008.花

「へぇ~!ここが来実ちゃんが働いてるお店かぁ!裏路地に連れてかれたときは襲われるかと思ってたけど……うん!いいお店じゃん!立地以外は!!」


 来実が零士に緊急の電話を入れておよそ20分。3人の姿はいつもの店にあった。

 零士が営む喫茶店。今日も今日とてお客の一人さえも居ないガランとした空間に、一人の明るい声が響き渡る。


「あっ!この時計ってアレでしょっ!曲にもなったおっきな時計!ねぇねぇ、撮ってネット上げていい!?」

「あ、あぁ……」

「やったぁ!来実ちゃんも一緒に撮らない!?」

「う、ううん。私は遠慮しておく……」


 一人店の中を駆け回ってたどり着いた時計の前でカシャカシャとシャッター音を鳴らしつつ、スマホを触っているのは今日初来店である神宮寺 花。

 急遽運び込まれた体調不良者だ。



 ――――いや、運び込まれたというには随分と語弊がある。


 夕焼けが随分伸びるようになった春のとある日。

 客の一人も居ない喫茶店で今日も一人ノンビリと惰眠を貪っていた零士だったが、来実からの電話によって飛び起きることとなった。


 その内容こそ"親友の一大事"

 普段真面目で冷静な来実からの緊急連絡。それだけを聞いてコトの重大さを判断した零士は急遽車に乗って学校まで飛ばしたはいいが、そこに待っていたのは微妙な顔をする来実に加え、対照的に元気いっぱいの新顔である花だった。


 イマドキの若者らしく、根掘り葉掘り零士と来実の関係性を深堀りしようとする花をなんとかいなしながら戻った二人は、店の中を駆け回る花を入口に並んで見守っている。

 はしゃぐ姿を呆然と見つめる零士と、必死に零士とは反対側に目を逸らしつつ冷や汗をダラダラと流している来実。


「ねぇ、井上さん」

「……はい」

「俺、親友が大変だって聞いて急いで飛ばしたんだけど」

「…………はい」

「アレ、なに?」

「………………すみませんすみませんすみません!!」


 ついに堪えきれなくなった来実が勢いよく零士に向き直って頭を下げた。

 見事なまでの90度。もう少し待っていれば土下座さえも辞さない雰囲気に零士は慌てて頭を上げさせる。


「いやまぁ、結果的に大丈夫だったみたいだし全然いんだけど、結局何に焦って電話かけてきたんだ?」

「それは、えっと、どこから……なんて説明したらいいのか……」


 そこで言葉が止まってしまった来実に零士は頭を捻り、数十分前を思い出す。

 あの様子は明らかにただ事でない様子だった。一分一秒を争う様子。普段真面目な彼女がイタズラであんなことをするわけがない。なにか理由があるとするならば考えうるは…………発作。


「……もしかして、病気とかそういうのか?それは俺より救急車呼んだほうがいいと思うぞ」

「いえ、違うんです。病気といいますか、マスターならきっと信じてくれると思いますが、花は――――」


「――――なぁに~?二人で密会?」

「っ――――!!」


 呼び出した理由である核心を突く言葉。それを発しようと彼女の揺らめく瞳が真っ直ぐ零士に向けられた途端、突如として飛び込んできた言葉に二人は大きく肩を上下に揺らした。

 目を見開いて声がした方向を見るとスマホで口元を隠しながらニシシと笑う花の姿が。


「は、花!?いつの間に!?お店見学はもういいの!?」

「ついさっき?いやぁ~、来実と一緒に写真撮ろうと思ったら二人揃って熱っぽい視線送り合ってるんだもの!そのまま大人の時間始まっちゃうのかと思ったよ~!」

「おっ……大人の!?私とマスターが!?」

「いや、待って……。こんな奥のお店だもんね、来客もきっといないし、マスターと従業員という立場を利用して毎日大人の時間を堪能しながらお客さんが来るかもしれないスリルを同時に…………まさか来実ちゃんにはそんな性癖が!?」

「も――――もうっ!花っ!!私とマスターはそんな関係じゃないってばぁ!!!」


 まさに火を吹くほど顔が真っ赤になった来実は花を押して奥に行こうと手を伸ばしつつ直進する。

 しかし花はその動きをヒョイと避けて来実の背後を取りつつ真っ直ぐ俺を見上げる。


「えっと、マスターさんですよね?お名前は?」

「俺か?三珠 零士だ」

「零士さん!来実ちゃんから話は聞いてますよ!!随分と……へぇ、顔も悪いほうではない……」


 一体何を聞いたんだと内心汗をかく。

 一発目から下の名前でグイグイくる花の品定めをするような視線に零士は一歩、ニ歩と後退りする。


「零士さん、年齢は?」

「28だけど」

「ほう!ちょうど一回り分!来実ちゃんは随分と年上が好みのようで!!」

「ちょっと花っ! 違いますからねマスター!そういうのじゃありませんから!!」


 今度は零士との間を引き離そうとする来実だったが、花はそれさえもいとも簡単に避けてみせる。


「じゃあもしかして零士さんは既婚者だったり?」

「いや、そういうわけでは……」

「へぇ~~。それじゃあ私が零士さんの彼女に立候補しちゃおっかな~?」

「…………はい?」


 突然の告白。そんな言葉に驚いて固まってしまった零士に好機だと捉えた花は距離を一気に詰めた。

 軽く抱きつくほどの距離。ピタリと折り畳まれた片腕を零士の胸元に当て、もう片手は人差し指を立てて身体の線をなぞっていく。


「ほら、私も悪くないと思うんですよぉ。可愛さとか頭の良さじゃ来実ちゃんに負けますけど、スタイルとか積極性には自信あるんです。ほら零士さん、どうですか?」

「っ…………!!」


 密着された零士には花を振り払うことも拒否の言葉を口にすることも出来なかった。

 二人の学校の制服はブレザータイプ。春らしい合服のブレザーを着用しているが、花の胸元は自信あると自称するだけはあるほどだった。線が出にくいタイプの服にも関わらず、明らかにある。その上身長差から見下ろす形になっているものだからそれが嫌でも強調されている。


「私たちって中高とも女子校ですから男の……しかも年上との出会いってまず無いんです。だから零士さんだったらいいかなって…………」

「ちょっ……!まっ……!」

「ね、いいでしょ――――」


「――――よくなぁぁいっ!!」


 グイグイと迫ってくる姿に何も出来ない零士。次第に花の手が首元に回されて、距離がゼロへと引き寄せられそうになったその時、無理矢理二人の間を切り開いたのは来実だった。

 力づくで二人の距離を開けた彼女は肩で息をしながらキッと零士を睨みつける。


「マスター!」

「は、はいっ!」

「初対面の女の子になにデレデレしてるんですか!私の親友に手を出さないでください!!」

「いやでも、さっきのはアッチが……」

「デモもありません!マスターは……マスターは――しの…………」

「…………?井上さん?」


 切り裂いた間に飛び込んで零士を詰めていた来実だったが、次第にその言葉が弱くなって目線が下がっていく。

 最後のほうは何を言っていたのか屈んで聞き取ろうとした零士は、いきなり顔を上げてきた来実に驚いて身体を大きく反ってしまう。


「とにかく!あんまり花にデレデレしないでくださいね!!」

「……はい」

「それと花も!あんまりマスターをからかわないで!」

「は〜い。あ~あ、いいところで邪魔が入っちゃったかぁ」


 零士への追求もそこそこに今度は花へ向けられた視線だが、当の本人は気にすること無く息を吐く。


「ごめんねマスターさん。この生真面目来実ちゃんが信頼しているって言うものだから気になっちゃって。もちろん冗談ですから気にしないでくださいね!」

「あ、あぁ……」


 "零士さん"から"マスターさん"へと。

 本当にさっきのアレは冗談だったようだと零士は肩を撫で下ろす。と同時に嬉しいような残念なような気も…………していたが、思考を読んだ来実に睨まれて意識を改め背筋を伸ばした。


「まったくもう、花ってば気が抜けないんだから……」

「ごめんね来実ちゃん。でも、私さっきので分かったことがあったの」

「わかったこと?」

「うん。それは――――」


 わかったこと。

 花は真剣な目で来実を捉える。その視線を受けた来実も、固唾を呑んで次の言葉を待つ。


「――――それは、寝取りは……燃えるっ!!」

「…………えっ?」

「正確にはちょっと違うけどね!でも人のを取る感覚ってあんな感じなんだなぁって。やっちゃ駄目なのに、だからこそ燃え上がるというかなんというか…………」


 そこで花の言葉は止まってしまった。 

 言うまでもない。眼の前の来実が怒りに震えているからだ。


「は~~な~~!?」

「わ~!ごめんなさい!冗談!冗談だってばぁ!!だから許し………」

「冗談でも言っていいことと悪いことが…………。花?」


 逃げる花と追いかける来実。

 店内で二人の追走劇が始まるかと思いきや、それは始まる前に終わってしまった。


 ダッシュで逃げようと振り返った来実だったがその足は動くこと無く立ち止まり、どうしたのかと来実が名を呼ぶと、突然うずくまるように膝が折れていく。


「うぅぅぅぅ…………」

「花!?」

「っ―――!!」


 それは学校の巻き直し。

 あの時と同じ様にうずくまった彼女は、うめき声を上げながら一歩も動けなくなってしまう。


「ごめ……また……すぐもどる、から……」

「っ……!マスター!学校と同じ症状です!これって………!」

「あぁ、これは……・」


 来実が勢いよく振り返った先に捉えた零士の目は、真っ直ぐ花を見つめていた。

 ジッと冷静な瞳で近づいていき、一声掛けてから背中を向けてうずくまる背中にそっと触れる。


 零士が触れようとした黒いモヤ。

 しかしそれもまた煙のように手の間を通り抜け、何もつかめなかった空の手を見つめて小さくうなづく。


「……間違いないな。霊の仕業だ」

「やっぱり……。大丈夫ですよね?治りますよね?」

「今は何ともわからないな。 少なくとも言えることは、放っておいたら運転中や通学中にコレが起きて事故死、そうでなくてもこのまま酷くなって最悪廃人になるだろうな」

「「――――!!」」


 事故死。そして廃人。

 その言葉は二人に大きな衝撃をもたらした。

 目を見開いて大きく驚く二人だったが、希望が見えていた来実はそっと花から離れてその希望の対象へと真っ直ぐ目を向ける。


「マスター、助けて……もらえませんか?」

「厭だ。面倒くさい。断る」

「マスター!!」


 それは拒否の一言。

 目に涙を浮かべて声を発する来実だが、零士は間髪入れずに優しく発する。


「……なんて言いたいところだが、それだと本当に井上さんには辞められかねんからな。仕方ない。その依頼引き受けるよ」

「っ……!ありがとうございます!」

「ありがと……ございます……」


 腕を組みながら肩を竦める零士と、先の謝罪以上に頭を下げて礼をする来実。

 親友の危機に何とかなりそうだと喜ぶ来実と花に、零士は冗談交じりに告げてみせる。


「ただし!俺への依頼は高くつくぞ」

「何でも、します。……私が身体で返しますので……」

「花!?」

「あぁ、それはいい考えだな。採用」

「マスター!?」


 高くつく依頼料。それに真っ先に答えたのはうずくまっている花だった。

 迷いのない彼女の言葉。それと同時に採用した零士の二人に来実は目を丸くする。


「冗談だよ。さっきの仕返しだ」

「冗談……?」

「あぁ、冗談だ。お代はこの店の常連になるってことで。是非ともウチの売上に貢献してくれ。それじゃあちょっと楽になるもの持ってくる」


 そうニヒルに笑った零士は足早に店の奥へと向かっていく。

 しばらくして戻ってきた手に握られていたのは一つの温かなカップ。それを飲んだ花はみるみる症状が改善し、またも来実は驚きに目を丸くするのであった。

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