相剋説(木土水火金)
元々は「
まず三皇五帝のひとり黄帝が定めた治世が乱れ、それを
(司馬遷氏『史記』の伝説によれば、禹は聖帝・
黄帝は「土」の徳を有し、「木」の徳を有する禹王が治世を勝ち取った。
これは「
木は根を地中に張って土の養分を吸い取って土地を痩せさせるのです。つまり「木」が「土を
木は土を支配する、管理する、操作する、攻撃するなどとなりエネルギーを消耗しますがマイナスは少なくなります。
土の側からは束縛される、攻撃されるなどの受け身的表現と、(攻撃を)受けて立つ、期待に応える、努力して困難を乗り越えるなどとなりエネルギーは損失されてマイナスは大きくなります。
この関係を加害者と被害者にたとえて両者の間に攻撃する、攻撃される関係があり、これを相剋といいます。上司と部下の関係で上司から期待される、成長のための課題を与えられるなどにたとえられます。
次に夏王朝の桀王が有する「木」の徳を、「金」の徳を有する湯王の殷(商)王朝が征しました。
これは「
金属製の斧や鋸は木を傷つけ
つまり「金」が「木を
やがて殷(商)王朝の紂王が有する「金」の徳を、「火」の徳を有する文王・武王の周王朝が征しました。
これは「
火は金属を熔かして変形させます。
つまり「火」が「金を
しかし理念としての「相剋説」はさらに、「水」が「火」を征する。
これは「
水は火を消し止めます。
つまり「水」が「火を
そして巡り巡って、「土」が「水」を征する。
これは「
土は澄んだ水を濁し、また、土は水を吸い取り、つねにあふれようとする水を堤防や土塁などでせき止めます。
つまり「土」が「水を
これで五行が一周しました。
つまり「火」の周王朝は「水」の始皇帝の秦帝国が「
こうやって王朝の移り変わりの法則として「時令思想」があり、それを五行の巡りによって表わそうと鄒衍が「相剋説」を生み出したのです。
「木は土を剋し、土は水を剋し、水は火を剋し、火は金を剋し、金は木を剋する」
ここから鄒衍が「木土水火金」の並びを提唱しました。
ちなみに、
「金」が「木を
「水」が「火を
ともに剋した相手「木」と「火」を完全に消してしまうため、最悪の相性とも言われています。
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