囚われし狂気

第65話 代役

 怒鳴りに散らすような声が聞こえて来ている青年は金縛りにあったように身動きが取れずにおり、悪夢が本当の現実かのようにして聞こえていて魘されていたのだ。彼のベッドは枕やシーツやらがくしゃくしゃになっていて彼の中で悪夢というものがどれほど影響を与えているのかが手に取るようにわかるだろう。


『瑛太……!!』


 彼を呼ぶ声が聞こえたのと同時に彼は夢の中から覚める。

 起きた瞬間、自分が夢の中にいたということをに認識しながらもベッドから立ち上がり、床に乱雑に置かれている2Lのペットボトルをキャップを開けて、力いっぱい口の中に潤いを求めようとしようとすると、彼の口の周りには零れた水が地面を求めるかのごとく零れて行ったのであった。


「……くそっ、またあの夢か」


 彼は地面に零れた水を拭くことはなく、ソファーの上に座り込み何かを考え込むようにしながらも先ほどまでの魘され具合はなくなっていた。







「澤原、大丈夫か?」


「……ああ、俺は大丈夫だ」


 意識が途切れていた澤原瑛太に話しかけたのは九石京花。

 彼が起きる彼女のカップに入っているコーヒーの匂いの主張が最初に伝わって来ていた。彼女はコーヒーを飲みながらも「ちょうどいい甘さ加減だ」と言っていたが澤原は知っている。彼女のコーヒーは砂糖ばかりで飲んだら絶対にこっちが吐きそうになるということを……。


「明日は舞台劇なんだろ?大丈夫なのか澤原」


「……いや、それが大丈夫じゃなさそうなんだ」


「なにがあった?」


 舞台劇……。

 澤原はVによる舞台劇に出演することになっていた。準備や稽古は順調に進んでおり、このまま開演の明日には最大限のパフォーマンスを披露することが出来るだろうと思っていた矢先に問題が起きていた。


「舞台劇に出るVが一人高熱で倒れてしまったみたいでな」


 今朝、彼の下から電話が来て何の電話だろうか?となっていた澤原の胃に穴を開ける事態となっていたのだ。


「役は?」


「悪役の一人だ」


「代役が必要なら私がやろうか?悪役の一人という言い方的にメインの悪役ではないんだろう?素人に毛が生えている程度でもなんとかなるんじゃないのか?」


「……まあ、そうかもしれないんだが生憎この役は男性設定というのが決まっていてな」


「……男装ならやれなくはないぞ。今の時代男装の令嬢なんて割とあり得る話だろう?」


「いや……そこまではしなくていい……。後設定を付け足すな」


 京花に代役をやってもらうという提案は悪い話ではなかった。

 実際彼女は割といい加減なところはあるものの、演技力に関しては過去のこともあって完璧なのだろうからだ。設定を急にいきなり付け足そうとしていた京花の話を聞いていた澤原に対して京花は何かを思いついたようにして笑みを浮かべていた。


「代役ならウチの事務所に一人、適役なのがいるじゃないか?」


「……樫川のことか?」


 澤原は樫川の名前を聞いて一瞬考え込む。

 彼がこういうものが得意なのかは分からないが確かに男性という設定においては彼は適任にであるということを……。


「その様子だと他の人にも頼んだが明日ということもあって断られていたところなんだろう?迷っている場合か?」


 京花は更に澤原に対して助言をすると、迷っている場合ではないと思い竜弥へと電話を掛けるのであった。





「樫川……明日は空いているか?」


 明日と言われて竜弥は「あ、明日ですか……?」と言うことはなく、「明日ですか?」と彼の言葉に動じる様子ことはなく疑問を感じている様子で言葉を投げ返していた。


「ああ、明日実は俺はVによる舞台劇に出ることになっていたんだが、一人高熱で倒れてしまってな。この様子だと明日の舞台劇には参加することが出来なさそうなんだ」


「澤原さんVだったんですね……もしかして俺にその人の代わりを頼もうとしています?」


「話が早くて助かる。色んな奴に駆け寄ってみたんだが、流石に明日となると厳しくてな……」


 彼が話の飲み込みが早いことに感謝しながらも澤原は事情を説明し始めていた。

 澤原はもしも断れることがあればどうするべきなのかを悩みながらも電話をしていると澤原からすれば竜弥の口からは思わぬ発言が飛び出した。


「いいですよ澤原さん」


「え……?あ、ああ……いいのか?」


 少しぐらい考える時間をください的なことをと言われると思っていた澤原にとっては嬉しい誤算でもありながらも何故こんなにも簡単に了承してくれたのかが気になってしまい、澤原は彼に聞き出そうとする。


「引き受けてくれるのは嬉しいのだが……本当にいいのか?」


「構いませんよ、そういう舞台劇だとかは結構面白そうだしいい機会なので是非やってみたいんです」


 竜弥の頭の中では確かに面白そうだと、舞台劇という経験値を溜めるのも悪くないと言う発想はあったがなによりも一番頭の中にあったのは澤原瑛太という人間を近くで見て、近くで知るにはいい機会だと考えていたのだ。





「ねぇ……恭平君。竜弥に何か伝えたいことあったんだよね?」


 竜弥に「まだちょっと確認したいことがあるから外にいる」と言われた千里は彼の様子が落ち着いたことを悟ってからボウリング場へと戻って来ると、そこには先ほどまで虐められていた少年と香織が楽しく笑い合いながらもボウリングをしている姿があり、二人の様子を微笑ましく眺めながらも恭平に話しかけていた。


「あるにはあったんです。……でもそれを伝えて回答を得ようとするのは俺のエゴの塊でしかないし、ダメだなと思ったんです」


 千里に疑問を投げかけられた恭平は言い出そうか迷いながらも答えを濁した上で自分がやろうとしていたことは自己満足でしかなく、更には答えを待っている他の人がいるのかもしれないというのに自分だけ答えてもらおうとするのは烏滸がましいとすら思っていた。


「……ファンレター渡した?」


 ほぼ千里と同時に戻って来た恵梨が恭平の隣に座りながらも二人のボウリングを眺めていた。

 恵梨の場合は二人の楽しげな様子に対して少し怪訝的な表情を浮かべながらも見ていた。あんなことがあった後にどうして香織はあんなにも楽しそうに笑顔でボウリングが出来るのだろうと不思議でしょうがなかったがあれが香織なりのストレス発散の方法なのだろうと考えていたのだ。


「……はい」


 恵梨に本当なところを突かれた恭平はこれ以上隠し通すことは無理だと観念をして恵梨の言葉に頷くのだった。恵梨は恭平と通話することも多く、彼からも相談を受けることが多かった。そのなかで彼女が「ファンレターを渡したの?」と言ったのには理由があった。


「前に一度だけ手紙を渡したい人がいるって相談を受けたことがある」


「そういう……ことですか……」


 自分が手紙を渡したいなんていうのは限られている人物しかありえない。だからこそ、すぐに手紙を渡したかなんて分かってしまっていたのだろうと自分が遠回しに言うことが下手さを実感していた。


「もしかして竜弥にそのファンレターの返事が聞きたいってこと?」


「まあ、そうなんですけど……。別に読んだなら読んだよ。とかそういうのだけで全然構わないんです。それだけでホッと出来ますから……でもそういうのって思うこと自体烏滸がましいですよね?だって推しから見返りを求めているようなもんですから……」


 自分が好きな推しという存在から見返りというものを求めるというのは間違っている。

 推しというものを持つ者ならば誰しもが少しは思うところがあるのかもしれない。自分だけが特別という気持ちになってはいけない。ファンというものは対等でなくてはならない。推しという存在を近い存在にしてはいけないと……。


「別にいいんじゃないの?」


「え……?」


 三連続ストライクを終えて来てガッツポーズを決めてきた香織が恭平の話に対して割り込むような形で話に入って来た。彼女はどうやらボウリングの球を探しに来ていただけのようだが、彼の話している内容が気になって此処まで来ていたのだ。


「恭平君、滅茶苦茶頑張ってるのはまあ私もまた聞き程度では聞いたことがあるし、それぐらい許されるんじゃない?必要以上に迫るのは流石にどうかと思うけど一回ぐらい聞くぐらいなら罰当たらないでしょ」


「香織……」


 恵梨は香織の言葉を聞いて少し意外に感じていた。

 彼女は割と拗らせたオタクである為、「オタクが推しと接触するなぁ!!」とキレ散らかすと思っていたようだが、彼の場合はもう既に接触はしているし普通に仲良く遊んでいる為そこの一線は越えてしまっていたが、なら香織ならば「見返り求めんなぁ!!」とキレると想像がついていたからこそ意外に感じていたのだが恭平が頑張っているという点には恵梨と千里は同感を示していた。


「アタシは恭平君が見返りを求めちゃいけないなんて思ってないよ?夜遅くまでお互い睡眠時間削ってまでゲームしてて本当に楽しそうだなって思ってるし仲良いんだなって思ってる。お互い言いたいことを言い合えてる、こんな関係をアタシは親友だと思うよ?だからきっと竜弥に聞いてみたいことを聞いてみたらいいと思う」


「千里さん……」


 千里は知っている。

 あの大会中ずっと、二人が本命のコラボ配信を終えた後は本命の地獄の睡眠時間削りのゲーム配信が待っていたということを……。あのゲーム大会の練習があり、その後に地獄の睡魔ゲーム配を見て睡魔で限界になっていく二人が意味不明な言動を繰り返すのが本当に面白くて千里はいつもそこだけ見返すことが多いほどだったのだ。


「恭平……私も別に構わないと思うよ」


「恵梨さん……」


 恵梨は知っている。

 恭平がどれだけ頑張っているということを……。大会では好成績を収めているが、彼は大会に出る度に自分が一番弱いという錯覚をしており錯覚通りに一度だけ大会で最下位を取ってしまったときはあまりの緊張感に壊れてしまっていたことがあったほどだった。


 そんな彼が今では大会のMCやナレーションを務めることが多くあることを恵梨は近くから彼の姿を見ていたからこそ、メン限で偶に彼が弱気なところを見ているのを知っていたからこそ彼女は否定することはなく、これ以上何かを言うということはしなかった。彼女は近くから恭平のことを見ていたからこそ……。


「まあ……どうするかはガチファン君次第だよ!嫌なら嫌でいいと思うし、聞いてみたいなら聞いて見ればいいし好きにしな!!」


 ボウリングの球を手に取って戻って行く香織。

 それ以上何も言うことはないと言った様子で香織は再び自分のレーンに戻り、少年とのボウリングを楽しんでいる様子だったが恵梨の中では一筋の不安があったのだ。





『アンタが今私にしていることってそいつと同レベルのことじゃないの?』


 あの竜弥に恭平のファンレターが響くのだろうか。

 今の竜弥に恭平の言葉が響くのだろうか。香織はあの竜弥のことについて竜弥じゃないという答えを出したままにしながらもボウリングを続けている様子だったが、恵梨の中では彼という人物が頭を悩ませる存在になっていたのだ。


「大丈夫だよ恵梨」


 恭平が三人の言葉を聞いて少し悩んでいる様子を恵梨が眺めていると、千里が恵梨の肩を掴みながらも穏やかな表情で恵梨の方を見る。


「恭平君の言葉……きっと竜弥にも響くよ……」


 千里はあの竜弥のことを最初から竜弥だと信じているからこそ出る言葉だった。

 あの竜弥が復讐しようかとどうか迷っているということも知っている千里はあのときの彼からすれば間違いなく優しさに包まれたようなものだったんだろう。竜弥自身もそういう顔をしていたからこそ、彼女はあの竜弥がただ暴力的な人間ではないということを知っていたのだ。

 だからきっと恭平の言葉も通じるはずだと認識しており、千里の言葉を聞いて恵梨も千里の言葉を信じてみようと思ったのだ。







「樫川……こんな時間に事務所に来てもらって悪いな」


「いえ、気にしないでください」


 舞台劇に出ることになった竜弥は早速事務所に呼ばれて、澤原から舞台劇の台本のコピーを渡されていた。コピーを渡された竜弥は台本を読みながらもこの物語がよくある王道ものの展開だと言うことを知りながらも舞台劇だということであることを思い出していた。


『竜弥君、あんなにも大人数の中で目立ってたわよ!』


 当時の竜弥からすれば首を傾げる内容でしなかった。

 自分の出番はたった三人の手下の中の一人であり、台詞も数台詞ほどしかなかったのに褒められた竜弥は首を傾げるしかなかったのだが……。


「舞台劇か……懐かしいな……」


 小学生振りの劇。

 自分はあまり劇というものを知らなかった為、竜弥は澤原から貰ったVによる舞台劇。題名は『姫と四人の家来達』というもの。あるとき、姫を守るはずの家来たちがひょんなことから仲間割れを起こしてしまう。そんなとき、姫様のもとにある一人の人間が現れてしまい戦いに敗れた姫様は助ける為に四人の家来たちが絆を育みながらも一人の人間に立ち向かうという話とのこと。


「話自体は割と王道的な展開なんだが……どうする?引き受けてくれるか?」


「俺の答えは言ったはずですよ、今回の舞台劇。面白そうという理由で参加しましたがこんないい機会を与えられて参加しない訳には行かないですよ」


「そうか……じゃあよろしく頼む樫川」


 澤原は微笑みながらも竜弥の参加を嬉しく思っていた。

 自分と似たようなものである竜弥とこうしてちゃんとした形で話が出来るということも少し嬉しくなりつつも彼は事務所に届いていたあるものを彼に渡すのであった。


「これは……?」


「お前宛のファンレターだ……。何通か、届いていたから後で目を通して見ろ」


「ありがとうございます……」


 竜弥はファンレターを受け取りながらもある一通の手紙のファンネームのようなものが気になっていたのはそれに見覚えがあったからだ。名前は『GENDEN』。







「この名前は……恭平か……」


 









「代役の子決まったで」


 ある一室の楽屋で女性が高校生ぐらいの女子高校生にそう伝えていた。

 二人は樫川竜弥とは今まであまり関わりこそ薄かったが彼のことを知っていた。特に彼女から代役の子が決まったと言う話を聞いた女子高校生の方は最初こそ「ふーん?」とあまり興味なさげに聞いていたが、彼女の口から「神無月ロウガ」という名前を聞いて目を見開いて驚いてる様子だった。


「まさかあいつが代役とはねぇ……。まあ、この役回りなら誰でも良かった気はするけど、あいつがあの役回りを担当するなら少しぐらい面白くはなりそうねぇ。アンタもそう思うんじゃないの?」


「ウチは竜弥のことあんま知らへんからなぁ!でもウチもあの子が只者じゃないというのはなんとなく分かっとったから楽しみではあるで!!」


 関西弁を慣れているかのようにして喋っている彼女に対して、女子高校生の方は彼女の言葉から出る明るくて元気の良さに光そのものようなものを感じ取っていた。これが彼女が人を明るくする源とかいうのを気づいていたのだが、やかましくて自分が知っている『與那城静音』という人物を思い出しそうになっていた。





「まあなんにせよ……私たちは私達で全力でやらせてもらうだけよ。そうよね?紀帆」



「せやな!!玲菜!!!」


 玲菜と紀帆、二人が意気投合し合い決意を固める為に腕を一緒に重ね合っていると、扉が開く音が聞こえてきた彼女達二人はその扉の方へ意識を持っていくとそこには一人の老人の姿があった。






「代役の者が……決まったのですね」


 

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