第64話 一週間後の約束

「お兄ちゃん、この前の話なんだけどね」


「おい、俺はゲーム実況者なんてやる気ないぞ……」


 高校時代、私はお兄ちゃんの実力ならゲーム実況者になれるし余裕で有名になれると勝手に盛り上がっていた。お兄ちゃんは私が最初この話をしていたとき「正気か?」と言いたげにしていたのを覚えている。肯定も否定もしないお兄ちゃんが素でそういう顔をしていたんだからきっと本当に変なことを言っていたんだろうというのは分かっているつもりだったけど、お兄ちゃん程のゲームの腕前があるならそれは誰かに見せるほどの力もあるということだと私は思っていた。



 本当に変な話だけど……。



「じゃあこうしよ、もしお兄ちゃんが勝ったらゲーム実況者の話はなかったことにしてくれていいよ」


「なんで話を進めてるんだ……そういう冗談じゃなかったのか……」


 お兄ちゃんは私が言っていることはあくまでただの冗談だと認識していた様子。

 そりゃあそうだよね。私だってお兄ちゃんのゲームの腕前を最近間近で見ることがあって「お兄ちゃん、そんなにゲームが上手いならゲーム実況者になってみたら?」と言ってしまったことが全ての始まりなのは間違いない。こう言われると褒められてるのか貶されてるのかどっちなんだろうと頭の中で自問自答を繰り返す人もいるかもしれないがお兄ちゃんの場合は本当に「はぁ……」と言いたそうな表情をしていた気がする。


「……因みに俺がゲームで勝った場合はどうなるんだ?」


 一応聞いておこうと思ったのか、話に喰いついて来たお兄ちゃん。

 この時点でこの勝負はこっちの勝ち同然もいいところだったのだから。え?なんでって……。



 だって私は……。


「三ヶ月私がラーメン奢るよ」


 お兄ちゃんは何も言わず、二人分のコントローラーを用意してゲームを準備し始めようとしていた。私はコントローラーを手に持ちながらもスティックやボタンの触り心地を確かめていた。私は私でゲーム機を持っていて自分のコントローラーとは触り心地が一緒かどうか確かめていたのだ。連打するゲームをやったり長時間ボタンを触ったりしていたら若干のボタンの硬さとかが変わって来ることもある。


 意地悪なお兄ちゃんは自分があまり使っていないコントローラー。

 つまりはお兄ちゃんが普段全く使っていないコントローラーを渡してきたことが明白だった。ボタンは硬く、スティックも少し動かし辛い。大人げないとはいえお兄ちゃんからすればこれから三ヶ月間無料でラーメンを食べられるかもしれないというのは夢のような提案。負けるわけにはいかないという気持ちが表れれているのが分かった私は少し燃え始めていた。


「ゲームはどうするんだ?」


 お兄ちゃんから「ゲームの指定は?」と言われて私はお兄ちゃんが持っているゲームの中から数ある中で愉快なパーティーゲームである格闘ゲームを選ぶことにした。このゲームはお兄ちゃんも得意としているゲームだけど私には勝算があったし、お兄ちゃんも自分に有利なゲームを選んでくれたと思っていたのだろう。





 でも……さっき言っていたことを覚えている?

 私は勝負に引き込めた時点で勝ちとも言っていたし、勝算もあるとも言っていた。場外戦術を使うような冷めるようなことでもなく、ゲームには必ずある必勝法というものでもない。



 それは単純に……。





「結衣……ゲーム上手かったのか……」


「あれ?お兄ちゃんとゲームしたことなかったっけ」


 お兄ちゃんは自分が負けたと言う事実に口元を抑えながらも驚きを隠せずにいたのを見ていて、清々しいほど勝ったという気分になっていた。普段はラーメン馬鹿で千里さん馬鹿なお兄ちゃんが目玉を開いて驚愕している顔が最高にたまらなく、気分が高揚して自分の体が震えていることに気づくのは大分後になってからだった。


 負けたのがよっぽど悔しかったのか、お兄ちゃんはもう一戦を申し込んでくるものの結果だけ伝えるとお兄ちゃんはまたしても敗北の味を知ることになってしまい、屈辱というものを知ることになっていた。


「約束覚えてる?」


「……ゲーム実況者になる、だろ。はぁ……まさか罰ゲームの結果でゲーム実況者になることになるなんてな」


「人聞きが悪いよ、お兄ちゃん。これは罰ゲームじゃないよ。私は本気でお兄ちゃんなら超大手ゲーム実況者になって公式の配信やらにお呼ばれするほどの存在になるって信じてるんだよ?」


 罰ゲームという言葉に引っ掛かった私が訂正するとお兄ちゃんは「分かってるよ……」と言いながらも自分が敗北したという事実を確かめる為か、モニターの画面を確認して少し面倒くさそうな表情をしていたを覚えている。


「俺が大手になれるって証拠は……?」


「そういうオーラを纏っているからかな?お兄ちゃんは相手の言う言葉に否定も肯定もしないし、子供の相手をするのも好きなタイプだからきっと子供達に人気が出るタイプだよ。だから安心して見てられるゲーム実況者として人気になれるよ」


「そ、そうか……」


 お兄ちゃんは「そうなの?」と言いたげにしながらも首を傾げていたが私の話を聞いていた。まさかこのときは私の言っていたことが予言のようになってしまったのは本当にびっくりさせられた。お兄ちゃんのことを客観的に見ただけだったのにまさか本当に子供達から人気が高くなって知る人と知るゲーム実況者みたいになったんだから……。







「お兄ちゃん、ゲームしてるのはいいけどもうちょっと音量と声量下げてよね。お兄ちゃんの声響いているんだから」


 ゲーム実況者を始めたお兄ちゃんは勢いとノリでほぼ始めたようなもので、誰かが見てくれたらそれでいい程度で最初は思っていたようだったけど徐々に色んな人に見られるようになったのをこの後の話である。









 そして……あのときが来ていた。


「お兄ちゃん……遠くに行かないよね?」


 お兄ちゃんが自分独りで暮らす事はずっと前から聞かされていた。私にも言ってなかったようだがゲーム実況者も自分の中では引退するということを考えてたみたいだった。仕事のためということもあったんだと思う。なにより、私やお母さんの負担にならない為にも大学には行かずとっとと就職して私やお母さんが安心して暮らせるようにしたいと言っていたけど、本当は違ったんだよねお兄ちゃん。







 私や……お母さん、千里さんの前から自ら消える為に選んだんだよね。





『琉藍さん……』


 二年ぶりに再会した琉藍さんはオーバーサイズのパーカーを着ており、手が袖から出ていない状態でこちらに手を振っているのを見て私も手を振り返していた。琉藍さんと久々に会って思ったのは彼女という人間は変わっているところが特になく、私は少し安心していた。二年ぶりに再会して変わってない様子を見てもしかしたらお兄ちゃんも当時のまんまかもしれないと淡い希望を抱いていたのは私が当時のお兄ちゃんが大好きだから。







「お兄ちゃんからの電話……?」


 三月ももうすぐ終わりを迎えようとしている頃、私が家の中で春休みの課題をしていたところにスマホが鳴っているのを見て私がスマホを手に取って確認すると、そこにはお兄ちゃんの名前。私は自分からお兄ちゃんが電話をしてくるとは全く思ってもいなかった為、動揺しながらも電話に出ることにした。


「久しぶりだな……結衣」


 お兄ちゃんの声は当時とは変わっていた。

 高校時代のお兄ちゃんのように何処か熱く安心感のある声であったが、今のお兄ちゃんの声は冷静でありながらもその実は怒っているような声を出していたが当時のお兄ちゃんだと思わせるような何かも感じ取った為、私は余計に頭が混乱しながらもお兄ちゃんに対して「久しぶり……」と返すのであった。


「……三年も連絡してなくてごめんな結衣」


「いいよ、お兄ちゃん……」


 こういうときは偶には電話してきてよ、とか言うべきなのかもしれないけどお兄ちゃんが真剣な様子で電話をしていた為、茶化すようなことはしなかったがこの重苦しい空気をなんとかするためにも言うべきだったかもしれない。


「お兄ちゃんは……元気してた?」


「ああ、俺は元気にしてた。結衣の方はどうなんだ?来年は高校三年生だから受験とかもあるんだろ?」


「うん……私も元気してたよ、ラーメン屋ばっかりに行くラーメン馬鹿なお兄ちゃんとは違ってちゃんと健康に気を遣って魚や野菜も食べてるよ」


 前言撤回、私はどうもこの重苦しいものに耐え切れずに軽く冗談を言ってしまう。ラーメン馬鹿と言ったのはお兄ちゃんが文字通りラーメン馬鹿だからである。そして私は決まってお兄ちゃんのことを他人に紹介するときはいつもラーメン馬鹿だけどいい?と言っていることが多かったからだ。


「今は週四でしか食べてないぞ……」


「普通に多いよ……」


 兄ちゃんからすれば自重しているのかもしれないけど私からすれば多いとしか思えなかった。高校時代は週七で食べていたから毎日食べていたも同然。そんなお兄ちゃんを見兼ねた千里さん達がラーメンを禁止制限を出したが一週間だけ抜くのに成功させたがお兄ちゃんが魂を抜けたようになってしまったため、仕方なくあの四人は週五ならと甘やかしてしまったのだ。


「……健康に気を遣ってるって言ってたけどお前何食ってんだ?秋刀魚とかアボカドとかでも食ってんのか?」


 お兄ちゃんは適当な野菜や魚の名前を出している。

 秋刀魚なんて今の時期高くて食べられる訳ないじゃん。流石社会人のお兄ちゃん。お金持ちもいいところだねと兄のことを少し羨ましそうに見ていた。


「……え?もっぱらプロテインだよ?」


「お前一応聞くけど、ちゃんと運動はしてんだよな?」


「え!?プロテインって運動必要なの!!?」


「当たり前だろ!!?」


 知らなかった。プロテインが飲むだけで徐々に痩せたり筋肉が膨れ上がったりすると信じてたのに……。私はプロテインに対してがっかりにさせられながらももう立ち直れない状態にまでなりながらも私はあることを思っていた。



「お兄ちゃん……やっぱり変わってないな……」


「お前も相変わらず抜けてんな……」


 私はいつも周りから抜けている、抜けていると言われることが多くて移動教室なのにノートや教科書を忘れたり、もうこれで安心と思って行こうとしたときに限って忘れたりしちゃう。


 そんな私のことを可愛い、可愛いって言ってくれる子もいれば「馬鹿」と貶してくる人もいた。そんな光景を外で見ていた中学時代のお兄ちゃんは威圧感だけで撃退して私のことを守ってくれた。


 中学時代のお兄ちゃんはいつもピリピリしていて怖かったけど私に対していつも優しくしてくれていたから本当に嬉しかった。高校時代とゲーム実況者時代のお兄ちゃんはこんな言い方気持ち悪いけど聖父を見てるようで本当に優しかった。



 あの日までは……。


「結衣……」


 お兄ちゃんは何かを言うのを躊躇っている様子。

 お兄ちゃんが刺され、千里さんが声を失ったあの日。

 お兄ちゃんはあの日から何かが変わってしまった。きっと千里さんの声を失わせてしまったことに対する罪の意識が強過ぎたからお兄ちゃんはあんなにも辛そうな顔と声をしていたんだろう。


 そしてそれは今もきっと……。



「お兄ちゃん……一週間後話をしない?」


 いきなりの提案。

 お兄ちゃんは驚くかと思っていたがどうやら違ったようだ。自分がたった今言おうとしていたことだった為、特に驚くことはなかったんだろう。


「それまでお互いに色々と気持ちの整理をしたいと思うから……一週間後私たちの家の前で会おう?」


 これは賭けだった。

 お兄ちゃんはこの賭けを断る可能性は高いと見ている。断られても私はきっと「なんで?」とか言わずにただ「そうだよね」と言って終わるかもしれない、少なくともあのときはそうだったけど今は違う。私はお兄ちゃんの妹として話をするべきなんだと思っていた。例え血は繋がっていなくてもお兄ちゃんの妹として話をするべきなんだって……。



 そうだよね、琉藍さん……。


『リューとゆーちゃんは確かに遺伝子的には血の繋がりのない兄妹なのかもしれない。それでも私は二人で歩み寄るべきだと思うよ』


 琉藍さんは私からお兄ちゃんとは血の繋がりがないと言われたとき、頭がぐしゃぐしゃになっていたのにも関わらず、面倒だと思っていたのにも関わらず私たち兄妹がするべき道標をしてしくれた。


 だから私は琉藍さんに言われたようにお兄ちゃんと話をするべきだと考えることができた。お兄ちゃんの苦しみや痛みを解放させる番だと……。




「わかった……一週間後待ってる……」





 ◆


 まさか結衣の方から会いたいなんて言ってくるとは正直思ってもいなかった。

 結衣、お前も変わったということなのか……?俺はスマホを閉じようとしたとき、この一週間以内で聞き出そうとしていた一人目の人物から連絡が来ていることに気づいた。









 それは澤原瑛太……。

 あの人は間違いなく、俺と同じく……虐待をこの目で見ているからだ。




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