007.学校での一幕
遠くからスポーツに精を出す少女たちの声が聞こえる、放課後の校舎内。
開け放たれた窓からはランニングする掛け声に加え、吹奏楽部による個人練習の音色が飛び込んでくる。
もう間もなく春の大会シーズン。それぞれベストを尽くすために頑張っているんだろうなと、遠くで張り切る姿を眺めつつ、視線を窓から外して真っ直ぐ前を見据える。
遠くまで続く学校の廊下。
この辺りは部室も無く放課後は特に人通りが少なくなる区画。そんな廊下を彼女――――来実は歩いていた。
手に持つのは紙の束。数十枚の紙が重なった束を風で飛ばされないようにしっかり抑えつつ、廊下を進んだ先にある、とある部屋へとたどり着く。
そこは第二科学室。ほとんどの生徒が第一科学室を使うようになってからは、縁のある人もごく少数となった場所。
来実はそんな科学室……の隣にある準備室に用があった。誰かが居るらしく開け放たれた扉を見て、ここまで歩いたことが徒労にならなさそうだと内心ホッとする。
「失礼します」
開け放たれた扉の前に立ち、挨拶とともに視線を向けると、一人の女性がいた。
返事の後に柔和な微笑みを浮かべる彼女のもとへ向かい、座っているデスクの空きスペースへ紙の束を積む。
「先生、今日締め切りのアンケート、ここに置いておきますね」
「ありがとう井上さん。放課後にわざわざごめんなさいね」
「いえ、日直ですから」
そう言って軽く会釈をするのは、シニアにほど近い女性教師。来実の担当教諭だ。
夕焼けに反射して目元で光るモノクルを外した教師は置かれた紙の束を手にとってパラパラと内容を確認する。
「……えぇ、いいでしょう。お疲れ様でした」
黒板の清掃、日誌の記入、号令などは日直の仕事。所謂雑用にあたる持ち回りの当番となった来実の今日の仕事は、中間テスト後より始まる選択授業アンケートの回収。
回収するのに特に障害となったものも無く、順調に仕事を終えた来実は一言二言挨拶をして部屋を出ようとする。
「あぁそうだ。井上さん。少しいい?」
「はい?」
「あなたって確か、
「…………はい」
先生の質問に小さく応えた来実は少し顔に影を落とし、それを見た先生も困ったような笑みを浮かべる。
「神宮寺さんだけど、ついさっきまでここに来てたの。アンケートを渡しにチラッと」
「花が……。その、元気そうでしたか?」
「うぅん……まだ少し体調を崩してるみたい。もし会ったら気にかけてあげて」
「……はい」
来実の気落ちする姿に「ごめんなさいね」と告げる先生に別れを告げた来実は、そのまま肩に掛けたショルダーバッグを背負い直して昇降口へと向かう。
中学の頃からの来実の友人であり親友。今は体調不良で欠席中の同級生である。
来実も毎日スマホではやり取りしているが、実際に会ったのは先週末が最後。今日で丸一週間になるがまだ快調には至っていないという報告に目を伏せる。
「花……大丈夫かな……」
昇降口の自分の靴が収納されてある棚までたどり着き取り出したのはスマホ。
メッセージの欄に表示されているのは『大丈夫?』と『平気』のやり取り。最後のタイムスタンプは今日の昼休み中。本当に大丈夫なのだろうか……。そんな心配によってハァとため息を吐いた瞬間、眼の前が突然真っ暗になって来実の瞳は一気に開かれる。
「えっ!?なにっ!?」
「ふっふっふ……。だ~れだっ!!」
夕焼けに照らされた世界に突然訪れた暗闇。その恐怖に悲鳴を上げそうになった来実だったが、すぐに後方から聞こえてきた声に、そういうことかとホッと警戒心が薄らいでいく。
「もぉ~。脅かさないでよ花」
「あははっ!ごめんごめん。帰ろうと思ったら来実ちゃんが立ち尽くしてるのを見つけちゃってつい、ね!」
頬を膨らませて怒る来実を歯牙にもかけないよう笑うのは、親友でもある花。
綺麗な亜麻色の髪をウルフカットにして肩周りで外に飛び跳ねさせている少女。パッチリと開いたアメジストのような目と口角の上がった口元は活発な印象を与える。
花は来実が振り返ると同時に数歩下がりつつ手を後ろに回してニカッと笑いかけた。
「先生に聞いたよ。アンケート出しに来たって。もう体調は大丈夫なの?」
「全っ然!ほら見てよこの力こぶ!元気の証でしょう!?」
「ふふっ。本当だ。全然力こぶ無いね」
「なにおう!!」
元気を示すように袖を捲って二の腕を見せる花だったが全く盛り上がってないのを見て来実はクスリと笑う。
これが普段の花だと。ノリの悪い自分とは対照的かつ明るい、体調を崩す前から変わっていない様子にホッと一安心する。
「でも本当に元気そうで良かった。来週から学校来れそう?」
「うんにゃ、どうなんだろ……」
「……何かあったの?」
来実が見る限り体調に問題はない。ここまで元気なら来週の月曜から登校は出来そうなものだが、一転して曖昧な返事が帰ってきたことで怪訝な顔を浮かべる。
「うん。私が体調崩した原因かもなんだけど、先週おじいちゃんが鬼籍に入っちゃってさ~」
「――――!!」
「それでほら、ウチって家おっきいじゃん?大人たちが「経営してた会社の書類がない~!」とか色々ゴタついちゃってて、私は私でショックで寝込んじゃって色々と大変で」
「そう、だったんだ……」
花の実家である神宮寺家はこのあたりでは一番大きな家。多くの地主であり商売でも成功を収めていると漠然としたものは来実も知っていた。
そして当主にあたる人物が件の"おじいちゃん"ということも。花は軽く言っているが、鬼籍に入ったとなれば大変なことになることくらい、世情にうとい来実でも容易に想像ができた。
そんな悲しそうに目を伏せる来実を見て花は慌てて「違うの!」と声を上げる。
「心配しないで!今はもう大丈夫だからさ!」
「ほんと?」
「ホントホント!……それより聞いたよ~くるみぃ~!」
「えっ、な……なにを……?」
先程の暗い話題からは一転、何やらニヤ〜と嫌な笑顔を向ける花に一つ汗をかきながら問い返す。
「前の週末のこと!街で年上の男の人とデートしてたって言うじゃないか~!」
「え……えぇ!?」
先週末のこと。未来がやってきて依頼をこなした日のこと。
確かに来実は零士と街を歩いていた。しかしそれは依頼の一環で、そばに未来だって居た。
しかし見えない人からすれば二人で歩いていると思われて仕方ないだろう。きっと学校の誰かに見られていたのだろう。突然告げられた"デート"という言葉に思わず声を荒らげてしまう。
「私と将来を誓いあった仲なのに来実の裏切り者〜!ほら、その男の人ってだれだ〜!彼氏か!?彼氏なのか!?」
「う、ううん!違うの花!あの人は……」
「あの人〜!?やっぱり噂には心当たりあるんだな~!」
「あるけど……あるけど違うの!あの人はバイト先の人!喫茶店のマスターで仕事中だったんだから!!」
それが精一杯の返答。いくら来実に特別な想いがあったとしても、事実あれはデートでは無かったしそういう発想すらなかった。
ちなみにもちろん将来を誓いあった事実など無い。花の冗談だ。
「なぁんだ。事実は小説より……って思ったけど、案外つまらないなぁ」
「つまらなくていいからね……。……でも安心した。やっぱりいつもの花だ。元気そうでよかった」
つまらなさそうに空を蹴る花に来実は肩を竦める。
一週間見なかった分心配が募っていた来実だったが、コレまでのやり取りでやはり問題ないと実感してホッと一安心した。
それを耳にした花もニッと笑うが、一転して困ったように眉をひそめる。
「元気元気!………でもさ、あの日以降ちょーっとだけ変なことがあってさ」
「変なことって?」
「うん……。なんだか先週以降、酷い脱力感に襲われるんだよね。何もしたくないっていうか、何も出来ないっていうか。日に日に動けなくなる時間が長くなってくるの」
変なこと。その言葉は来実を思考の海に沈めていった。
酷い脱力感。何も出来ない感覚。今回の件と何か関係があるのかと自らの知る情報を集めてみると、その答えは案外早く見つかったようで「もしかして……」と顔を上げる。
「もしかして……五月病?」
「ちがうよぅ!……いや違わないかもだけど。でも毎年来るそういうのとは全然違うの!もっとこう、身体が抑えつけられているというかなんというか……!!病院にかかっても健康体って言われたし。ほら、思い出したせいか今も……!」
来実のアテは外れたようだ。
大きく首を振る花に「違うのか……」と再び思考の海に沈もうとしたところで、彼女は突然その場にしゃがみこんでしまった。
まるで腹痛に耐えるかのように膝を抱えて顔を伏せ、ちっとも動かなくなってしまう花。まるで発作のようにしゃがむ花を見て事態の深刻さを実感し、来実もあわてて膝を折る。
「花!?大丈夫!?」
「うぅ……。くるみ……ちゃ……へい……へいき、だから……」
「花…………」
どこか平気なものか。全然そうは見えないではないか。
キュッと口を固く閉じながらさっきまでの元気な様子からは一転、突如として苦しみを口にする花の肩をそっと抱く。
保健室に連れて行くべきだろうか?いや、病院?それとも救急車?迷っている間にも血行の良かった顔はみるみる青くなり、手が小刻みに震えている。
「大丈夫……。いつも、のこと。5ふんくらいで、なおるから」
「駄目だよっ!早く保健室に……誰か先生を……!!」
「まって……!」
誰か助けを呼ぼうと立ち上がったはいいが来実の袖は花によって掴まれ引っ張られていた。それに気づいた来実が目を合わせると弱々しく首を振る姿が見て取れる。
「大事にしないで……おねがい……」
「でも……」
「わたしは平気だから、ね?」
震えた唇をそのままに弱々しく笑いかける花はどう見ても大丈夫ではない。
本当に5分程度で収まるのだろうか。そうは思えない来実は静止を振り切ってまで先生を呼びに行こうとしたところで、普段の光景からはあり得ない物を見て目を疑った。
「これ……は……?」
目にしたのは黒いナニカ。
それは花の背中。正確には肩甲骨から肩にかけて。
そこはまるで特殊なドライアイスでも仕込んでいるかのような黒いモヤに覆われていた。何かと思って手を伸ばしてみるも、まるでプロジェクターに映された絵を振り払うかのように何の意味も成さない。
「花……この、モヤってなに?」
「もや……?なに、それ?」
「この、肩から出てるの」
「……?どれ?みえない、よ?」
苦しそうにしながらも振り返るように肩を見た花にはそれが見えていないようだった。
死角になっているからではない。来実の視界には明らかに肩からモヤが出ているのに、認識していない。
あまりにも現実味のないもの。どうやって出ているのかさえも原因不明のもの。
病院にかかってもわからなかった。そして花には見えていない。ここまでの情報から来実は「まさか……」と小さく呟いて立ち上がる。
ポケットから取り出したのは自らのスマホ。慣れた動作でロックを外し、アプリから目当ての連絡先を探し出す。
「くるみ……?」
「ごめんね花。もうちょっとだけ頑張れる?」
「……きゅうきゅう、しゃ?」
「ううん。でも、きっとなんとかしてくれそうな人」
出て……!出て……!と、強い思いを込めながらタップする通話ボタン。
2コール、3コールとひとつのコール音が随分長く感じる。まさか出ないのではないだろうか。4コールを過ぎてそんな思いが焦りとともに湧き上がってきたところで、5コール目で目当ての人物の眠そうな声が聞こえてくる。
『ふわぁ……。井上さん?休みの連絡なら全然メッセージでも――――』
『――――マスター!今すぐ学校に来ていただけますか!?私の親友が……親友が大変なんです!!』
電話の相手は来実の中で最も信頼でき、専門家に等しい人物。
その鬼気迫る声色にマスターこと零士は血相変えて店を飛び出し、10分で学校へと飛んでいくのであった。
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