第61話 破綻する人格

「何度だって何度だって僕の中からあの記憶が消えることがない」


 母親に殺されかけた竜弥にとってあの出来事は忘れがたいものでしなかったのだ。

 路地裏で風夏に「先に行って欲しい」と言った竜弥は一人取り残されながらも、残りの焼きうどんパンを食べていた。


『僕は……いい。だけど妹は……』


 消えない記憶の傷跡を一生背負わされることになった竜弥。

 彼は何度も何度もこの記憶を消そうとしていたが記憶の欠片から消すことが出来なかったのである。


「それにしても風夏さん……」


 初めて感じた感覚に樫川竜弥は戸惑っていた。

 自分はこの感覚を感じた事はないが他の樫川竜弥が人の優しさというものを知っているのだとしたら少しズルいなという感覚を抱いていた竜弥。


「みんなああいう体験をしたことがあるのズルいなぁ……」


 初めて体験して実感した感覚を彼は噛み締めていた。

 彼は今まで人から優しさというものを感じることはなかった。母親はずっと朝からパチンコ三昧で妹の面倒を見て来た竜弥には人の優しさというものを実感する時間がなかったのだ。誰かからの優しさというものを肌で実感することがなかったからである。


「まだ知りたいことはあるけど体を一旦返さなきゃいけないよね、ごめんね僕。勝手なことをして……」


 過去の自分としてまだ他の人物から知りたいことはあるものの過去の竜弥は今の自分に体を返す事にしたのである。





「体が返って来たか……」


 自分の体が返って来たことに気づいた竜弥。

 すぐさま隣にいたもう一人の自分も返って来て「大丈夫?」と問われるが、竜弥は「大丈夫だ」と答える。


「あいつもまた俺の一部なのか?」


 と彼が聞くと、もう一人の自分は頷きながらもこう返してくる。


「彼は僕達にも彼にも非協力的なんだ。ただ一つだけどうしても決めていることがあるらしくて……」


「決めていること……?」


に必ず復讐をすることらしいんだ」


「……そういうことか」


 竜弥はある人物というのを誰のことなのかすぐに理解しながらもみんなの下へと戻って来るのであった。





「恭平大丈夫なんか?さっきから随分ソワソワしとるみたいやけど?もしかして風夏のことが好きになったんか!?」


「ち、違う……!ただ僕としてはちょっと気になることがあって……」


 風夏が戻って来る少し前、恭平はずっとソワソワしていた。

 そわそわしていたのは竜弥がやって来てからずっとであったがそれを他人に悟られないようにしていたのだが紀帆にそれを気づかれてしまったのである。無理もない、恭平は先ほどからずっとこっち行ったりあっち行ったりを繰り返していたのだから。


「恭平君どうしたの?他の人に言えないこと?」


 少し気になっていた千里が恭平に対して耳打ちで話を始める。


「え、えっと……」


 恭平はあることを千里に伝えようか、どうかを迷っている様子だった。

 彼が伝えようとしていたことは確かにあるのだがどうにも自分だけがこれを伝えるのは良くないと思い彼は……。


「な、なんでもないです……!なんでも……!ほらもう少ししたら新学期なんでちょっと不安だなって思ってだけですよ!!」


 誤魔化してしまうのだ。

 千里は何かを言おうとしていたのかまでは勘ついていたがこれ以上聞くのも得策ではないと感じ取り、彼女は引き下がることにしたのである。


「こんなことを言って反応を貰おうなんてしたら他の人からすれば不公平だもんな……」


 恭平は独り言を言うかのようにして言っていたがそれを香織には聞こえていたのか彼女は首を傾げながら「なんのことやら?」と言いたげに二人が戻って来るのを待っていた。








「よっしゃあああ!!これが姫咲香織の実力じゃあああ!!」


 ボウリング場で響き渡る香織の声。

 先ほどまでボウリングの玉を一人用の宇宙船に見えてしょうがなく笑いそうになっていた彼女の姿はなく楽しそうにストライクを決めて喜んでいる彼女の姿を見て大喜びをしていたのは同じチームとなった紀帆。竜弥も彼女を温かく迎え入れてお互いに手を握り合っていた。


「それにしても香織が此処までボウリングが上手いとは驚いたね……」


「俺も少し驚いたな……」


 竜弥と千里が香織のスコアを見ていたが先ほどから異常なまでにストライクやスペアを繰り返しているのだ。


「ほいほい、これが姫咲香織様の実力ですよってぇ!l!」


「うるさい……」


 少し香織の勝利の宴を少し耳障りそうに聞いていたのは恵梨。


「風夏さんたちも来れば良かったのに」


「用事があるみたいだったし仕方ないよ」


 恭平が「彼女達も来れば良かったのに」と言う反応をするが千里はそれに対して「忙しいみたいだから仕方ない」という言葉で返すのであったが、風夏たちが帰った理由は夕方からコラボ配信があるとのことで彼女は急ぐようにして事務所に向かって行ったのである。


「キッズ共の喧嘩か……?」


「じゃあ僕も行きますよ香織さん」


「待て待てそこで座ってなってガチファン君、黙って見てられないのは嬉しいことだけどさ」


 香織は面倒くさそうにしながらも隣のレーンで遊んでいる子供たちの様子を見るがどうやらただの喧嘩ではないというのをすぐに分かった香織はボウリングの玉を置いて子供たちの方へと向かうのであった。


「香織……手荒なことはしないであげなよ」


「それはあの子達次第じゃない?」


 少し不機嫌になっている恵梨の様子を見ながらも香織は子供達の方へ威圧感を放ちつつも向かうのには理由があったのである。それは目の前で虐めのような現場が行われていたからだ。


「やーいやーい!お前ずっとガターじゃん!!雑魚!!」


 周りから見ればただの子供が他の子を馬鹿にしているように見えるが香織にはあれがいじめだと言うのを分かっていたのには理由がある。それはこのボウリング場に来たときのことである、彼女が受付を済ませているとき一人の子供に飲み物を買いに行かせたり、ボウリングの弾を全員分持って来て行かせたりしている現場を見ていたからであり、その虐められている少年がバッグから何かを取り出そうとしているのが見えていたこともあって香織は動いたのだ。


「おいキッズ共!!いつまでその子を虐めてる!!恥ずかしくないの!!」


 大声で香織は子供達がやっていることに対して制止しようとするが、子供たちは彼女の大声に一瞬怯むが「で、でも……」と言葉を口篭らせる。


「でもとか関係ない!虐めってカッコ悪いことなんだよ!!それ以上するならあそこにいる元ヤンのお姉さんがみんなのことを成敗するよ」


「ちょっ……香織……」


 いきなり指を指された恵梨は困惑していた。

 まさか自分に流れ込んでくるとは予想だにもしていなかったからだ。


「も、元ヤン……!?」


「え!?元ヤンって本当だったんですか恵梨さん!?」


「はぁ……ほらこうなるんじゃん」


 恵梨は頭を抱えながらも香織は気にすることはなく言葉を続けようとしていた。


「そう!あのお姉さんはその昔、不良グループを一人で倒したという噂があるほどの元ヤンなの!!さあどうする!?今此処でいじめをやめるって言わなかったらこのお姉さんがキッズたちを痛めつけちゃうよ!!」


「香織……」


 唐突に巻き込まれたことに対して恵梨は溜め息すら出る事はなく、「自分を巻き込まないで欲しい」と言いたそうにしている様子だった。千里と竜弥は「あの噂本当だったんだ」と少し驚いている様子だった。


「で、でも……ど、どうせそんなのハッタリでしょ?僕らをビビらせるための……」


「ほら恵梨」


 恵梨は頭の裏を掻きながらも面倒くさそうにしつつ虐めていた子供たちの方へとガラが悪そうにポケットに手を突っ込みながらも向かって行くのであった。


 不良グループを潰したときの自分はもう誰にも見せないでいた恵梨であったが虐められている子が助かるならという気持ちでかつての自分を思い出しながらも彼女は目を開き、虐めていた子供達の目線に合わせつつしゃがみ込み、虐めていた一人の子供の肩を掴むと後退るようにして子供が逃げようとした為、恵梨は若干肩を掴む力を強くして逃げられないようにしていた。


 逃げられないようにされた子供は恵梨に対して恐怖心を募らせていた。

 子供の中で大人と言えどそんなに怖くないと言う認識は改めることになったのがこのときであった。


「ねぇ……虐めカッコ悪いよ?」


 その言葉はまだ口に出していないようだったが、彼女の全身がその言葉を発しているようなものだった。言葉を発した瞬間、彼女の声から感じる冷気のようなものに圧倒された子供たちは言い放たれた後の沈黙に負けてしまう。


「ひゃ、ひゃい……!!もう二度としましぇん!!」


 彼女に肩を掴まれていた子供は震え上がり、声を震わせながらも恵梨の言葉に何度も頭を下げつつ頷いていた。その頷きには恐怖心というものが明らかに含まれており、彼女を見ているだけで刃物を突き付けられているような気分になっていたのだろう。


「次はないよ」


 彼女は含みのある笑顔で子供たちの方から離れていた。


「うわぁ……ヤンキー恵梨未だ現在だね……」


「恵梨さん此処まで怖かったんだ……」


 後ろから見つめていた恭平は初めて見る恵梨の怖さに震え上がり、持っていたボウリングの弾を震わせながらも手に持っていた。


「香織……恭平?」


「ご、ごめんなさい!!」


「ご、ごめんってば……!!さっきはごめんね、急に振っちゃって!!」


 自分がヤンキーだと言われようが基本的にはあまりどうでもいいし、例の件も噂ではなく事実なのであるが香織から言われるのは絶妙に腹が立つので恵梨は嫌で嫌でしょうがなく、香織がそのネタを言う度に恵梨は咳払いをしていることが多かったのだ。


「はぁ……まあとりあえずこれにて一件落着!!こうしてまた日本の平和を守り抜かれるのであった……!!」


 と勢い巻いていた香織。

 ガッツポーズをしながらも喜びというなの歓喜に満ち溢れている香織の袖を掴んでいたのは虐められていた子供であった。


「ん?どうしたん?怖い同級生の子達なら私が追っ払ったよ」


 香織は虐められていた子供に目線を合わせるようにしてしゃがみ込んでいた。

 このとき香織は全く気付いていなかったが子供の方は握りこぶしを作り何かを言いたげにしていたのだ。


「なに一件落着みたいな雰囲気出してるんですか?」






「は……?」


 到底虐められていた子からとは思えぬ発言に香織は「は?」という言葉を言ってしまう。

 頭の中でこれがどういう意味をするのか理解するまで少し時間が掛かっていたが香織は理解した。


「ちょっとこっち来て」


 虐められていた子供の袖を掴むようにして歩き始める前に竜弥たちに「先進めてておいて」と言って彼女はボウリング場の外へ出るのであった。


「あのさ……まあ気持ちは分からないでもないよ。ずっと虐められた奴のことを勝手に止められて勝手にはい、おしまいって感じ出されてるのが胸糞悪いのは分かるよ。でもさ……いつまでもあんな奴らに引っ張られてたらいつまでも縛られ続けられることになるよ」


「分かっているならなんで邪魔しようとしたんですか!?僕が虐めっこを痛めつけようとして何が悪いんですか!!?」


「痛めつけようとして何をしようとしたのさ……?殺そうとでもしたの?……言っちゃ悪いけど」






「馬鹿じゃないの?」


 虐められていた少年は「ハッ」としたような表情で香織の言葉に気づかされたような気がしていた。彼はただ痛めつけようとしていただけではないことに香織は気づいていたのだ。バッグからカッターを取り出して彼らいじめっ子を殺そうとしていたことに気づいていたのだ。殺気を帯びた感情を彼は押し殺す事は出来なかったのだ。


「なんだよ……なんだよ……!!じゃあどうすれば良かったんだよ!!」


「そんなの……」








復讐していいぞ復讐していいよ


 少年が「え?」という表情で香織の後ろから見えている人物をこの世のものと思えない表情で見つめていた。香織は自分が「復讐していい」と言っていないのを確認しながらも自分の後ろを振り返ると、そこには抑えきれない怒りと底知れない悲しみが交差している竜弥の姿があった。


 彼の瞳は燃えるような激情で輝き、その奥には深い絶望が漂っていた。拳は怒りを表すようにして握り締められており、指先は血の気を失って白くなっている。その一方で彼の目元には涙の痕が残っており、頬には乾ききれない涙が一筋流れていた。


「キッズ……此処は逃げた方がいいよ。ただ逃げる前に一つだけ言っておきたいことがあるんだけど……。キミの人生だ、キミが決めるべきだとは思うよ。復讐を成し遂げたいなら成し遂げればいいけど復讐なんかよりスッキリするのは自分が虐めていた奴より自分が上になってみるとかさ……。前者を選ぶか後者を選ぶかは君次第だけどさ。私は……後者を選んだけどさ」


 一発で今の竜弥がやばいということに気づいた香織は子供の体を抱き抱えるようにして守っていた。


「後者を選んだ時どういう気持ちだったの?」


「ん?すっごい嬉しかったよ私のことをオタクだとかオタクだとか馬鹿にしていた奴らが私がバンドで活動をしているとき目ん玉開いて驚いてたもんね。だからキミもそうしたいならそっちの道を選びな……!!ほら行きな全速全身!!怖いお兄さんに捕まる前にさ!!」


 少年は彼女の言葉を噛み締めるようにして頷きながらも彼女と彼の前から去って行く……。

 去って行く子供の姿を見ながらも香織は目の前にいる竜弥と思われる人物を睨むようにして見つめている。


「初めて見たよ、現実で闇堕ちしている奴。それとももう一人の僕とかって言う奴?そういうのは漫画でしか見ないって思ってたんだけど……案外現実でも起きるもんなんだね……」









「ねぇ……竜弥のフリをしている中二病患者」




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