第29話 死にたかった人生

「随分遅かったな、竜弥」


 與那城は首を傾けポケットの手に突っ込みながら俺のことを馬鹿にするように笑っていたが俺は特に気にしていなかった。


「あれが今の與那城か……」


 容姿は特に変わった様子はなかったが、かなり変わっているように見えていたのは態度と口調だった。豹変した與那城の姿を一度は見ていたがまさかこんなふうに変わるなんてな……。


「私のことでも調べていたのか?」


 與那城に呼ばれてこの場に来ていた。

 まさか指定されていた場所が墓地だとは全く思っていなかったが、與那城が立っているあの場所を見る限り、あそこが與那城の母親が眠る場所なのだろう。


「勝手なことをして悪かったと思っている、だけど與那城を知るには結局誰かから聞くしかなかった」


 過去を知ったところでなんだと後悔していたのは事実。

 事実なのだが俺は與那城のことをもっと知るべきだと思い、與那城がかつて預けられていた児童養護施設のことを突き止めた。


「まあ調べたところで意味はないけどな」


「そうかもな……」


 結局、與那城のことを調べてもただの無駄足で終わるのかもしれない。

 あの日のように與那城に対して懺悔して終わることになるかもしれない、負の感情ばかりが俺のことを襲おうとしていたが俺はそれを全く寄せ付けないようにしていた。


 俺は與那城を一旦無視して與那城家の墓の前に立つ。


「すいませんがこれから貴方の娘さんには酷いことを言うかも知れません」


 小声で母親に謝罪をしながらも手を合わせていた。

 これから與那城に対してかなりキツいことを言うことになるかもしれない。そのための謝罪を彼女の母親にしていたのだ。目をゆっくりと開けて與那城の方を見ると俯いて下を向いていた。


「場所を変えよう、これ以上死者に気を遣わせる訳にもいかないからな」


 此処から先話すことはきっと與那城が反発してくるに違いない。そんな状況になれば、眠っている死者たちも起きてしまうだろう。それだけは避けたいと考えた俺は墓地から少し離れた位置にある駐車場に着いて二人で話をしようとしていた。

 幸い駐車場には俺の車しか止まっていなかった。


 場所を移すと言われた際、不服そうな表情を一つもせず與那城は俺について来ていた。

 何か一つでも反論すると警戒していたが意外とまだ素直のようだ。


「それで場所を移し替えてまでしたい話ってなんだよ?」


 まだ素直な心があったというのは訂正しよう。

 與那城は完全に俺のことを同期としてみておらず、仲間だと見ていないそんな目をしている。もっとも、それには此処に来た時点で気づいていた。

 目を瞑り開けば、そこに見えていたのは與那城の姿だった。意を決して俺は口を開いた。





「率直に言うぞ、今の與那城は母親のことすら冒涜している」


 思っていた通り、手はすぐに出ていた。

 與那城は俺の服をしっかりと掴み、力強く車に向かって投げつけた。怯むことなく俺は與那城の目を見ている。此処で怯んだりしたら一生與那城の本音を聞けない。





「樫川、今の発言は……私が耳に入れて来た言葉の中で一番私を怒らせた言葉だ」


 周囲の空気が張り詰めるほど冷たくなっているなかで與那城は更に俺の服を力強く掴んでおり、くしゃっと曲がっているようにも見えていた。與那城の怒りが頂点に達していた。それは見れば分かる通りだった。


「冒涜しているのはお前の方だろ?お母さんのことを何も知らないくせに代弁者のつもりかよ、笑わせるなよ。いつもの樫川なら私を諭すような言い方をすると思ってたんだけどな?」


 静かな火が引火しただけでなく、燃え盛る炎となっているのが見えていた。

 拳の握り締め具合がそれを認識させていた。


「それともなにか?施設から私のお母さんのことでも聞いてきたのか?」


「與那城の母親は凄い人だよ、体が昔から弱い人だったのに與那城のことを中学に上がるまで育てた。きっと大変だっただろうな」


 施設から與那城のことを聞いて来たというのは事実だった。

 俺はあいつのことを完全に理解している訳ではなかった。彼女の幼少期を知る為、施設を訪れてこの答えを導き出した。


「その娘もきっと母親みたいに逞しく育ちたかったんだろうな」


「人のことを分かったふうに言うんじゃねえ!!」


 金属が軋む音が聞こえてくる。

 俺の体が何度も何度も車のボディに叩きつけられている音だ。與那城は狂ったように俺の服を掴んで何度も何度も俺のことを叩きつけていた。目は燃えるように輝いており、力いっぱい何度も何度も……。

 背中に痛みを生じていたが俺は特に気にすることもなく動じることもなかった。


「はぁ……はぁ……」


 與那城が息を荒くしていた。一瞬車の様子を見たがボディ部分が凹んでいる様子はなかった。


「與那城、なんであの日公園で待っていた?あれは俺を来るのを待っていたんだろ?俺なら分かってくれるかもしれないって期待してたんだろ!?」



「うるせえ!!!親も妹もいるお前に私の何が分かるんだ……!答えろ、答えろよ樫川ァ!!!」


「家族……か」


 言葉が徐々に弱くなりつつ力も徐々に緩んでいく……。ああ、そうか。與那城からすれば俺は……いやこの話はいい。震え始めている言葉の数々は冷たい風のと共に流れていた。まるで状況が変わったことを知らせるかのように……。





「分からなくても俺は與那城静音の同期であり仲間だ」


「仲間……?出会って一年も経ってないのに?」


 與那城の動きが固まる。

 一瞬、與那城の瞳から炎の輝きは消えて静まったようにも見えていた。この様子、間違いない。まだ完全に正気を失ったわけじゃない。それにこの台詞何処かで聞き覚えがある。


「俺も似たようなことを言ったことがある。でもその人はこう言ってくれたよ、仲間に出会った日数も関係ないって……。俺はその人にそう言われて嬉しかった。心の奥底では仲間だと思っていたからだ。でも自信がなかったんだ」


「こんな俺でも仲間だと認めてくれるかって…‥」


「きっと”本当の俺"を知ったら幻滅するかもしれない。怖かったんだ、バレるのが……。でもその人は俺に何も聞かないと言ってくれたし俺のことを仲間だと言ってくれた。本当に嬉しかった」


 亜都沙、借り物の言葉とはいえあの言葉を借りる機会が来るなんてな……。

 しかも自分が情けなくなっているときの言葉を借りることになるなんて……。


「それでも……それでも」


「與那城……」


 再び與那城が俺の服を握り締めていたがその力には先ほどまでの強さはなくなっており、何処か弱々しい力だった。


「私は嫌だ……。昔の……自信が無くて劣等感の強い自分に戻りたくないんだ……あの頃の自分に戻ればきっと誰も受け入れてくれなくなる……」


 俺の服を掴んだまま、俺の体に顔を近づいてく……。

 與那城の表情を見れば瞼から涙が溢れており、今にも泣きそうになっていた。


「そんなことない、俺や千里がついてるだろ?」


「それでも嫌なんだ……私は……私は……」







「お母さんと一緒に死にたかっただけなんだ……」


 最後の言葉かのように弱く濁った声で與那城は発した。

 これこそがきっと與那城の本音だった。どれだけ家族というものが出来ようとどれだけ友人というものが出来ていたとしても彼女の心は埋まることがなかった。絶望の中に沈んでいた彼女を常に救っていたのは亡き母親であり、彼女は此処に来ることで安心感を得ていた。


「ずっと考えてたんだ、あの日一緒に死んでいればこんなに心が空っぽに感じることもなかったんじゃないかって……!」


 施設の人に聞いて分かったのだ。與那城は施設に居た頃、一週間に一回は墓参りに来ていたのを……。自分の心を落ち着かせる為であり、安らがせる為でもあった。


「分かってたんだ。私がしようとしていることは……してきたことは……お母さんから言われたことを無駄にして冒涜してたんだって……!でも……認めたらきっと私は自分を保てなくなるのが怖かった……!だから自分を強く見せて死にたいという感情すら忘れようとしてたんだ!!」





「ごめんなさい、本当にごめんなさい……お母さん……!!」


 崩れ落ちていく與那城……。

 與那城は決して弱い子なんかじゃない。やり方こそ今までかなり間違ってきたがそれでも與那城は與那城なりに母親が死んだことと向き合おうとしてきた。向き合おうとしてきたけど一人で抱え込むのには無理があったんだろう。

 旅館に行った後も言おうとすることはあったのかもしれないが自分は此処で頑張っていくんだという気持ちが先攻するあまり言う機会もなかったのだろう。

 その結果がこうなってしまった。


 俺はやっぱり與那城のことを責めることはできない。

 彼女に同情しているのもあるが……。なにより……。





「竜弥兄もごめんなさい……!今まで強く当たって迷惑かけて……!!本当にごめんなさい……!!」



 俺と同じだからだ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る