第2話 疑問

「フウちゃん、いい子にしてるよ」

 待合室のベンチに腰掛けた田中夫妻は、志賀の声に疲れ切った顔を見合わせる。

「とってもいい子」

 田中夫妻の前にちょこんとしゃがんだ志賀が、不気味な程に音の無い処置室の方を一度振り返る。

 詳しい検査が終わり、佐々木が花岡の手術の補助をしている間に、今度は志賀が、詳細な事情を田中夫妻に聞くこととなったのであった。

「ねえ、フウちゃんは、イタズラが好き?」

 田中夫妻とフウが『夜間救急動物病院はなおか』に来院するのは初めてで、スタッフたちはフウの普段の様子を知らない。

「フウは留守番中にイタズラをしたことなんかありません」

 田中夫人――美沙子みさこは無意識にだろうが、空っぽのキャリーケースを見下ろし、膝の上で両手を握り締める。

「子犬の頃に私たちが教えたことを守って、キッチンには絶対に入ろうとしないし、靴下の一つすらかじらないんです」

「それに」

 田中氏――祐一ゆういちも不安げに目を暗くしたまま、妻の発言を補足する。

「うちにあるコーヒーというと、粒状のインスタントコーヒーなんですが、そのボトルはいつも、柵を付けたキッチンの中の、一番高い棚の中に入れているんです。でも、シンクが足場になる可能性があるので、扉にはロックを付けていて――。すみません、家がぐちゃぐちゃで、僕たちも焦っていたので、コーヒーが今どうなっているかは分からないんですが……。あれは回し蓋もありますし、ボトルはプラスチックですから落ちてもなかなか割れませんし、噛んで穴を開けるには滑るし、太すぎると思います。それなのに、中身を、こんなになるまで食べるなんて……」

「変だよねえ」

 志賀は田中夫妻の話をクリップボードに挟んだ紙にメモしつつ、顔のわりにたくましい首を傾げて目をぱちぱちと瞬かせる。

 田中夫妻は犬が食べてはいけないものを理解し、フウが誤食しないよう対策を取っている――。

「フウちゃん、何かあったのかなあ」

 志賀の言う通り、何か普段と違うことが起こったのには違いないだろう。

 フウがストレスを感じるなどしてイタズラをし、偶然インスタントコーヒーを食べてしまって、余計に興奮し、家中をボロボロにしたか──。

「でも、ねえ」

 志賀は顎にこれまた逞しい手を当てて、うーんとうなる。

 フウが主人の言いつけを破り、高い柵を越え、開かない扉を開けて、破れない容器を破り、偶然インスタントコーヒーを大量に食べる……?

 田中夫妻にも分からない。

 今はただ、フウの命が助かるよう、祈るほか無い──。

「志賀くん、ちょっとヘルプ頼める?」

 処置室のある廊下から顔を覗かせた佐々木の声が、院内を迷わず飛び、待合室の三人の元に届く。

「はぁーい。──頑張るからねっ」

 志賀は佐々木の方を振り向いて返事をしてから、田中夫妻に向き直って、ぐっと両手でガッツポーズをして見せる。それからよいしょっと立ち上がると、ナースシューズをぽてぽてと鳴らしながら駆けていった。

 残された美沙子と祐一は、窓ガラス越しの黒い外気を背負い、ただ祈る──。

「くくく」

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