幽霊喫茶と恋愛少女のカフェ日記
春野 安芸
001.幽霊喫茶と恋愛少女
そこは大都会とも田舎とも評し難い地方都市。地域の中で最も人が多く行き交う繁華街。
人々の喧騒がそこかしこから上がる街の片隅に、ポツンと1軒だけ小さな店が構えられている。
そこは地元民でさえ近づくものは限られる、街から奥へ奥へと進んだ先。
3つ、4つ、5つと。まるで迷路のような構造の道を曲がり歩けば、ようやく件の店へとたどり着く。
2階建てでレンガ造りの外観に、花壇から伸びたツタが意図的なのか恣意的なのか傍目にはわからないほど壁を覆い隠すように張り付いている。
路地裏といえるほどジメッと暗い店の隅では丸々とした猫が大あくびをしながら伏せっており、どこからかカラスの鳴き声が聞こえてくる。まさに治安の悪さの代表格。綺麗な道ではあるものの、観光気分で人が立ち入るような雰囲気など一切ない。
けれどツタの隙間から見える窓からは暖色のライトが温かく灯っており、僅かに揺れるカーテンからは人の気配が感じられた。
壁につけられた看板には【霊喫珈琲】と文字があり、扉に掛けられたプレートには【CLOSED】と表示されている。
時刻は朝の9時30分。扉の横にある案内と見比べればあと30分ほどでプレートが裏返るだろう。それを予感させるように扉からはコーヒーの香りが漏れ出して、鼻腔をくすぐらせた猫がニャーオと鳴いた。
室内と室外を隔てる一枚の扉をくぐれば、そこは旧態依然とした由緒正しい喫茶店の風景が広がっていた。
アンティーク調の家具・小物を中心とした室内構成。木の香り漂うテーブルと椅子、壁には年季の入った時計やウォールランプが掛けられている。
カウンターにはコーヒー用と思しき丸いガラスの器具が置かれ、後方にある黒板には手書きでメニューが記載されていた。
3人がけのカウンター席に4人がけのテーブルが3つと決して大きいとはいえない規模感。しかし薄暗さの中に灯された温かな光と落ち着いた雰囲気は、間違いなく来る者の心を解きほぐすような、そんな温かみを帯びた様相の店だった。
外と中とで雰囲気が一転する小さな店。
ここを切り盛りするのはたったの二人。
一人はカウンター席に腰掛けながら目覚めの一杯にと自分で入れたコーヒーを傾ける男、
彼はカップを傾けて口の中を苦味でいっぱいにし、スマートフォンで天気を確認しつつ微笑を浮かべる。
「……うん。今日は一日、気持ちがいい快晴。こういう日は店なんか閉めて外で読書でもしたいところだな」
朝からやる気の出ない一言を呟く零士。
今日の天気は晴れ。降水確率は0%で気温・湿度ともに長袖一枚で事足りる心地の良い気候。
こんな日は店なんて閉めてどこか外でゆっくりしたいと、うんと伸びをする。
しかしそれを良しとしない人物が、すぐ近くにいた。
零士に背を向けていたその者はひたすらに動かしていた手を止め、一つ咳払いをして振り返る。
「駄目ですよマスター、そんなこと言っちゃ。昨日だって私が学校行っている間お店閉めて外読書してたみたいじゃないですか」
「うぐっ!!」
零士の呟きを聞き逃すこと無く、しっかりと拾い上げたうえでピシャリと
彼女こそここを切り盛りするもう一人の人物。
先程まではカウンターで仕事をサボっている零士を横目にしつつも文句一つ言わず黙ってテーブルを拭いていたが、店を閉めるという言葉に思わず反応をする。
背丈は同学年の中で僅かに小さめ、茶色の肩甲骨まで届く長い髪をストレートに伸ばしつつ、左のもみあげだけを三つ編みにした女の子。
彼女もシャツとエプロンという同じ制服を身にまとい、手を腰に当てながら肩を上下させて窘めるその姿に、零士はぐうの寝も出ず息が詰まる。
おかしい。その日は学校に行っている時間帯。見ているはずがない。
彼女が知るはずもない真実を知っていた事実に零士は思わず声が震え出す。
「だ……誰に聞いたんだ……そんな話……?」
「常連の遠藤おばあさんからです。昨日お店開いてる時間にも関わらず公園で本読んでいらしたと」
「そ、それは……買い物ついでの気分転換というか……」
「1時間以上もですか?おばあさんが言ってましたよ。『病院へ行くときも帰るときも同じところにいた』って」
「…………」
ジトッと責めるような視線に零士は視線を逃がす。
言い逃れようのない事実だからだ。昨日の昼間は店を閉めて、長いこと公園で日向ぼっこ兼読書をしていた。
公園で読書をしつつ遊びに来た子どもたちを眺めたり、散歩中の犬と戯れたり。
そんな昨日のことを彼女は看破していた。となれば当然今日も同じことをなんて許しはしないだろう。
だから零士は考える。この場を切り抜けるいい方法を。
「ほら、まだ高校に入りたての井上さんにはわからないんだよ。喫茶店を運営する大人の苦労ってものが」
「へぇ。例えばどういった苦労でしょう?」
「……万年赤字で大変、とか?」
「万年赤字……ですか。ですがマスター、先日ご自分で仰ってましたよね?『投資と不動産で安定収入があるからいくら赤字でも問題ない』って」
「…………」
またも無言。
なぜそんなことを言ってしまったのだと零士は過去の自分を責め立てる。
事実、いくら喫茶店が売れなかろうが何も問題ない。この喫茶店は趣味の経営だからだ。完全に赤字でも問題ないのだが今回ばかりは口走ってしまったことを後悔する。
真面目な性格の彼女にとって、意味もなく休むといういわゆるサボりはご法度なのだ。まだ1ヶ月程度の付き合いだがその程度のことは容易に把握済みである。
ジッとこちらを覗き込んでくる彼女に前髪を弄りながら誤魔化しつつ、それでも眉を吊り上げながら彼女は言葉を続ける。
「マスターの気晴らしに付き合うほど私は暇じゃないのです。約束、お覚えですよね?」
「……卒業するまで雇うって話だろ?分かってるって」
「はい!"少なくとも"私が卒業するまでしっかり面倒見てもらわないと!!」
そう満面の笑みで言い放つ彼女にどうしようもないと零士は観念し、両手を挙げて降参のポーズを見せる。
「わかった。今日はちゃんと店を開くから」
「本当ですか!?」
「あぁ。この一杯を終えたら取り掛かるから、井上さんは店の外を掃いてきて」
「はいっ!」
元気いっぱいの返事とともに箒を取りに駆け出す来実。
その姿を見送りつつ零士はカップに残ったコーヒーを一気に傾けた。
心地の良い気候にノンビリ日向ぼっこできなかったことは心残りではある。しかしそれで仕事が出来なくなったとなれば、バイトである彼女は給料が減ると危機感を覚えたのだろう。だからあれほど鬼気迫る表情で迫っていたのだと納得しつつ、裏の部屋に回りつつ開店準備を始めようとする。
しかし――――
「――――きゃぁっ!!!」
「っ――――!?井上さん!?」
自分が居なくなった瞬間聞こえてきた突然の叫び声に、大慌てで部屋を飛び出す零士。
飛び出すように戻ってきた店内を見渡すと彼女の姿をすぐ見つけることができた。店の出入り口付近で尻もちをついてしまっている。
「大丈夫か!?怪我は!?」
「お…………おば…………」
「……おば?」
近くまで駆け寄って見た彼女には目立った外傷はなさそうだ。
周りには頭をうつような物もなくとりあえず一安心だと思いつつ、来実が震える声と指で示した方に目を向ける。
パニックに陥っている彼女が示したのは外へと続く閉じられた扉。 しかし鍵は閉まったままで鈴の音も聞こえなかった。誰かが入ってきた気配はない。
来実が尻もちをついている以外何も変化がない現状に
『あのぅ…………』
「ひゃぁぁ!!おばけぇぇぇぇ!!!」
「っ―――――!」
零士が立ち上がろうと中腰になった瞬間、【ヌゥ………】と突然現れたのは一人のニンゲンだった。
いや、ニンゲンではない。その者はまるで最初から扉なんて無かったかのようにすり抜けて現れた。少なくとも物理法則に従う生物ではない。
上半身だけ見せたその姿は白い服に黒い髪。お辞儀どころか倒れ込むほど身体を傾けているせいで髪は前に垂れていて、その姿は例えるなら某有名ホラー映画の井戸から這い出すシーンのよう。
あまりの突然の登場に零士は驚きで息を呑み、来実も再び叫び声を上げて零士に抱きついてしまう。
「い……井上さん!落ち着いて!この人は幽霊!
「ゆう……れい……?」
「そう。幽霊。これまで
「…………はい」
零士に肩を掴まれながら説得され、何とか落ち着きを取り戻す来実。
今一度二人で一緒に扉へ目を向ければその姿は先程と変わっておらず来実は小さな悲鳴を上げつつ目を丸くする。しかしそれ以上パニックに陥る様子はなく、今度こそ座り込む二人を見下ろす幽霊との対峙に成功する。
『あのぅ…………』
「しゃ、喋った……?」
零士の眼下で来実の驚くような声が聞こえる。
彼はその驚きに耳を傾けつつも反応を示すことはなく、次の幽霊の出方を伺う。
『あのぅ……ここに三珠という方がいらっしゃると聞いたのですが……』
「マスターの、こと……?」
『あぁよかった。ここで間違いないみたいですね』
来実が零士を見上げたことで件の人物が目の前の男だと幽霊も気がついたようだ。
ホッとするような声とともに幽霊が髪の隙間から安堵の表情を覗かせたのも束の間、すぐに真剣な表情へと変わり二人を見つめていく。
『ここに来れば死んだ人たちの悩みを解決してくれると聞いて…………。お願いです!どうか……どうか私の悩みを聞いて下さい!!』
突然やってきた幽霊による突然の頼み事。
話すとも思っていなかった幽霊の言葉に来実は驚いた表情を、そして零士は心底嫌そうな表情を浮かべるのであった。
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