第五の殺人(自然死を含む)

【日本 1887年(明治20年)12月6日】島津久光⚔️

 1

 病に臥せる島津久光の脳裏に過去の出来事が走馬灯のように浮かんでは消える。視界はぼやけ、現実と想像の区別が曖昧となっていた。

 自らの半生を振り返る。

 やはり印象深いのは、"生麦事件"だった。


 2

 "生麦事件"、"薩英戦争"以降、薩摩は国内及び諸外国に影響力を強めるようになり、ひいては薩摩・長州の同盟による"王政復古の大号令"、そして現在の明治新政府へと繋がった。

 思い返せば、"生麦事件"で振るった刃こそが、新たな時代を切り開いたのかもしれない。


 3

「"生麦事件"がこうなるとはな。世の因果とは読めないものよ」

 呟いた直後、ゴホゴホと咽せた。

 長井雅楽の"航海遠略策"ではないが、この調子で日本の国力が増せば、諸外国への影響力も甚大なものとなるだろう。いずれは戦争を仕掛け、本当に諸外国を従えるかもしれない。

 可能性として高いのは、隣国の清や露国との交戦だろうか。まさか米国に宣戦布告することはないだろう。だが、仮にそれが起きたら。

 そこまで想像して、島津久光はフッと笑った。

 どうなるにせよ、島津久光の先は長くない。"生麦事件"により創造された未来を、すべて見通すことは不可能だった。


 4

 ただ、どうにも解せないことがひとつ残っていた。なぜ当時の自分は、あれ程の熱をもって、外国人斬殺を指示したのだろう。

 たしかに外国人嫌悪はあったが、然程ではない。過激な攘夷思想も持ち合わせていなかった。

 幕府の嫌がらせに対する八つ当たりだろうか。否、それだけでは説明がつかない。

 当時の感覚が蘇ってきた。本能が、もっと大きな、差し迫った危機を告げていた。

「そうか。あれは……」

 そこまで理解したところで、島津久光の意識は途絶えた。

 明治20年(1887年)12月6日死没。満70歳だった。


【米国 1967年2月18日】オッペンハイマー💣

 1

 オッペンハイマーは自宅のチェアで、穏やかに揺れていた。

 揺れに合わせるように、オッペンハイマーの意識は、現在と過去を緩やかに行き来する。


 2

 原爆投下以降、オッペンハイマーの人生は、まさに怒涛であった。

 "原爆の父"として時代の寵児となり、数々の議会に参加した。

 オッペンハイマーはこれをチャンスと捉えた。新しい時代を正しく構築する機会はここにしかない。

 "原爆の父"の身でありながら、核兵器は人類にとって巨大な脅威であり、人類の自滅をもたらすと考えた。核軍縮を掲げると、原子力委員会のアドバイザーとなってロビー活動を行い、ソ連との核兵器競争を防ぐため働いた。


3

 しかし、これが冷戦下の米国上層部の逆鱗に触れることとなる。

 核軍縮を掲げるオッペンハイマーを社会的に抹殺するため、上層部は彼の過去を悪意をもって改変した。妻キティ、弟フランク、フランクの妻ジャッキー、およびオッペンハイマーの大学時代の恋人ジーン・タットロックがアメリカ共産党員であり、また、党員ではなかったものの、オッペンハイマー自身も共産党系の集会に参加したことが暴露され、問題視された。

 実際にはスパイ行為は確認されなかったが、オッペンハイマーはソ連のスパイと判断され、1954年4月12日、原子力委員会はこれらの事実にもとづき、オッペンハイマーを機密安全保持疑惑により事実上の公職追放とした。


4

「私はどうすればよかったのか」

 新しい世界を正しい方向へ導き、原爆及び水爆の脅威から守ろうと奔走した結果、過去が悪意とともに改変され、公職追放までされる事態となった。

 だが、この経験から彼はひとつの真理を得ていた。

「未来の行動が過去に影響を与えることはある」 因果の流れは、一方向ではない。


5

 オッペンハイマーが、原爆投下を支持したことで、世界は決定的なまでに変わった。

 だが、オッペンハイマーはなぜ、日本への原爆投下を推したのだろうか。

 核軍縮を掲げる現在の彼の姿からはまるで矛盾していた。あの瞬間、彼に何が見えていたのだろう。

 しかし、その疑問が解けることはないまま、オッペンハイマーは息を引き取る。

 1967年2月18日没。満62歳だった。


【英国 1888年11月9日】アバーライン👮

 重い雲が月を覆い隠し、死んだような静寂に包まれた魔都ロンドン。

 暗黒の夜が支配する世界で、ミラーズ・コート13号室の扉が鈍く軋む音を立てて開いた。突然の来訪者に、家主が金切り声をあげる。

 家主の名は、メアリー・ジェーン・ケリー。一連の殺人事件、その第五の被害者にして、最後の被害者であった。彼女の最期は、類を見ない程に凄惨なものとなる。


 侵入者は、ゆっくりと、しかし、確かな威圧感を与えながら歩く。死までのカウントを数えるかのように、その靴音は高く響いた。一挙手一投足が、メアリー・ジェーン・ケリーから希望を奪い去っていく。その手には刃物が握られ、暗い部屋の中で唯一、輝きを放っていた。


 "切り裂きジャック"が現れた。

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