、最後にはそれだけ崩していく。

 遠くから聞こえる船の汽笛。銃声の威嚇音がまたも響いた。奴らは真下にまで迫ってきている。

 未完成とはいえ、足場はティクシ川の中心にまで支柱がある。つまり今まさに船着き場を出発しようとしている船にタイミングを合わせれば降り立つことができるはずだ。

「っ、ロゼ!」

「銃弾が許す限り奴らにお見舞いしてやる。フィンを放すんじゃないぞ!」

 ロゼはぐったりとしたフィンを背中へ移し、セタから拳銃を奪い、足場の隙間から的確に敵に銃弾を突き立てた。

 まだか、船はまだ来ないのか。

 たかが十数秒だというのに、こんなにも長く感じるとは。

「セタ………ごめん、僕『やくただず』だ」

 熱でぼんやりとした言葉で、目を伏せながらフィンは呟いた。

「どこで覚えたそんなくだらない言葉。二度と使うな。舌噛まないように黙ってろ、行くぞ!」

合図で、ロゼは煙幕を投げセタに続いた。宙に身を投げた三人の体は灰色の粉に包まれ、それでもセタには分かった。奴らの銃口はこちらをしっかりととらえている、と。

 


 

酒屋のライナスは、強張った腰と肩を鳴らして、ようやく腰を落ち着けた。

閑散期は一日に二便しか出ない船も、春祭りには休むことなく川岸を行き来する。

クルーズに楽しむ観光客も多いが、古びた船ばかりでガソリンの匂いが充満して、ほとんどの観光客が甲板に上がり、天幕の下は人で埋め尽くされていた。

「ふう、やっぱケチケチせずにトラクターで来るべきだったなあ」

ライナスはたくわえた髭をさすりながら、やれやれとため息をついた。稼ぎ時なので文句は言いたくないが、肉屋も土産物屋もライナスの呟きには同意した。

「全くだぜ、ライナス。だが祭りに関しちゃあ、懐に優しく、老骨に厳しく、だ」

トラクターだと通行料取られる上に、遠回りで祭りの開始に間に合わなくなるのだ。その点、船であれば地元民からは通行証さえあれば料金を取られることはない。

 一服しようと、ポケットを探ったが煙草はつぶれた一本しかなかった。

 ライターを点けたその時だ。

 銃声。

 猟銃や花火ではない。甲板がざわつき始めたと思ったら、今度はライナスの目の前で船に張られた雨よけの天幕に何かが落下し、積み重なった木箱を崩した。

 ライターが引火したのかと思い、ライナスは慌てて懐にしまった。

乗客の悲鳴、木箱に詰められていた転がる野菜。騒然となる甲板へライナスは駆け寄った。

「お、おいおい」

崩れた天幕からは、息を切らした男が現れた。小麦色のセミロングの髪、上着を着ていても分かる鍛えられた体。すぐに立ち上がるが、どうやら頭を強く打って脳震盪を起こしているらしい。ふらふらと覚束ない足取りでその場を離れようと体を必死に動かしている。

しかしライナスはその男の異変に気が付き、肩を掴んで止めた。尋常ではない出血だ。銃声は本物だったのだ。

「おい、あんた怪我してるじゃねえか!」

 男は恐ろしく慌て、ライナスの手を振り切った。

「女と、子どもを見なかったか? 黒髪の女と白い子どもだ!」

「その人たちならさっき、船首の方のパラソルに落ちてきたわよ」

割れ物に触れるかのように視線を送る乗客の中、親切な令嬢が男を介抱しつつ、船首へと連れて行った。

「——ロゼ、フィン」

 男はうわ言のように呟きながら船首へと向かった。乗客がさっと道を開けていく。

 横たわる黒髪の女と隣に蹲る白い子ども。二人も野次馬に囲まれていたが、男はふらつきながら、倒れるように二人に駆け寄り、気絶しているだけだと分かり、安堵の声を漏らしている。

「腕から血が出てるぞ」

 ライナスは左腕をひっぱり、男は痛みに顔を歪めた。

「俺はいい。あんた、船が停まる町に病院はあるか? 子どもが熱を出しているんだ」

この警戒心と危うさ。この男もまだ子どものようだが………。

「いいから落ち着け。熱は今すぐどうこうできるわけじゃねえ。あんたの怪我の方がよっぽど緊急性がある。見せろ」

 ライナスは男の腕を掴み、強いアルコールの酒を傷にかけた。

 先ほどの令嬢は清潔な布を手渡そうと駆け寄ったが、母親に「危ないからやめときなさい」と奥の客室に連れていかれた。まあ、銃で怪我した男を見れば当然の対処だ。

「おい、何事だ!」

 船の警備員が騒動に駆け付け、じろじろと辺りを見回して目を光らせる。ライナスは、すかさず男の血だまりに上着を投げつけて隠し、死角になるよう警備員の肩を抱いた。

「いえいえ、おかまいなく。こいつが俺の酒樽にこけちまって。ただの痴話喧嘩ですよ」

「またあなたですか。大概にしてくださいよ」

「はいはい、ご苦労様」

 ライナスはため息をついて呆れる警備員にひらひらと手を振り追っ払った。野次馬も警備員が引き下がったことで散っていった。

 さてと、と頭を掻きながらライナスは野生の獣のような男を見下ろした。

「俺は酒屋のライナス・オレガノだ。あんたらの名前は?」

 男は目も合わさず応えもせず。構うなと、ライナスの手を払った。まるで野生の猫だ。

 運が悪い男だ。町一番のお節介焼きの酒屋に見つかってしまったのだから。

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