ペット探偵 花岡正治

柿月籠野(カキヅキコモノ)

ボーダーコリー カフェイン中毒死事件

第1話 急患

「先生! フウが、ぐったりしていて……!」

『夜間救急動物病院はなおか』の夜は、いつも慌ただしい。

 今夜も、急に具合の悪くなったペットを抱えた飼い主が駆け込んできた。

 獣医師一人、動物看護師二人で営む『夜間救急動物病院はなおか』は、小さな命を救うべく奔走ほんそうする――。

志賀しがくん、フウちゃんを診察室に」

 獣医師の花岡はなおかのぼるは、青い医療用ゴム手袋を両手にけつつ、動物看護師の志賀しが悠生ゆうせいに指示を出す。

「フウちゃん」

 志賀は、ぐったりとして死んだように動かないフウ──白黒・短毛のボーダーコリーの男の子を、ペット用キャリーケースごと静かに抱き上げ、診察室へと運ぶ。

「田中さん、フウちゃんはいつからこんな様子でしたか?」

 もう一人の動物看護師、佐々木ささき理香子りかこはフウの飼い主である田中夫妻を待合室から診察室に案内しつつ、患者の様子を聞き込む。

「ええと、夜の七時頃、私たちが仕事から帰ったら、家が二階まで全部ぐちゃぐちゃで」

「それで、リビングのすみで動かなくなっていて」

 田中夫妻――美沙子みさこ祐一ゆういちは、勧められた椅子にも座らず、青い顔で必死に説明する。

 診察台に寝かされたフウは、目と口を半開きにしたまま、かろうじて呼吸だけはしているといった状態で、すらりと伸びたマズルの周りの毛には嘔吐物がこびりつき、細身で筋肉質の全身は、尿や下痢をしたふんまみれている。

「コーヒーのようですね」

 花岡はフウの口を両手で掴んで開けると、匂いを嗅ぎ、いつも通りの淡々とした、しかし冷たくはない口調で言う。それから間髪入れずに、佐々木と志賀に処置の準備の指示をする。

「佐々木さん、酸素。志賀くん、点滴と血液検査」

 コーヒーに含まれるカフェインは、犬に興奮や嘔吐、痙攣けいれんといった症状を引き起こし、最悪の場合は犬を死に至らせることもある。

 フウほどの酷い症状が出ていなくても、犬は人間よりも体が小さく、カフェインに対して敏感な場合もあるため、犬がコーヒーやチョコレートといったカフェインを含むものを摂取した場合には、適切な処置が必要だ。

 花岡は佐々木と志賀が応急処置をしているのを監督しつつ、簡易的な検査を行っていく――。

「田中さん──」

 一通りの検査を終えた花岡が二歩で診察室を横切ると、田中夫妻の前に屈み、低い所から二人に視線を合わせる。

「症状からして、コーヒーを沢山たくさん飲み込んでしまっているようです。しかし、誤食から時間が経っているようですし、意識の無い状態ですから、吐かせたり、体の中から自然に出るのを待ったりすることができません。これからより詳しい検査をしますが、恐らく全身麻酔での手術になります。胃に残っているものは、口からチューブを入れて洗って、小腸に入ってしまっている分は手術で、ええ、できる限り小さな傷で済むようにして、取り除きます。あとは中毒物質を吸着する薬などを投与しながら、落ち着くかどうか、様子を見ます」

 本当は若いのだろうにしわの刻まれた目は、田中夫妻をただぐに見据みすえていた。

 花岡は、フウが助かるとも、助からないとも言わなかった。

 田中夫妻は唇を引き結び、頷いた。

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