花の名前(1)


――やあ、セタ。今日もお迎えありがとう。

――お前。何度懲罰房に放り込まれれば気が済むんだ。他国の本を闇市で買ったのか? くだらないことはいい加減にやめろ。

――そこはほら、少尉殿がこうして手を貸してくれると分かっていてやったことさ。

――仮にもあんたはこの国の発展を担う研究職員だろ。少しはリスクを考えたらどうだ。偉そうに俺に説教しておいて………。それに俺はもう少尉じゃない。

――昇進、したのかい? 

――ああ。まあ、次の上陸作戦のためにねじこんだんだろうが。お偉方の体裁さ。

――そう、か。それはおめでとう。

 あの時シャルルが、言葉では祝辞を述べながら、悲しそうな表情をした理由は何だったのか。今でも分からないままだった。



 春の終わり。

 温帯である南州にありながら、平均の標高を二千メートル超えるヌーヴェル地方は花が咲く時期でも雪雲を呼ぶ、高山気候に似た特性を持っていた。故に薄桃色の花と、白く広がる平原のコントラストはこの地域特有の景色である。「夏の雪」とこの地域の人々は呼んでいる。なるほど、青々とした空が手を伸ばせば届きそうで、白く降り積もった山々を望め、見下ろせる町には薄桃色の街路樹の道がある。季節が入り混じるこの地域は、シャルルには教えてもらっていない景色を織りなしている。

 枯れ木が立ち並ぶ、舗装された白い道の中を三人は歩いていた。近い町はこの雪道を通る他ない。

 ロゼは盛大なくしゃみを一つした。

「ロゼ、大丈夫?」

 寒さのあまりロゼは身震いした。マフラーを子どもに渡したのは失策だったかもしれない。

「どこで失くしたんだよ、まったく」

 心配をしてくれるフィンと違い、セタは呆れてため息をついている。

「じゃあ、こうしよう!」

 フィンはロゼの右手を握り、しゃがむようにせがんだ。ロゼは言われるままに、フィンの目線に合わせてしゃがんだ。

 フィンは腕を伸ばして、正面からロゼに抱き着いた。そのまま宙ぶらりんになり、ロゼに抱えられる体勢となったが、首の力だけで五歳児の体重を支えられる程、ロゼは鍛えてなどいなかった。

「ほら、あったかい!」

「お前、本当は楽をしたいだけなんじゃないか?」

 結局ロゼはフィンを抱えて道を歩いた。フィンの体は暖かく、首元の寒さなど気にならなくなった。ロゼは白い息を吐きながら進む一方で、ふう、と煙を吹かしながらセタは歩いている。セタは元々喫煙者であったが、国を亡命してからというものヘビースモーカーになった。

「わあ! 真っ白だあ!」

 誰の足も踏み入れていない、子どものひざ下くらいにまで積もった広大な雪原。昨夜降ったばかりのそれはまだ固まっておらず、綿のような柔らかさを残していた新雪だ。

「誰もいないんだな」

「こんな寂れた町はずれのところじゃあ、な」

停留所はあるが雪をかぶっているため、行き先が見えない。セタはそれを手で払い経路を眺めた。バスは随分と前から通っていないのかもしれない。

「おい、フィン! どこに行く」

 一番乗り、とフィンは雪原に腹から飛び込み、笑いながら雪にまみれる。

 降り積もった雪を手で集めては、舞って。今のフィンはまるで雪の妖精だ。溶け込んで消えてしまいそうな程、フィンには雪がよく似合う。

 フィンは雪を手でかき集めてロゼとセタにふわりとかけた。

「そおれ!」

「ちがうぞ、フィン。投げるなら玉にしろ。コントロールしやすくなって、対象への命中率が格段に上がる」

「余計なことを吹き込むな! いって!」

 ロゼの雪玉投球は銃弾の腕同様に正確で、セタの額に見事的中させた。

 それから三人は気が済むまで雪と戯れた。

 雪原よりも大きな青い空の下で仰向けになり、火照る体を雪で癒した。

 童心に返る、とは言わない。幼い頃には雪が降っても遊ぶことはなかった。たまった雪を温めて水にして飲んでいた記憶はある。雪深い国に生まれながら、この雪の景色はずっと知らなかった。

 そこから二日かけて歩き、交易が盛んなティクシ川沿いの町へ出た。雪解け水を集めた広大な川はゆったりと流れ、常に物資の運搬のための船が行き交っていた。海でもないのに、港があり、三十以上のモーターエンジン付の船舶が停泊していた。橋といえばここからさらに数十キロ離れた町にしかなく、東州と南州を繋ぐ橋は現在建設中であるため、船を利用する他なかった。徒歩では何に追いつかれたところで巻けるものも巻けない。

 船着き場は観光客よりも運び屋でごった返しており、近隣のパブやカフェはひどい混雑であった。冬の間は橋の建設がストップしていたらしく、なるほど、完成には程遠い骨組みだけが晒されていた。

 旅行客で賑わう程の観光地がないティクシ川の町に、どうしてこうも人が集まっているのだろう。いたるところに貼られたビラとカラフルな三角のフラッグカーテンを見て理解した。二日後の「春祭り」という、厳しい冬を越し、春の訪れを喜びあうイベントがあるらしい。祭りという概念そのものがヘミスフィアにはなく——もしくは失われた——セタとロゼにとっては人の集まり具合から軍事演習に近しいものだとしか認識していない。

「祭りというのは、記念日、文化・宗教に習う行事を指す。神や偉人の誕生日、命を落とした日、季節の変わり目、集客を目的にすることもあるそうだ」

「そんなことを一年の間に何回もしていれば、隣人の老夫婦が殺人鬼にすり替わっていても気が付かないだろうな」

北が「祭り」を意図的に暦から失くしたのだとしたら、容易に頷ける。町の誰もが浮かれてしまえば、軍事はままならないだろう。

 勝利し、他国を植民地と化した暁に与えられるものは勲章と肩書。飲酒は地位ある者、功績者のみに許されている。勝利に貢献しなかった兵士は懲罰房行き、もしくは更に厳しい戦地に送られ戦果を立てるまで帰国を許されない。

それこそがヘミスフィアに生きるということだ。

 他国民を観察するうちに二人が祖国とはっきりと違うと分かったことは二つ。

 警戒心のなさと呑気な生活ぶり。

 誰一人として武器を貸与されていない。物音や行き交う人に危険性を感じない。

 これを体に馴染ませることに、二人は大変苦労した。警戒心の強さは武器を晒して歩くのと変わりない。

 パブを出て、携帯食の調達に向かう矢先、フィンがおんぶを要求してきた。

「何だ、腹が膨れて眠くなったか?」

「ちがうもん」

「だろうな。いつもより肉料理を食べていなかった」

「また靴がきついのか?」

「それもちがうよ! ちょっとぼうっとするんだ。すごく眠くて」

 白い子どもには、熱があった。

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