第34話

 わたしたちは、もう一度、家庭科室に戻る。

 調理台に設置しているシンクで手を洗う。

 冬夕は、手を洗うのをなかなかやめないでいた。しつこく何度も同じ動作を繰り返す。

 ようやく手洗いを終え、冬夕は席に着く。

「目星はついてる?」

 わたしの問いに黙って首を振る冬夕。

「ただ、」

 そう言ったあと、しばらく冬夕は黙り込んでしまう。珍しく、爪を噛むしぐさ。

 空調はさっき止めたから動いていない。

 どこからも音は届いて来ない。

 冬夕が口を開く。

「ただ、たぶん女子の仕業だと思う」

 たぶん、と言いながら断定しているような鋭い口調。わたしは、その判断の速さに戸惑いながら、問う。

「その理由は?」

「うん。まず、切り刻んでいること。汚そう、というよりも執念みたいなものを感じるの。汚すんじゃなくて、切断しているの。怒りが強いんだと思う」

 冬夕は、目を閉じて、唇を強く結ぶ。

 目を開き、続ける。

「もし切り刻まれたものが、丁寧に個々の便器の中に意味ありげに並べられていたのなら、サイコパスな犯人を連想するけれど、ひとつのところにごちゃっと入れてる。

 たぶん、とても急いでいたんだと思う。誰にも見られたくない。もちろん、男子の線もあるにはあるんだけれど、それなら、たぶん、うん、おしっこをひっかけるのじゃないかな。それもせずに、ただ放り込んでいた。

 憤りがあり、憎んでいて、なんとかやり込めたいという気持ちが見えてくる」

 わたしは、当事者なのに、なんだか遠い出来事を見ているような気持ちになる。まるで海外ドラマのワンシーンみたいだ、と他人ごとのように思っている。冬夕の推理は、全部当たっているような気がする。

「ああ、わたしたち、すごく目立っちゃっているからな」

 冬夕がぐしゃぐしゃと髪をかきあげる。

「冬夕、本当は目星がついているのでしょう?」

「ま、ね。でも言わないし、たぶん、もうしないと思うの。

 やっかみとも、少し違うと思う。

 わたしたち、正しいことをしようとして、もちろん、そうしようと努力しているけれど、それで傷つく人もいるんだって、思い知らされた。

 その人に気づいてもらえるように、許してはもらえないと思うけれど、その宣言をしようと思う。

 伊藤先生なら、分かってくれるかな」

 冬夕がそう言った意図をわたしは図りかねている。

 行こう、と冬夕がわたしを促し、わたしたちは、ビニール袋を提げて職員室に向かう。

 職員室に入ったわたしたちをすぐに見つけ、伊藤先生が手をあげる。

「今日もご苦労さん」

 わたしが鍵を返す横で、冬夕が先生に尋ねる。

「伊藤先生。お時間ありますか?」

「うん。なんだ? あ、その前に、君たちに新聞社から取材の依頼が来ているぞ。申し訳ないが、すでに了承済みだ。部活動の一環だから、取材を受けないのは返って不自然。よいことは堂々としようじゃないか」

 わたしたちは顔を見合わせる。そして

「実は、……」

 わたしたちはビニール袋を見せながら、ペナントの一件を伝える。すると伊藤先生は、すみやかに面談室の方へ案内をした。

 冬夕が、その思っていることを全て打ち明ける。

 伊藤先生は落ち着いてその話を聞いていたけれど、表情の険しさまで隠すことはできなかった。

「三角冬夕。君は賢い。状況を冷静に見る眼も持っている。わたしも納得しそうになる。確かに、校内の人間が犯人の可能性いは高いだろう。でも、真犯人というのはおもわぬ人間であることも、ままあることだ。だから、決めつけたりはするな。

 そして、すまない。わたしが守ってやると豪語しておきながらこの失態だ。申し訳ない」

 伊藤先生が深々と頭を下げる。

「犯人探しはわたしの方で行う。だから、君たちは変わらず部活動を続けて欲しい。

 これはわたしの願いだ」

 そう言って、もう一度、頭を下げる。

「先生。わたし、部活動をやめます。もしかして衝動的な考えなのかもしれません。でも、部活動から身を引くことは、やっぱり必要だと考えます。伊藤先生にはお世話になっていて、助けられているのですが、やっぱり自分たちのブランドとして、スクープ・ストライプを独立したいと思います。わがままを言ってすみません」

 冬夕も頭を下げる。

 伊藤先生は口を真一文字にしている。しばらく沈黙したあと、切り出す。

「そうか。引き止めたわたしが、君たちを守れないのだから当然だ。この出来事の責任はわたしにある。しっかり犯人は突き止め、謝罪を求める」

 間を置かず、冬夕が口を開く。

「先生。犯人探しはしなくていいです。もう関わりたくない」

 先生に向かって、感情的な冬夕を初めて見る。いつも相手の目を見てしっかり話をする冬夕が、目をそらし、窓の向こうをにらんだまま答える。

「そうか。分かりました。それでは、先ほど話した取材の件も、わたしの方で、断りを入れておこう」

 冬夕は、きっ、と先生をにらむ。

「取材は受けます。ただ逃げるのは嫌だから」

 伊藤先生は、その視線の強さに気圧されたように黙ってうなずく。

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