第44話
シェフコートの上に、大きくて形の良い丸いアフロヘアーが乗っている。
アキラは思わずトシロウさんの頭をじっと見つめてしまった。
お笑いの…、誰だっけ。あ、そうだ、トータルテンボスの人みたいだ。
あれ、今は髪型が変わったんだっけ……。
「……どうやってその帽子にその髪が入ってたんすか?」
何か喋らないとダメだ。その気持ちから、やっとの思いで絞り出し、アキラの口から出てきたのは、よくわからない質問だった。
そこにいたみんなが笑った。
ナベちゃんは笑わなくてもいいと思うんだけど。そんなことを考えていると笑っていたブリジットさんが答えてくれた。
「……ごめんなさいね。みなさんこの髪型をみるとびっくりされるんだけど、とびきりの質問で返されちゃったわね」
「これはねー、ブリジットおばさんが、毎朝きちんと帽子に入れてくれるんだよー」
「ちょっと特注の帽子なんだよ。あ、髪の毛が落ちて異物混入になったりしないように、いつも身嗜みには気を遣っているから、安心・安全だぞ!」
「…はあ。でもなんでまた、わざわざアフロなんすか?」
そう尋ねると、吉野さんが答えてくれた。
「『cheveux afro』って、フランス語でアフロヘアーって意味よ。『cheveux』がヘアスタイル、『afro』はそのまま、アフロね」
「………はあ?」
「飲食店なのに変わった名前だよね。僕も最初聞いた時びっくりしたよ。でもなんでアフロヘアーなんて名前にしたんですか?」
呆然とするアキラを放置してナベちゃんが質問すると、トシロウさんがニヤリと笑った。その後ろで川口さんと吉野さんが、「あっ」と声を漏らした。
…もしかしたら、ナベちゃん、地雷踏んでないか。
「じゃあ、せっかくだ。私の話を聞いてもらおうかな?」
「…トシロー、もう時間が時間です。短く、ですよ」
「お、おう…。短め、ね」
ブリジットさんに声をかけられて、ちょっと怯んでいたトシロウさんだったが、こちらを見て話し始めた。
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彼女に釘を刺されちゃったから、簡潔に話そうか。
ちゃんと最後まで聞いてくれたら、何かご褒美でもあげよう。
私はね、若い時、洋菓子の勉強のためフランスに渡ったんだ。
まだ20代の頃だったね。
最初はね、日本の製菓学校を卒業し、有名なパティスリーに就職した。
そこである程度技術を学び、今度は日本でも有数のホテルの製菓部門に転職した。
相性が良かったのかな?
自分で言うのもなんだけど、すぐに頭角を表してバンバンいろんな先輩を追い抜いて、製菓部門のトップの方まで上り詰めた。
で、その当時の私が感じたのは「まあ、日本じゃこんなもんか」ってことだった。
「やっぱり海外に出て本場に行かないとダメだな!」って思っていたんだ。
今考えるとお世話になったお店や先輩たち、スタッフのみんなに感謝することもできない、ただの天狗になった小生意気な若造だったんだ。
まあ、それで、私は本場に行って勉強したいと無理を言って仕事を辞めた。
製菓学校時代の恩師の伝手を辿って、フランスのパティシエに口を利いてもらい、臨時就労ビザを取得して、すぐにフランスに飛んだ。
信じられるかい?その時私はカタコトのフランス語とカタコトの英語しか喋れなかったんだ。若さに任せた勢いというのは恐ろしいもんだよ。
それでだ。
フランスに飛んでそのままの勢いで恩師の口利きの店に向かった。
そこで働いたが、たった3ヶ月でクビになった。
「キミはこの店に必要ない」
そう言われてね。
焦ったよ。何せ店の寮に間借りしていたんだ。
数日中に出ていってくれと言われても、どこに行ったらいいかわからない。
でも、このままじゃあ日本には帰れない。
その店で働いていた時の同僚に頼み込んで、なんとかアパルトマンを借りることができた。やっすいけど、狭い部屋だったね。
それで次の日から早速就職活動さ。
自分で幾つも菓子店を見つけては働きたいと伝えたけれど、どのお店からも良い顔はしてもらえなかった。
……人種差別をあの時ほど感じたことはなかったね。
まあ、どこの誰ともわからない東洋人を雇って、どんなトラブルを起こされるかわかったもんじゃないという気持ちもわからなくもないけどね。
やっと雇ってもらえた店でも、決して良い労働環境とは言えなくて2週間で辞めたりしたな。誰も自分に仕事を教えようなんてしてくれなかったし、みんな自分のことだけでいっぱいいっぱいだった。
店を転々としながら、でも、これじゃあ何も意味がない。そう感じていた時に、また勤めていた店をクビになった。
最初の店を辞めて、半年ほど経った頃だね。
流石にもう日本に帰ろうかと思っていた時、アパルトマンの電話に恩師から連絡があった。
「紹介した店には今勤めていないようだが、何かあったのか」とね。
私のことを心配して、近況を聞くために店に連絡したらしい。
その時偶然電話に出たのが、アパルトマンを紹介してくれた同僚だったので、私の連絡先を知っていた。ということだ。
情けなかったが、先日他の店でもクビになった事を話してね。もう日本に帰ろうと思っていると言ったんだ。
そうしたら最後にもう一店舗だけ紹介するから、行ってみなさいと勧められた。
もうどうでも良いという気持ちもあったのだけれど、恩師の推薦なので断るのも申し訳なくてその店に行くことにした。
数日後、ちゃんと指定された日に行ったのだけれど、オーナーはいなかった。
代わりにバティストという男と会ったのだけれど、オーナーのギャスパー氏は急な出張中のため3日後の14時に出直すように言われた。
ただ帰り際こんなことも言われたんだ。
「その長くてウェーブ掛かった髪はダメだ。なんとかしろ」とね。
風香ちゃんもそうだが、川口の家系は少し天然パーマみたいな髪質でね。私は日本にいた頃はストレートパーマをかけていたんだ。
定期的にカットはしていたんだが、パーマは結構高くて。
フランスで美容室を探すのもなんとなく気乗りがしなくて、アパルトマンの近所のビストロで早い時間から飲んでいた。…ああ、ビストロっていうのは居酒屋みたいなもんだよ。
「どうせダメだろ」という気持ちでやさぐれて飲んでいたら、その店でたまに顔をあわせる常連の爺さんに声を掛けられた。
若いもんが何不景気な顔をしてるんだ。俺が話を聞いてやるってね。
ただこの爺さん、ケベック訛りがものすごくてね。何を言ってるのか半分もわからない。
でもその時は人恋しかったのかな。誰でも良いから話を聞いて欲しくって、爺さんと何店舗も飲み歩いた。酒は強くないんだがね。
フランスに来たらきっと良いことがあると思っていたけど、何も出来なかった。次の店もどうせダメだ。もう故郷に帰る。そんなことを言ったかな。
爺さんがいうんだ。なんでそんな事を言うんだって。
だから俺には自分の髪にパーマをあてる金も無い。今度の店は髪型にも厳しいんだ。
日本にいたときはちゃんとストレートパーマをかけてスッキリさせていたのに。って言ったんだ。余程酔っていたんだな。ちゃんと喋れていたかも怪しいな。
また爺さんに聞かれたんだ。そのままにしておくとどうなるんだって。
だから言ってやったよ。アフロヘアーみたいな頭になっちまう!ってね。
そしたら爺さんが笑ってさ。アフロか。そりゃあ良い。そんなにパーマをあてたいなら俺が知ってる店で良けりゃ、俺が金を出してやる。って言われて、どっかの変な美容室に叩き込まれた。
そこの美容師はイタリア語しか喋らなくて言ってることがほとんどわからなかった。
とりあえず爺さんが金を払って何か言っていたことまでは覚えてるんだが、私はそこで酔い潰れて寝てしまったのさ。
どれくらい経ったかな?美容師に起こされて、店を叩き出された。
あたりは真っ暗でもう閉店時刻はとっくに過ぎてたらしい。
飲み過ぎでガンガンする頭を抱えて部屋に戻ってぶっ倒れた。
で、起きたらこの髪型になっていた。
洗面台で二日酔いの頭が文字通り爆発しているのをみてまたぶっ倒れたよ。
起きたら元の頭になっているかと思ったけど、このままさ。
どうやら爺さんと全然話が通じてなくて、私がアフロにしたいと思ったらしいんだ。
カレンダーを見たら、ギャスパー氏との面会の日だった。
慌てて無理やり帽子を被って店に向かったよ。
13時半に店に着いたが、どうすることもできなくて、そのまま面接開始だ。
ギャスパー氏と一緒にバティストも面接にいてね。
挨拶したら、当然だけど、帽子を取れって言われたよ。
大人しく帽子を脱いだら、バティストはびっくりして「なんでそんな頭になったんだ」って言うんだ。仕方なく爺さんの件を説明した。
そしたらギャスパー氏に聞かれたよ。
「そんな頭じゃ受からないのはわかっていただろうに、なんで来たんだ」ってね。
だから、こう言ったんだ。
アクシデントがあったが、自分の恩師が取り付けてくれた約束を勝手に破るわけにはいかなかった。また、バティストにも三日後に来ると約束し、ギャスパー氏にもこうやって時間をもらっていた。
この約束は破っちゃあいけないと思ったから来た。
時間を割いてもらってすまなかった。
そう言って帰ろうとしたら、ギャスパー氏が大いに笑ってね。
「日本人のこの馬鹿馬鹿しいくらいの律儀さがわたしは好きだ。雇ってやるが条件がある。わたしの店で働きたいのならその髪型のままでいろ」ってさ。
その後も紆余曲折あったんだが、結局その店で私は何年も働いてね。
アフロのおかげか、それまで冷たかった人たちとも仲良くなれた。
まあ変な東洋人がいるって感じだったが。
大きなコンクールでいくつも賞を取って、自信を持つことができて、それから私は日本に帰ってきた。
大切な人と一緒にね。
災い転じて福となす。と言うね。
困ったことが起きた時、悲しいことが起きた時、私の作ったお菓子を食べてそんな顔をひっくり返して笑顔になれる。そういった手助けがしたい。
あの爺さんがかけたパーマが結局私を助けたみたいにね。
そう思ってお店をこの名前にしたんだ。
もちろん、私はあの時からずっとこの頭さ。
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