第3話 汚い男となめ子

「くくく」

 場違いで不謹慎で不気味な笑い声に、田中夫妻は困惑で泣きそうになりながら顔を上げる。

「ああぁかぁわいいぃ。ほら見てよぉ。くく、うふふ」

 田中夫妻に向かってにたにた笑いかけているのは、あぶらっぽい前髪の下の、黒いコガネムシのような両眼――。どうにか前髪のカーテンの目隠しを逃れた口は、ただ剃っていないだけの無精髭ぶしょうひげに覆われ、歪んだように開いた唇の隙間からは、ただ磨いていないだけの黄色い歯が覗いている。

 そしてその男は、とにかくくさい。

「ねぇ。なめは、かぁわいいよねぇ」

 男は一方的に田中夫妻から視線を外すと、何かを握った自分の両手を見て、気持ちの悪い笑みを浮かべる。

 男の手に収まっているのは、体長二十センチメートルほどの、尻尾までころころとふとったヤモリ──ヒョウモントカゲモドキの女の子、なめ子である。

 ヒョウモントカゲモドキはヤモリとはいえ、壁面や天井を這うことはできず、また、しっかりとしたまぶたがある。左前足の薬指が痛々しく曲がっているのは――なめ子だけである。

「あらぁ、なめ子ぉ、おうちに帰るぅ?」

 男は猫撫ねこなごえで(なめ子はヤモリだが)言いながら、なめ子の、なめらかながらも小さなつぶつぶの凹凸があるヒョウがらの頭を、汚い指先で壊れ物を扱うかのように撫でる。

 しかし、さっきまで大人しく男の手に収まっていたなめ子は急に気が変わったらしく、男に撫でられていることなど気付いていないかのように、短い手足をじたばたさせて外の世界へ這い出ようとし始める──。

「なめ子がそう言うなら、帰ろっかぁ」

 呆気あっけられる田中夫妻を前に、男はなめ子を連れて、勝手に帰っていった。

 ──『夜間救急動物病院はなおか』の、受付カウンターの中へ。

「すみません。うちの兄でして」

 そう言いながら現れたのは、花岡である──。

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