002.心残り


 零士は考える。


 お化けと幽霊は一体何が違うのだろうと。

 あくまで彼自身の定義だが、その2つには明確な違いが存在する。

 まずお化けとはその名の通り何かが化けたもの。化ける……つまり異形の存在というものだろう。さらにカテゴライズするのであればぬらりひょんや一反もめんなどの妖怪、もしかしたらUMAも含まれるのかもしれない。


 一方で幽霊は簡単だ。生物が死んだのに、あの世へ行くことなく現世にとどまり続ける存在だと考える。

 何故留まり続けるのか――それは心残りがあるから。家族と喧嘩した、自分を殺したあの人が憎いなど内容は多岐にわたる。


 そんな人それぞれの心残りだが、総じて共通することは"解決するのが非常に面倒くさい"ということだ。

 ペットの様子が気になるとか、家に忘れ物したとかならまだしも、幽霊の心残りというのはそれだけにとどまらない。あの人を見つけて、ただし決して気取られないようにとかいちいち難易度を跳ね上げてくるのだ。忘れ物の規模が大きすぎる。


 零士は目の前に座る女性を見つつ心の中で悪態をつく。

 誰だ悩みを解決すると触れ回ったのは。自分はたまたま幽霊がみえるだけで、これまではたまたま解決できてしまっただけに過ぎない。

 それなのに何故人が人ならぬ、霊が霊を呼んでしまうのか。


「それでえっと、久保さんでしたよね?」

『はい……』


 自分の中の感情を見つめるのはこのくらいにしておいて、零士は改めて正面の女性を捉える。

 喫茶店のテーブル席。自らが座る席と相対するように腰掛けるのは腰まで届く黒髪を持つ女性、久保さん。

 年はおそらく20代。肌は赤みが宿り血色が良いようにも見えるが紛れもなく彼女は幽霊だ。

 椅子に腰掛けているがそう見えるだけ。ここに来店した時と同様、隅に置いていたメニューを取ろうとしたが触れられることなく透けてしまったのが何よりの証拠。


「どうやってこの店を知ったのかは置いておいて、悩みがあるんでしたっけ?」

『!! 聞いてくださるのですか!?』

「ま、まぁ……聞くだけなら……」


 零士の言葉に食い気味に反応した彼女は『よかったぁ』と心底安堵するような表情を見せた。

 面倒なことこの上ないのだが、ここに来た以上霊とはいえ客に変わりはない。お代が取れるかは不明だが聞くだけならば問題はないだろう。


『ありがとうございます……!では、えっと、私が死んでしまう手前から―――――』



 彼女の言葉を要約するとこうだ。

 ここを訪れた幽霊……久保さんは就職してからこっち、毎日仕事に追われる日々だった。

 朝早くから働いて帰るのは終電手前。そんな日々が数年続いたとある日のこと。


 年月が経って仕事に慣れたといえども身体は確実に疲労を積み重ねていく。その日も仕事に忙殺されてフラフラになりながら帰路についていたところ、突然車が縁石を乗り上げて迫ってきたのだ。

 眼前に迫るは突っ込んでくる自動車のフロントライト。万全の状態ならば事前に車の異常性を察知して警戒し、避けられたかもしれない。しかし疲労困憊だったせいもあって反応も遅れ、気づけば命は意識とともに刈り取られてしまったらしい。


 そもそもの原因は車の飲酒運転。痛みや苦しみさえ感じなかったのはある種幸せかもしれない。

 その後車側は当然裁きを受け、ついでに彼女が働いていた企業側もコンプラ関係で相応の裁きがあったらしい。


 ここまでは因果応報話。亡くなったけどそれに伴う報いはあったで終わる話かもしれない。

 問題はこの先。どうやら彼女は生前、好きな人が居たというのだ。片思いで思いを伝えることはできず、日々を過ごしていたらしい

 そんな時に起きた突然の事故。当然伝えられた言葉なんて一つもなく、未練をつのらせて今に至るらしい。



「――――それで自分にどうにかしてほしいと」

『はい。三珠様にはその人に想いを伝えてほしいのです』


 えぇ……………。


 彼女の説明で『片思い』という言葉が出てから零士は薄々感じていた。

 そして案の定のお願いに思わず顔をしかめてしまう。


『わ、私にできることがあるのであれば何でもします!幽霊となったこの身でお役に立てるかはわかりませんが……』

「そう言われてもなぁ……」


 話を聞いたはいいが零士は断る気満々だった。

 そもそも霊のお悩み相談はとうの昔・・・・に廃業した。今は細々と喫茶店を営むただのマスターだ。

 腕組みをして波風立てないいいお断りの言葉を探していたがうまいこと見つからず、諦めて直接お断りの言葉を言おうと口を開く。


「久保さん、悪いけど自分には――――」

「―――是非お受けさせていただきます!」


 零士が断ろうとした瞬間、言葉を遮って了承したのは来実だった。霊を目の当たりにしたショックで奥で休んでいた彼女だったが、いつの間にやら復帰したようでこちらに近づいてくる。


「体調、大丈夫なのか?」

「はい。休ませていただきありがとうございます。 そんなことよりマスター!さっきお願いを断ろうとしましたよね?」

「そりゃあ断るだろ。ここは普通の喫茶店だ。そういう仕事は請け負って無い」


 零士がチラリと目を移すも、間接的にも断られたショックで久保は目を伏せてしまう。

 同様に来実も視線を送ろうとしたものの、やはり霊が怖いのかすぐに目を逸らしてしまう。


「でも可哀想じゃないですか!好きだった人に伝えられなかった想い……。そんなの私だって死んだって死にきれないです!」

「だからって安請け合いするのか?相手は霊、何が起こるかわからないんだぞ。悪霊かもしれないしポルターガイストで怪我するかもしれない。それでもやるのか?」

「それは……。……マスター!おねがいします!手伝ってください!」

「断る」

「どうしてっ!?」


 腕を組んでそっぽを向く零士に来実は勢いよく詰め寄る。

 それでも彼は頑なに姿勢を緩めることのない。


 手伝いをしたがる来実と絶対に拒否の姿勢を見せる零士。そんな二人の張り合いが10秒、20秒と続いて静寂が場を包んでいた最中、ふと零士が均衡を崩すようにポツリと言葉を漏らす。


「――――もう、この店で幽霊相談はやってないんだよ」

「えっ……?」

「んっ……?ぁっ…………」


 ――――それは、静寂に包まれた店内でさえ聞き取ることが難しい声量だった。

 すぐ近くまで寄っていた来実でさえ思わず聞き返してしまうほどの小ささ。その言葉は零士でさえ意図せず出てしまった言葉のようで、彼女の聞き返しに自ら口走った言葉を自覚し、驚きとともに目を見開く。


「と、ともかく!俺はやらないからな!」

「むっ………!わかりました!わかりましたよっ!!」


 強情に視線を逸らす零士に怒りを覚えたのか、来実は声を荒らげて迫っていた顔をもとに戻す。

 彼女もまた零士を真似するように腕を組み、フンッ!と目を合わせないように空を向いて鼻を鳴らしながら宣言した。


「わかりました!マスターがやらないのでしたら私一人でも引き受けてみせます!!」

「できるのか?今だって霊が怖いんだろ?」

「…………………頑張りますっ!!」


 図星。

 芯を突くような零士の問いに応えたのはしばらく無言の後だった。

 強がって眉を吊り上げ宣言したのだが、事実、未だ来実の視線は久保に送ることもできず、零士と相対する今も脚が震えている。


 だがその姿はまさにテコでも動かない様子。一方で彼女は幽霊を恐れている。きっと放っておいても事態は好転することはなく良くて膠着、下手すれば悪化してしまうだろう。

 やっぱり駄目だ。そうなるくらいなら触れないほうがいい。そう思って彼女を止めようとする。


「井上さん、やっぱり………」

「私はもう……誰かに背を向けていたせいで後悔、したくないんです……!」


 ―――それは彼女の心からの叫びだった。

 過去の後悔から来る言葉。もう二度と同じこと・・・・を繰り返したくないという強い想い。


 そして久保に共感し絶対に解決してみせようとする意思。しかし一人で対処したことによって迎えるであろう悲惨な未来に、零士は一つ大きなため息を吐いた後に立ち上がって―――――


「井上さん、パソコンから臨時休業の張り紙を印刷して店前に貼っておいてもらえる?」

「えっ……!?マスター……それって…………」

「あぁ。……久保さん、その依頼引き受けた。想いを伝えられなかった未練、何とかしてみせるよ」

『っ―――!いいんですか!?』


 諦めの表情を見せていた久保だったが、その言葉を受けて目を見開きながら勢いよく顔を上げる。


「あぁ。下手に一人で引き受けて何日もバイトを休まれちゃ、こっちも困るからな」

「マスター……」

『三珠さん……ありがとうございます……!』


 霊のお悩み相談だなんて、もう廃業したはずなのにな……。

 零士は休業準備に駆け出す来実を目で追いながらツタの隙間から見える外に目を向ける。

 空は幾つかの雲がかかっているものの綺麗な青空。吸い込まれそうな青を見つめつつ、どこまでいっても霊からは逃げられないんだな、いやいやだと一人苦笑するのであった。

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