第62話 蟠ゥ繧瑚。後¥莠コ譬シ

『あのさ……まあ気持ちは分からないでもないよ。ずっと虐められた奴のことを勝手に止められて勝手にはい、おしまいって感じ出されてるのが胸糞悪いのは分かるよ。でもさ……いつまでもあんな奴らに引っ張られてたらいつまでも縛られ続けられることになるよ』


 姫咲香織のあの言葉が俺に何度だって突き刺さる。

 俺は戻れるなら何度だってあの男をこの手で殺してやりたいと言う気持ちがある。あの日、千里の全てを奪ったあの男を殺せるなら俺は何度だって時間を巻き戻してやる。





 香織さんのあの言葉が何度だって僕に突き刺さる。

 僕は母親に殺せるチャンスがあると言うのなら何度だってこの手で殺してやりたいと言う気持ちがある。母親と暮らしている間に感じていた恐怖心というものを殺す為ならば僕は何度だってあの人を殺してやるつもりだったはずなんだ……。



「だけどあいつあの人はまるで俺に復讐をするなと言っているように聞こえていた」


 それは僕にとって……俺にとって……死ねと言っているようなもんだ。

 だからこそ俺は……僕は……姫咲香織の言っている言葉が正しいとは思えなかったからこそ……。





復讐していいぞ復讐していいよ


 と言い放ったのだから。





 ◆


「……もう一度言ってみろよ女オタク」


「うわっ……出たよ。女オタクをこの上なく恨んでいるような性根が腐っている人間みたいな声の出し方。そりゃあ、女オタクだって治安の悪い人だったり民度がアレな人だったりがいるのは認めるけどさ……。そうやって一括りされるのが一番ムカつくんだよね」


 竜弥っぽい人物が放った女オタクという言い方が軽蔑の意味合いを含めて言っているのをなんとなく気づいていた香織は早口で自分たちのことを語り出していたが聞いている竜弥は心底どうでも良さそうな表情をしており、次の瞬間……。


「聞いてねえよそんなこと」


 と投げ返すのであったが香織は言葉をやめることはなかった。


「知ってる……。というかさっき子供の前でほぼ直球で殺していいなんて言ってたけどああいうの痛いって気づかないの?ああいうことを無責任に言う馬鹿がいるから子供は間に受けて悪い影響を受けてるって言うのを知らないの?本当に馬鹿じゃないの?そんなことも分からないの?」


「さっきからうるせえんだよ……!!!」


 竜弥だと思われる人物は香織の服の襟元を掴んでそのまま壁の方へと激突させたことにより、香織の背中に痛みは生じていたが香織は動じることもなくただ竜弥だと思われる人物を睨むようにして見ていた。


「これではっきりとした……こいつは竜弥じゃない」


 自分のことを壁へと激突させたことにより今目の前にいるのは竜弥ではないということをはっきりとさせた香織。今の彼ならばもし自分のことを壁へと激突させることもあっても躊躇いがあるはずだろう、少しでも自分のことを親友だと思ってくれているなら……。


 しかし、今の目の前いる竜弥だと思われる人物は何の躊躇いもなく自分のことを壁へと放り投げて来た。この事実により少なくとも絶対に今の竜弥ということを否定されたことで彼が二重人格者であるという説を更に加速させていたが香織は何か違和感を感じていた。


「……二重人格じゃない」


 先ほどこちらに向かって来たときに感じたものは二重人格などではなかった。まるで多重人格かのように目は怒りで満ち溢れており、目元は泣いているようにも見えていたのだから。


 そう、つまりこれは……。


「多重人格……!」


 香織はこのとき少し参っていた。

 二重人格の漫画やアニメ、ゲームなどと言ったものをよく見たことがあったが多重人格となると知識がかなり限られていたのである。


「参ったなぁ……でも気になることがあるから聞き出さないと……」


 こんな展開は本当に漫画や映画の世界でしか見ないと思っていた香織にとって初めて現実の世界でこういう体験をして思ったことがあった。


「二度と経験したくないな……こういう体験は……」


 軽口を叩いている香織であったが、今目の前で起きている現実の出来事を見て多重人格というものが面白そうという認識を改める必要があると感じていたのだ。


「よくよく考えてみたら二重人格って大抵もう一つの人格は悪い人格というのがお決まりだったしなぁ……」


 と彼女は物語の中での多重人格と言うものを改めて認識しながらも竜弥に服の襟元を掴まれているこの状況に対してどうも感じることもなく減らず口を続ける香織。


「こういうの壁ドンって言うんだっけ?」


 どう考えても今言うべき言葉ではないが、彼女は彼からある言葉を吐き出させるために必死な作戦に出ていた。それは先ほど彼が虐められていた子供に対して「復讐してもいい」という言葉を放った理由。


 それを知るまでは彼女は抵抗することはなかったのである。


「随分とペラペラと喋るもんだな、自分が今置かれている状況が分かっていないのか?」


「え?壁ドンされてるんでしょ?違う?」


 香織は軽口を叩くと、竜弥?だと思われる人物は睨むようにして彼女のことを見ていたが恵梨のときのように殴ろうとはしていなかったのには理由がある。それは彼女を此処で今殴っても自分の腸が煮え来るのが終わるのを迎える訳ではなかったからだ。


「こういうのはさ……千里にしてあげなよ?私にしたら普通に浮気だよ?」


 彼女から千里の名前を聞いたとき、彼は後ろめたさがあるのか一瞬後ろを向いていたのを見てこの竜弥でも彼女への感じる思いがあるのを香織は気づくことはなかった。


「……ねぇ、さっきキッズに復讐してもいいってなんて豪語してたけどあれ本気で言ってる訳?復讐していいって言うのはあの子の場合いじめっ子を殺すことだってアンタも分かってるんでしょ?」


 偽竜弥の口から説明が出るまで待とうとしていたが、これ以上待っていても口から出ることはないと判断した香織は自らかが聞き出そうとしていたことを聞こうとしていたのであった。


「ああ、そうだ。あの子供は復讐をすることを望んでいる。だから俺はその後押しをしてやろうと考えたわけだ。殺したいほど憎いなら殺してしまえばいいのだからな」


「……はぁ、やっぱり聞くんじゃなかった」


 思っていた通りの回答過ぎて香織は心底面倒くさそうにしながらも溜め息を吐き、一旦自分が感じていた感情をリセットさせて落ち着かせようとしていた。


「ねぇ、それ本気で言ってるの?あの子に四人も殺せって言いたいの?だとしたらアンタ本当に最悪だよ。馬鹿を通り越して間抜けもいいところだよ。だってあの子に殺人鬼になれって言ってるんだからさ」


 人を殺すことがダメだということが完全に抜け落ちている。いや、完全にどうでもいいと思っている偽竜弥に対して彼女は呆れを通り越して何も言えなくなっていた。


 彼が嘘でそんなことを言ってると思えないし、嘘で言っていても何も言えないというのが本当なところだろう。香織は聞きたかった言葉が返ってきたし後はもうどうでもいいと思っていたが、彼をこれ以上強大なものにする前に説得を試みようとしていた。

 結果がどうなるのは分かっていたが……。


「あのさ、一人殺せば二人も三人も変わらないとかいう馬鹿いるけどまさかそういうことを言いたいんじゃないよね?」


 偽竜弥からは返ってくる言葉がない。

 彼女は心で理解した。彼は心の底からそう思っているんだと……。そして言葉を何も返すことがなかった理由はこれ以上彼女の前で喋ることはないと思っていたからだ。


「一つ確実にわかったよ、アンタが竜弥じゃないっていうこと……。それだけは確かに言える。だからもういい、一生そうやって言ってればいいと思うよ。自分の言っていることが正しいんだって……本当に笑えるけどさ」


 暫く黙り込んでいた偽竜弥は自分の目を閉じて自分だけの世界に入る。その世界に彼の中の疑念が集まっていた。疑念が集まっていたのには理由がある。


 それは姫崎香織はもっといじめられっ子という点である。

 彼女はこの点がある為彼の気持ちが分かるはずだと思い、彼女が「復讐してもいい」と言うだろうと信じていたのだ。人の痛みを知る者ならそれぐらいは言うだろうと……。


「何故だ?何故香織は自分がオタクだオタクだと貶され馬鹿にされていたのにも関わらず何故そうやって肯定しない?」


「やっとちゃんと喋ったと思ったら随分とつまらないことを聞くんだね。さっきキッズに言ってた言葉を聞いてなかったの?それにアンタが竜弥なら竜弥は知ってるでしょ?私は復讐するなら別のやり方を取るってこと」


「いじめてきた奴を打ち負かすために自分の立場を上にする。それが香織のやり方だったな。だがその程度に虐められていたという事実は変わらないはずだ。なのに何故……」


「ふうん?ちゃんと知ってるんだ?だとしてもだよ、虐められたから虐めた奴を殺す。それじゃあ自分の手を汚すことになるし自分の人生をぶち壊すことになる。私はそれが嫌だったから虐めてきた奴をぎゃふんっと言わせるぐらい相手より上の立場になればいいだけの話だって私はそう思ったよ。あーそれとさ一つ言わせてもらうけどそういうことを聞くってことは偽竜弥もそう言う経験があるってこと?じゃあ尚更言いたいことがあるんだけど……」







「アンタが今私にしていることってそいつと同レベルのことじゃないの?」


「!!!?」


 偽竜弥は初めて図星を突かれたのだ。

 香織が偽竜弥の本質を突く言葉に何も言えなくなってしまい自分の行動に驚くことしか出来なかったのだが彼は香織の言葉を聞いて尚今更自分のやったことに対して引き下がる気はないと決めたのだ。彼女に自分の本質を突かれた以上此処で痛めつける必要があると……。


 偽竜弥は両手で掴んでいた襟元を片手で掴み直して彼女の顔へと拳を強く当てようとしていたが人に見えないような場所を選んでいたこの場所にある一人の人物が現れる。


「竜弥……?いや竜弥じゃない……貴方は……!!」


 危機一髪の状況で助けに来たのは恵梨だった。

 子供から先ほどの件もあって助けを求められた恵梨。青年が暴れていることを聞いてあのときの竜弥がまた現れたんじゃないかと思った恵梨は二人に何も伝えることはなく、この場に来ていたのだ。


「チッ……」


 恵梨が来たのを見て白けるような表情を浮かべる偽竜弥。

 二人にこの場に現れた以上一番知られたくない人物に彼は見られることを予想して香織から手を離してその場を離れようとしたときであった。


「逃げるの?」


 恵梨の言葉に対して一瞬足を止めようとしてしまう偽竜弥であったが、此処で彼女の言葉に一々目くじらを立てるのは得策じゃないとすぐに判断して彼はこの場から去るのであった。


「待って……!!」


「ちょっ、ちょっと待て恵梨!」


 偽竜弥を追いかけようとしていた恵梨に対して香織は「一旦ストップ!」と言いながらも恵梨が行こうとしていた道を通せんぼしようとしていたが恵梨は無理やり強引に通って行き、彼女は偽竜弥を追いかけようとする。


「はぁ……自分もやっていたとはいえ今彼を刺激するのはやめた方がいいのに……」


 香織は自分が彼のことを刺激していて分かったことがあった。

 それは彼は刺激すればするほど強行手段に出るところがあると気づいていたのだ。その手段の最果てが自分への暴力を振ろうとする行動だったのだと。


「でも行ってしまった以上仕方ないよね……ん?」


 行かせてしまった以上恵梨が彼のことをなんとかしてくれることを期待すると言う淡い期待を抱きながらも彼女はボウリング場で待とうとしていたとき、彼女の後ろにはある人物が立っていた。





「なにが悪い……!なにが悪い!俺が戻れるならあの男に復讐したいと言う気持ちがあると言うことが何が悪い!!香織だってそうじゃないのか!?あの日戻れるならあの男を殺して平和な未来を得ようとすることに何処が悪いんだ……!!」


「なにが悪い……!なにが悪い!僕はいつだってあの人のことを殺そうとしていたことが何処が悪い!!あの人がいなければ僕がずっと殺されかけるという悪夢から解放されることが出来たのに……!!なのになんであの人は……香織さんは復讐なんて意味がないと言うんだ……!!」


 手洗いの中、二つの人格が入れ混じっている樫川竜弥が鏡越しに映っている少年時代の自分と今目の前にいる高校生時代の竜弥が互いに互いの意思を自問自答のように繰り返していた。


「俺は悪くない……!悪いのは奴らだ……!!あいつらさえいなければ俺たちは……!俺たちは解放されたんだ……!!」









「解放されるんだよな……?」


 自分が今まで繰り返すように思い続けていた思いに対して初めて違和感のようなものを感じていたのだ。あの日もしそういう行動に出ていたのなら自分は……いや妹や千里をどういう風に見えるようになっていたのだろうか。


 鏡越しの自分に問いかけるようして覗いていると……。











「一人殺して二人殺す。二人殺したら三人殺す。三人殺したら四人殺す。そうして行くうちに俺は……血塗られた英雄となる」


 目の前にいる樫川竜弥が樫川竜弥だという確証を得られなかった竜弥は頭の中で混乱していた。自分がたった今目の前に見えているものが正しいのか分からなくなり、今にも発狂しそうになっていた竜弥は目の前にある鏡を何度も何度も自分の手で拭いたが消えることはなかった。


 「嘘だ」と信じたくないあまり竜弥はその場から逃げ出してしまう。自分はああならない。自分がああなることはない。自分があの二人を殺してもその後何人も殺したいと言う気分にならないはずなんだ。


 なのに……、なのにその感情を否定することが出来ない。


『あのさ、一人殺せば二人も三人も変わらないとかいう馬鹿いるけどまさかそういうことを言いたいんじゃないよね?』


 香織の言葉が竜弥の脳裏に何度も響く……。

 何かから逃げ続けるよう竜弥は自分の頭が今壊れ始めていることを知るのであった。休憩しようとお店の前で他人にバレないようにして息を荒くしていたが後ろにある鏡からは……。


『貴方は竜弥じゃない……竜弥を返して……』


 恵梨に言われた否定の言葉。

 今になってこの言葉が自分の中で胸が痛くなるほど痛みを感じてしまい、彼はその場から逃げ出すようにして再び走り始める。逃げても逃げても聞こえてくるのは自分を否定する言葉。


 気づけば外に出ていた竜弥。

 誰もいないところまで自分が走っていたのに気づき、彼は空を見上げるとそこは真っ暗な雲が広がっていたのが見ていた。一度落ち着くようにして深呼吸をする竜弥にこんな言葉が聞こえてくる。




「なんで……殺したの……お兄ちゃん……?」






「なんで……殺したの……竜弥……?」


 聞こえるはずがない二つの幻聴。

 竜弥にとって今の自分を否定されそうなその二つの言葉は彼の中で握り拳を作るほどの言葉であり、暗雲立ち込める暗い影を更に暗い影へと引き摺り込まれそうになっていた彼は幻聴に対してこう言う。









「千里はそんなこと言わねえ!!言わねえんだ!!あいつらはあいつらがそんなこと言うわけね「もういいんだよ竜弥……」」





「え……?」









「辛かったよね」












「千里……」

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