相生説(木火土金水)

そうしょう説(木火土金水)

 そうこく説から二百年ほど後の前漢期、トウチュウジョが「そうしょう説」を提唱しました。



 「もくしょう」つまり「木」はこすり合わせると燃えて「火」を生みます。

 木から見るとエネルギーがれる、吸い取られる、発散するなどとなり自身は弱まります。

 火から見るとエネルギーを注入される、吸収する、利用するなどとなり自身は強まります。

 この関係を母親が子供を生むことにたとえて両者が「生む」「生まれる」関係として「そうしょう」といいます。



 「しょう」つまり「火」で物が燃えればあとには灰が残り、灰は「土」の肥やしとなります。

 焼畑農業では畑に生えている植物を焼き払って灰と化し、次の農業における土の栄養つまり肥料としました。灰でピンとこない方は「火山の溶岩」をイメージしてください。

 燃え盛る溶岩は冷えて歳月を経ると土となります。



 「しょうごん」つまり「土」を掘れば「金」鉱物や金属が得られます。

 昔から金属を得るために山を削りましたが、そこから得られる「金」はわずかです。


 「ごんしょうすい」つまり「金」冷えた金属の表面には凝結により「水」が生じます。

 金属を冷やすと周りの水蒸気が冷やされて結露しますよね。



 「すいしょうもく」つまり「木」は「水」によって養われ大きくなります。

 水がなければ木は枯れてしまいます。



 「木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生じる」

 この並びから董仲舒が「もくごんすい」の並びを提唱しました。



 そして「時令思想」とも結びつけます。

 周王朝の徳を「木」に変更し、「水」の徳を自称する秦帝国が倒したことにする。

 しかし相生説で言えば、「水」は「木」を生じるわけですから「水」は弱められて「木」が盛んになるはずですよね。


 「水」の秦帝国は短期の王朝であり、相生説で「木」が生じるものつまり「木」の正統後継として「火」を称する漢帝国が生じたとしたのです。


 しかし相剋説では「水は火を剋する」はずですから、ちょっとおかしいですよね。

 これを短命だから「水」が強くなかった。火は盛んだったから反剋したという相当な屁理屈によって漢帝国の正当性を主張したのです。



 時令思想は「四時(四季)」の「春夏秋冬」も定めていたため、スウエンが「春に木」「夏に火」「秋に金」「冬に水」を割り当てます。

 そして立春、立夏、立秋、立冬前の太陰太陽暦(いわゆる旧暦)の十七日間か太陽暦の十八日間を「土用」として「土」を配分しています。

 しかし本来、土は季夏(晩夏)に置かれていました。


 この「春夏(土用)秋冬」を「木火土金水」の順で巡らせていたため、結果として鄒衍は「相生説」にも気づいていた可能性があります。

 方位も「東に木」「南に火」「中央に土」「西に金」「北に水」を割り当てて、「東南(中央)西北」が割り当てられていきます。




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