和歌から始まる物語

藤堂かなめ

めぐり逢ひて――紫式部

深月みづきは私の親友だ。

小中と同じ学校で、高校は別だけれど今でもずっと連絡を取り合っている。

高校3年生の十五夜。一緒に月見をしようという話になった。

なんてことはない。近所の公園のベンチで月を見ながら語らうだけ。それでも親友との再会には胸が高鳴る。


そうだ、月見といえばお団子を買っていかなきゃ。

すぐ近くの商店街の片隅にある団子屋さん。この町はやや田舎で派手に遊べるような場所もないから、中学生の頃はこの商店街をブラつくのが唯一の遊びと言える遊びだった。


あの醤油焼き団子がおいしいんだよね~。

美味を思い出してごくりと唾を飲み込みつつ、同時にあの団子屋を懐かしんでいる自分に気づいて愕然とした。

この道を歩くのはいつぶりだろうか。

やだなあ、団子屋潰れてたらどうしよう。

そんな考えを頭を振って追い払う。縁起でもない。


やや短めの制服のスカートを揺らして高い天井の下を歩く。

心なしか、前に来たときよりもシャッターが増えた気がする。

開いてる店もあるけど声をかけてくる人はいなかった。当たり前か。いわゆる高校デビューとやらをした私は中学生の私とは似ても似つかないのだから。


異邦人の気分を味わいながら角を一つ曲がると、ずっと向こうに白く光る外の世界が見えた。その手前、左手の店――よかった、のぼりが出てる。

弾むように歩いていく。気分はいつになく軽やかだ。


しかしその足はすぐに大人しくなった。

店の前に人影があったからだ。

人前でスキップをするというのはチキンな私には到底できない……いわゆる猫を被るという行為を今、実践している。

すぐにでも走り出したいくらいうずうずしている足をなだめながら、何でもない風に足を運ぶ。

軽い近視の目にお品書きの文字がはっきりと見えるようになった頃、

「……ゆかり?」

人影が言葉と共に振り向いた。


ばくりと跳ねる心臓。それを隠しながら相手の顔を見ようと努める。

「……、み、深月?」


黒かったツインテールは茶色がかった巻き髪になり、健康的に日焼けしていた頬は薄化粧でほんのり色づいている。中学校では規定の長さを保っていたスカートは、今や優に膝上10cmはあろうか。白いすべらかな脚が短い靴下とグレーのチェックとの間を繋いでいた。


それは――彼女は、そう、私のよく知っている人間。

今、私は冴えない中学生の〝ゆかり〟に戻っているような気がするのに。

生まれ変わったような深月の姿はこの商店街にまるで似つかわしくない。私なんかよりもずっと。


「よくわかったね、久しぶり!」

そう言ってくしゃりと笑った顔が昔と同じであることに気づいて、私は人知れず息を吐く。

「うん、ほんとに久しぶり!」

こんなことならあのままスキップして来ればよかった。

「びっくりしたよー。随分変わったね」

深月は私が真っ直ぐ目を見られる数少ない人間の一人だ。

「でしょー」

彼女は私より少しばかり高い位置にある目をこちらに向け、にひっと笑った。醤油団子でいい?、と聞いてくるので、私はこくりと頷く。


あの頃もそうだった。深月が先導して私が賛同する。たまに賛同しないこともあるけれど、深月はいつだって私の意見を尊重してくれる。


「でもまさかここで会うとは思わなかったな。」

ぶらぶらと歩き出しながら深月が言う。

「ね、同じこと考えるなんて。ちょっと、いやけっこう嬉しい。」

私は一歩一歩機嫌よく蹴り出すようにして歩きながら答える。

「あはは、縁は大げさだなあ。」

流行のメイクに隠された深月の顔をチラリと盗み見た。化粧した顔は見違えるようなのに私に見せる笑い方はあまりにもあの頃と変わらなくて、なんだか脳がバグりそうだ。


他愛もないことを話しながら商店街の光を後にする。


「おっ、ここだここだ。」

しばらく歩いてきて、深月が指差したのは小さな公園だ。中央には色褪せた遊具。貫禄のある常緑樹が一本と、公園を囲うように植えられたツツジの茂み。それを背にしてベンチが二、三。

丸い時計はまもなく八時を指そうとしていた。


ツツジはそろそろ剪定業者が入るかもしれない。それとも近頃の宅地化でこの公園も潰れてしまうのだろうか。


「よっしゃ誰もいない~」

深月は小躍りするような妙な足取りで入り口のポールの間をすり抜ける。

私もポールに触らないよう気をつけながら公園に入る。手に提げた団子のビニール袋がかさりと音を立てた。


「座ろ!」

うん、と頷いて腰かけたのは木から最も離れたベンチだ。木の下じゃあ枝に隠れて月が見えないからね。


「うわぁ……」

私は空を見上げて、半ば吐息に呑まれた歓声を上げた。

月。一片たりとも欠けたところのない、真円の満月。それが紺青の空にぽっかりと浮かんでいる。

膝の上に置いた団子の袋からほどよい重みと温もりが伝わってきて、私はうさぎを思い出した。

一人小さく笑ってから深月を振り向く。

「綺麗だね」


深月も月を見上げていた。

月明かりがつける陰影は化粧も何もかも取り払って、――深月は深月だ。


「……なんだか寂しそう。」

「え?」

「ううん、なんでもない。」

深月の呟きはこの満月みたいにくっきりと形を残したまま灰青色の公園を漂う。

闇に澄まされた耳に、す、と息を吸う音が聞こえた。

「それよりお団子食べよ!」

こちらを向いた深月の顔は輝いている。

「はは、月より団子、ってね。」

私も笑顔を返す。

がさがさと袋を探る音はなんだかわざとらしく響いた。


団子を食べて月を見る。団子は月と違って少し潰れている。

「見て、うさぎみたい。」

深月が見せてくれた団子の表面には、確かにうさぎに似た焦げ目がついていた。

「ふふ、ほんとだ。」

私は自分の団子を一瞥してからぱくりと口に入れる。冷めかけの団子はすぐには口に馴染まない。


深月はいつになく口数が少なかった。

会話も浅瀬に浮く離れ小島のようにぽつりぽつりとして続かない。


――〝いつになく〟?


私は深月の何を知っているというのだろうか。


「そろそろ、帰ろっか。」

深月がそう言った。立ち上がってスカートを整える。

「え……うん。」

ややあって私も立ち上がり、深月に倣って荷物をまとめる振りをした。まとめるほど散らかしていないのだが。

念のためと思って鞄に忍ばせてきたトランプのことを思いながら公園を出る。

時計は八時半を指している。


「じゃあ、またね。」

深月はあっさり体を右に向けた。この公園は、私たちの分かれ道なのだ。

右に行けば深月の家。左に行けばの家。

ここで何度の〝またね〟を交わしたことか。

「縁?」

返事をしない私の顔を、半身で振り向いた深月は怪訝そうに見つめる。


まだ話したいことがいっぱいあったのに。

この身の中で膨れ上がって溢れ出るほどに。

待って、と言いたかった。


「うん、またね。」

私は深月の眉間に向かって笑いかける。

「また連絡取り合おう!」

「うん!」

満面の笑顔で手を振って遠ざかる深月。その背中が角の向こうへ消えるまで、私はきつく閉じた唇を三日月形にして見ていた。

いつ深月が振り返ってもいいように。


深月は振り返らない。真っ直ぐ背を伸ばして歩いていく。

見上げれば満月に灰色の薄雲がかかろうとしていた。

「あ、隠れちゃったね。」

呟きはとっぷりとした夜闇に溶けて消えていく。


無機質な街灯の光が、たたずむ私をくっきりと照らし出していた。




めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に

雲がくれにし 夜半の月かな ――紫式部(紫式部集、小倉百人一首)

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和歌から始まる物語 藤堂かなめ @Koyu_tomato

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