第二の殺人(自殺を含む)
【日本 文久3年(1863年)7月2日】島津久光⚔️
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鹿児島県城下近くの前之浜約1キロ沖に投錨したイギリス艦隊の姿を前に、薩摩藩は緊迫感を増していた。
イギリス艦隊は戦列を整えると、薩摩藩に対し、2つの要求を告げる。すなわち、"生麦事件"犯人の逮捕と処罰、および遺族への賠償金2万5000ポンド。
この段階ですでに臨戦態勢にあった薩摩藩は、警戒心を緩めず回答を留保する。返事を急かすように、イギリス海軍蒸気船『パール』の外輪が回転を始めた。
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自らが引き起こした"生麦事件"の顛末を目の当たりにしながら、島津久光の心情は不思議と穏やかであった。
「この様な因果となったか。なるようになったな」そう感じていた。
"スイカ売り決死隊"の奇襲作戦中止に関しても、同様の感想であった。
奈良原喜左衛門らが計画したもので、海江田信義・黒田清隆・大山巌らがスイカ売りに変装し、斬り込む覚悟で艦隊に接近するという作戦だった。しかし、現実は甘くない。イギリス艦隊に乗船を拒まれ失敗した。
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鹿児島城二之丸邸に、藩士が報告にきた。イギリス艦隊は、五代友厚や寺島宗則らが乗船する薩摩藩の汽船3隻(白鳳丸、天佑丸、青鷹丸)を拿捕したとのことであった。
これを宣戦布告と受け取った薩摩藩は、正午に湾内各所に設置した陸上砲台(台場)の八十門を用いて先制攻撃を開始した。
発射された砲弾は直線に伸びると、イギリス艦隊に着弾し、爆発した。
のちにいう"薩英戦争"の幕開けであった。
イギリス艦隊の損害は大破1・中破2、死傷者は63人に及び、一方の薩摩藩も人的損害こそ少なかったものの、鹿児島城、集成館、民家350余戸、藩士屋敷160余戸、藩汽船3隻などが焼失し、双方、莫大な損害を被ることとなる。
【米国 1929年-1944年】オッペンハイマー💣
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ケンブリッジ大学で精神を病んだオッペンハイマーであったが、療養の甲斐もあり、無事に回復を果たす。回復後のオッペンハイマーはまさに快進撃であった。
1929年には若くして カリフォルニア大学バークレー校やカリフォルニア工科大学助教授となり、物理学の教鞭を執った。1936年には両大学の教授に就任する。生徒からは"オッピー"の愛称で親しまれていた。
さらに、1930年代後半には衝撃的な共同論文を連発し、学会を驚愕させる。
高度に圧縮された星"白色矮星"のある特性を研究した『星の中性子核の安定性』、一定以上の核を持つ星は白色矮星に落ち込む代わりに自身の重力によって無限に縮小を続けると計算した『連続的重力収縮』が、それだ。
後者は、のちにブラックホールと呼ばれる存在を初めて示唆した画期的な論文であった。
この快進撃の裏には、"量子論の父"とも謳われる物理学者ニールス・ボーアの助言もあった。
「オッペンハイマー。君の才能は実験ではなく、理論に向いている。理論物理学に進みなさい」
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しかし、私生活においては順風満帆とはいかなかった。
恋人ジーン・タトロックとの、3年近くに及ぶしばしば嵐のようだった関係は、オッペンハイマーとキティ・ハリソンの間に子どもが産まれたことをきっかけに、解消していた。
時に大胆で激しいジーン・タトロックを、オッペンハイマーは強く愛していた。2度の婚約で、なぜ結婚しなかったのだろうか。
キティ・ハリソンとの結婚後も、オッペンハイマーは時に想像していた。
「理論上不可能だが、仮に過去に戻れたなら、ジーンと結婚していたなら、どうなっていただろうか」
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1939年1月29日の日曜日、オッペンハイマーの放射線研究所に、信じられないニュースが飛び込んできた。サンフランシスコ・クロニクルによれば、ドイツの化学者オットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンの2人が、ウランの原子核の分裂に成功したという。
この報せを、オッペンハイマーは即座に否定する。
「不可能だ」
チョークを掴むと、黒板に向かい、分裂が起こり得ないことを数学的に証明した。誰かが間違えたに違いなかった。
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しかし翌日、オッペンハイマー自身の目の前で、再現実験が成功する。
オットー・ハーンもフリッツ・シュトラスマンも、間違えていなかった。予期せぬ結果に、その水色の瞳は大きく見開かれ、トレードマークの帽子は床へとずり落ちた。
「間違えたのは私か?それとも神か?」
オッペンハイマーの脳は、高速で回転し、思考を巡らす。もしも、ウラン分裂を利用した原子爆弾が製造されたなら。恐ろしいことになる
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第二次世界大戦が勃発すると、1942年9月、原子爆弾プロジェクトがアメリカで発足する。通称"マンハッタン計画"と呼ばれた。
そして、1943年、オッペンハイマーはロスアラモス国立研究所の初代所長に任命され、原爆製造研究チームを主導していくこととなる。
その最中、ひとつの悲劇が起こる。1944年、ジーン・タトロックが自宅の浴槽で死亡しているのが発見される。死因について、陪審では「自殺 原因不詳」と決定された。
【英国 1888年9月8日】アバーライン👮
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ハンバリー・ストリートという長く広い通りがある。凹凸の激しい円い石畳の間を裸足の子供達が朝から晩まで往来で騒ぐ、代表的な貧民窟街景の一部だ。
通りの両側には、アパートメントをずっと下等にした、一様に同じ作りの、染みだらけの古い煉瓦建てが暗く押し黙って並んでいた。
この界隈は、労働者や各国の下級船員を相手どる最下層の売春婦の巣窟でもあり、細民街に特有の甘酸っぱい湿った臭いが、四六時中、充満している。
第二の殺人が起きたのは、そんな場所だった。
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1888年9月8日早朝、ちょうど最初の犠牲者メアリ・アン・ニコルズの葬儀の翌日のことだった。
ハンバリー・ストリート二九番地の貸間長屋の中庭にも、やっと夜明けの灰色の光が射し染める。居住者が洗濯物を干したり簡単な外仕事をする裏庭は、雑草が伸び放題で、ゴミの散らかった汚い場所だった。
普段と異なるのは、そこに、全身を切り裂かれた女の死体があることだった。
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現場に駆けつけたチャンドラー警部は、部下に命じて野次馬を中庭から追い出させ、立ち入り禁止にして女の死体を検分した。
女は仰向けに倒れて右手は手のひらを見せて上に伸ばされ、左手を左胸に置かれていた。相当抵抗したとみられ手も顔も血まみれだった。
長い黒のコートとスカートはたくし上げられ、露出した腹部はめちゃめちゃに切り裂かれて内臓が飛び出し両脚を広げている。首はねじれて塀際を向いていた。首筋には白いハンカチが堅く結ばれており、首を絞めたというより殆ど切り離されかけた首を胴体に結びつけてあった。
被害者の身元はすぐに割れた。集まった野次馬の中で彼女を知っている者が名乗り出たのだ。通称ダーク・アニーと呼ばれる、この界隈では名の知られた売春婦だった。
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捜査本部のアバーライン警部は、第一の殺人の際と同様、思索に没頭していた。
犯行を自分の脳内で再現し、犯人の心理を理解する。想像上の刃物を握り、それを本物のナイフと錯覚するほどに、幻覚に深く潜る。
俺は、ダーク・アニーに買春を持ちかける。酒浸りの娼婦に警戒心はなく、紙幣をちらりと見せるだけで着いてきた。俺は、指を立て、ハンバリー・ストリートの方向を指し示す。あそこで事を済ませよう。ダーク・アニーも惚けた顔で頷く。ハンバリー・ストリート二九番地の裏庭が常に開け放たれていることは、周知の事実であった。
裏庭に到着したダーク・アニーは俺に尻を向け、ゴソゴソとスカートを捲り上げる。俺が動いたのは、そのときだった。
ダーク・アニーが悲鳴を挙げないように背後から口を塞ぐ。ダーク・アニーも必死に抵抗する。なりふり構わぬ抵抗で、顔に擦過傷ができるほどであった。しかし、俺には刃物があった。俺は、ダーク・アニーの右耳下から左耳下にかけてを一気に切り裂く。ダーク・アニーの命は、そこで途絶えた。
俺は、倒れたダーク・アニーの首を切り離そうとする。だが、何かがしっくりと来ない。顎に手を当て見下ろしたのち、女のハンカチをするりと解くと、首に結びつけた。
それから腹部を切り裂く。腸を引きずり出すためだ。摘出した腸を死体の肩に乗せる。思わず笑みが溢れた。子宮、膣の上部、膀胱の三分の二も切り取っていく。
狂行の想像から醒めたアバー・ラインは、溺れかけたように荒い息をする。一つの確信を得ていた。
これは明らかに解剖作業に慣れた者の仕業だ。人体構造や病理学的知識をもたなければ、暗がりで短時間にできることではない。
前回のメアリ・ニコルズのときにも試みたが、不成功に終わった臓器の切り取りを、今回果たしたわけである。人体解剖に執着をもつ変質者の犯行だろうか。
「犯人は、まるで何かを実験しているようだ」
女の死体を破壊し、そして、何かを創造しようとしている。
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スター紙は当時のロンドンの雰囲気をこう伝えている。
「ロンドンは今日一つの大きな恐怖に晒されている。名状しがたい邪悪なものが野放しになっている……屍食鬼のごとき怪物がロンドンの裏街を忍び歩き、ポニー・インディアンのように犠牲者を血祭りに上げている。ただ血に酔っているのであり、犯行は今後も続くだろう」
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アバーライン警部を嘲笑うかのように、フリート・ストリートにある新聞通信社、セントラル・ニューズ・エイジェンシーに奇怪な封書が届く。
1888年9月25日付、27日イースト・セントラル郵便局消印の封書で、届いたのは28日のことだった。連続殺人についてのふざけた内容が綴られており、汚い口語体の文章ではあるが、かなり書き慣れた筆致の赤インクで書かれていた。
「親愛なるお偉方へ
警察は俺を捕まえたと耳にしているが、まだ目星もついちゃいないさ。やつらが得意げに当たりはついたとぬかしているが、俺は腹を抱えているよ。レザー・エプロンが犯人なんてのは悪い冗談だよ。
俺は売女に恨みがあるんだ。お縄になるまで絶対に切り裂きは止めないぜ。こないだの殺しは大仕事だったな。女には悲鳴をあげる暇も与えなかったよ。さあ、捕まえられるものならやってみな?俺はこの仕事に惚れこんでいるんだ。もういちどこないだの仕事ぶりを書くのにぴったりな赤い血を、ジンジャー・ビールのボトルに溜めこんどいたが、ニカワみたいにねばねばして使いものにならなかったよ。赤インクもこなもんだろう、ハッハッハ。
次の仕事では女の耳を切り取って、警察の旦那来のお楽しみに送るからな。この手紙をしまっておいて、俺が次の仕事をしたら発表してくれ。俺のナイフは切れ味がいいから、チャンスがあればすぐにでも仕事に取りかかるぜ。あばよ。
親愛なる切り裂きジャック」
後に伝説となる、稀代の殺人鬼"切り裂きジャック"。その名が歴史に登場した最初の瞬間であった。
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