逃亡者たちと彼らが目指す場所(1)


 春の晴天の下、淡い色をした花々が咲き、涼しい風がさわさわと芝生をたなびかせていた。アーチをくぐればそこには白亜色のパラソル、テーブルにおしゃれな椅子。バラ園に、どこからともなくヒバリのさえずり。

 めかしこみ、たっぷりとしたドレスを身にまとった婦人たちがお茶会を楽しみ、上品に笑いながらおしゃべりをしている。そしてハーブティの良い香りと焼き立てのクッキーの香ばしさを存分に楽しむ。口元を手で覆いながらクッキーを指先でつまみ、婦人たちはオシャレの話に花を咲かせていた。

 あくびが出そうなほど暇で、退屈で、平和的な午後である。

 そこに似つかわしくない、やわらかな雰囲気を壊すエンジン音が鳴り響く。

 ぐおん、と庭園を越え、弧を描いてふっとんだ中型トラック。花壇をタイヤで踏みにじり、ことごとくタイヤ痕を残して荒れ狂うように去っていく。

 婦人たちは手元のティーカップとクッキーをひっくり返され、呆気にとられて上を見るばかり。

 続いて二台、三台と同じ軽トラックが庭園を突っ切っていく。

「きゃあっ」

「一体何なの?」

 穏やかな午後は一瞬にして騒然としたものになった。遠ざかるエンジン音の中、お茶をかぶった婦人たちはあんぐりと口を開け、お茶会はお開きとなった。



 ハンドルを右に左に乱暴に振り回し、フロントガラスに飛び散る葉をワイパーで振り払う。

後部座席でぐらぐらと揺れていた子どもが運転席に身を乗り出した。

「見て! きれいな服着た人たちいるよ」

 運転手はバックミラーに映る追手の走行車の相手でそれどころではない。

「いいから出口どっちか教えろ、フィン!」

 庭園の中で追いかけっこしていたんじゃ人をひき殺しかねない。

「西に五百メートルで川に出るよ」

「西ってどっちだっつーの!」

「五時の方向」

「逆じゃねぇか! 今方向転換なんてしてみろ。正面衝突だぞ!」

走行し続けさら地に出た。舌打ちしながらもどこか楽しげに、セミロングの麦色の髪を風に浴び、セタは口角を上げてバックミラーに手を伸ばす。割れた窓ガラスと黒い短髪の女の凛々しい顔が映し出された。

「セタ、もう少し引き付けろ。狙いが定まらない」

後部座席でロゼがライフルに弾を装填した。

 バックミラーには突進してくる二台のトラック。わずかながら距離がだんだんと縮んでくる。

「挟み撃ちにされる前にタイヤを狙う」

「遠距離用だろ? スコープに映らないんじゃないか?」

フェンスを破壊し、途端にガタガタと揺れる車体の中、フィンは体育座りをして、されるがままに揺れていた。

「フィン、耳を塞いでおけよ」

「もうふさいでいるよ」

ロゼの瞳が獲物を捕らえ、さらに細くなる。割られた窓から銃口を出し、カチリと引き金に指をかけた。十字のスコープは絶えず動くタイヤをとらえていた。

——バン

弾けた音がしたものの、変わらずに追いかけてくる。セタは訝しげに、

「外したのか?」

とミラー越しに見た。

「ううん、当たったよ」

抑揚がなくあくまで冷静なフィンの声。どうやらそれは本当らしく、弾けた音がしたものの、変わらずに追いかけてくる。

 対銃弾性のタイヤだ。しまったとライフルを下ろした時にはすでに遅く、相手はすぐに発砲してきた。座席にロゼとフィンは身を隠し、いち早く察知したセタはステンレス製のなべを頭にかぶっていた。

 続く発砲の雨が車に放たれる。すでに蜂の巣だらけのこの車で前回と同じように容易に回避できるわけもなかった。

「小ざかしい連中だ」

セタはペロリと舌を出し、ハンドルを思いっきり右にひねって林の中へ突っ切った。枝と葉をワイパーで吹き飛ばし、木の根でボコボコとした細道さえ気のもせずにただ走る。

 ぎゃぎゃ、とタイヤは悲鳴を上げて石畳をこすり車道へと降り立った。一瞬の浮遊感の後、セタはブレーキとアクセルを巧みに使い分けてすぐに車を走らせる。

「へん、どうだ」

やんちゃな子どものようにセタは笑い、バックミラーを手慣れた手つきで正す。

が、車の陰がミラーに映ると動揺して声をあげた。

「おいおい、追いつかれんぞ」

悠長にもロゼは小馬鹿にした態度で喉を鳴らして楽しげに言う。

「うるせっ」

あまりにまっすぐな車道では身を隠すこともできない。

「セタ、建物あるよ」

それを聞くなり、ロゼもセタもニッと気味が悪い子どもっぽい笑みで浮かべた。

爆発炎上。

 遠くなる一本道から青空へ黒煙が雲のごとくうねらせて昇っていく。

「うわあ、もくもくしてる」

「フィン、顔出すんじゃないよ」

 追手は賞金稼ぎ。

生半可な囮では時間稼ぎにすらならないのだ。車を突入させた建物は無人のバイク屋。拝借していた車にロゼが一発打ち込み、ガソリンに点火して爆発。焼け焦げたバイクの熱と引火したガソリンが満ちた道では、立ち往生しているに違いない。

 そして今度はバイク屋から、もちろん無断で一台盗み走り出した。

足元のフィンがひょっこりと顔を出すのを、セタは両膝でおさえた。ロゼは簡易的な地図を小さく広げて、フィンに押し付け、銃に装填し直している。

「あと四キロでバレッドだ。今日はそこに泊まるか?」

エンジン音でかき消される彼女の質問に、セタは否定した。

バレッドは道路沿いに各地に設置された避難場所。未だ戦火の中にある時代には欠かせない、いわゆるシェルターのような場所だ。国が提供する、誰でも隠れられる食料も水も寝袋まである避難所のため、何度となく三人はそこに厄介になり、切り抜けてきた。

 ばっさりと雑に切られたロゼの黒髪がミラーに映る。短くなったら子どもっぽさがなくなったが、青少年のようにも麗人のようにも見える。

「それよりセタ。お前の鬱陶しい髪が口に入って嫌だ。前後変われ」

「走らせながらそんな器用な真似できるわけないだろ。とりあえずガソリンが切れるまで遠いところ行った方がよさそうだ」

 セタの麦色の髪はロゼに嫌われており、しかし若葉色の瞳だけが鏡に映ったように二人はそっくりであった。

 フィンは似ているようで似ていない二人を兄妹のようで夫婦みたいだと変なことをよく言う。フィンの「似ているものは皆家族」という持論は仕方ないことだが不快だった。

「お出ましだ」

時間稼ぎにすらならなかったどころか、過激な賞金稼ぎ共は怒り狂って猛スピードでエンジンを唸らせている。まさに火に油。

「セタ、ヘルメット貸して」

「了解」

セタはひょいとヘルメットをフィンの頭にかぶせた。大きすぎるヘルメットの重さにフラつきながらもフィンは踏ん張って立った。

 気でも違った三人の行動。

 子どもを楯に。

そして女は両手に銃を持ち、黒髪をなびかせる。

フィンはゆっくりと目を閉じ、深呼吸をする。道路を走るエンジン音も、風の音も意識の外へと追いやられていく。自分の呼吸の音しかしない、静寂である。

 だが追手の車からお構いなしに銃弾の雨が降る。

 パリン

 曲がりくねった道から現れたバイクはまだ変わらず走り続け、賞金稼ぎたちは次弾を放った。

 ガラスが割れる音がしたかと思えば、銃弾の時間が止まったようにポロポロと落ちていく。フィンの視界に写った弾は全て力が失われている。

手も武器も使わずに銃弾を防いだのだ。

「正当防衛だ」

装填した二丁の銃を両手に持ち、ぴしりとロゼは腕を伸ばし構える。こともあろうか彼女は仁王立ちである。いい標的には違いない。

「う、撃てぇ!」

命知らずな彼女の行動に恐怖で声を震わせつつも、賞金稼ぎは発砲を続ける。両者の銃弾の連射だ。

 空気が歪み宙に造られた波紋は銃弾をまるでビー玉のように音を立てて落としていく。まるで小さなバリアをフィンは作っているのだ。瞬きをせずに見るだけで、対象物を弾くことを可能にするその目は、白に限りなく近いアメシストの光を帯びている。

 ロゼの放った銃弾が、走行車のフロントガラスを次々に当たっていく。タイヤ同様、耐性があっても割れずに銃弾の衝撃で無数の白い亀裂が入った。たとえ動きは止められずとも、遅らせるには十分だ。一台、二台と後退していく。

しかし相手もさることながら、しきりにバイクのタイヤを狙ってくる。

セタの巧みなハンドルさばきでかわしているものの、その回避にも限界が訪れる。

「おい、早くしろ。俺、バイク上手じゃないんだからな」

ミラーは銃弾で粉々に。これで体に当たらないのが本当に不思議でならない。

「安心しろ、あと二台だ」

ロゼは背に隠していたライフルを取り出して再び応戦し始める。

 しかしこのまま逃げ続けられるほど、勝利の女神は優しくなかった。

 断水のためこの先工事中。

「………」

「………」

「……ねえ、あれなんて読むの?」

 蛍光色の目立つ標識にフィンは純粋に疑問を持つが、二人はタラリと冷や汗を流した。

こんなところで引き返せば間違いなく穴だらけになる。だからと言って工事中の道路に突っ込むのも、規模によっては大惨事になりかねない。

 なんとかせねば、とセタは歯を食いしばり周りを見渡す。木に飛び移るには距離がありすぎる。こちらは一方通行。しかも追手がチャンスだとばかりに、速度を上げてきている。

 思考を巡らせるが行き止まりも追手ももうすぐそこまで迫っている。時間がない。

 セタはゆっくりと目を閉じ、足元の刀を肩にかけた。


白くなったフロントガラスを銃床で砕きながら、賞金稼ぎたちはため息をついた。

「ちくしょう、また逃したな」

「あのガキ、瞬間移動なんて使えたのか」

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