第36話
雰囲気の良い和を基調とした居酒屋の店内は、男女問わずたくさんの酔客で賑やかだった。
まだ月曜だというの非常に盛況なところを見ると、この店の料理のレベルが高いのか、それとも、この地域に酒呑みが多いだけなのか。
「それじゃあ、一つ…」
「「カンパイッ!!」」
カチーンと良い音を立ててグラス同士が打ち合わされた音が響く。
カウンター席に並んで座ったラフな格好の正明とスーツ姿に着替えてきた山場は、ジョッキになみなみと注がれた生ビールを一気に喉に流し込んでいった。
「かあーーーっ!」
「いやあ、美味いですねえ!」
正明と山場は顔を見合わせて笑った。
「本日はウチの子のためにわざわざありがとうございました」
「いえいえ。今日はホンットーに来て良かったですよ!」
「あー、あの、木村さんからは以前名刺をいただいたんですが、もしかしたらですが、山場さんは創業一族の方ですか?」
「ああ、申し遅れました。改めまして。私、こういうものです」
株式会社YAMANBA
ランドモビリティ事業本部 カスタマーエクスペリエンス事業課
課長
名刺を渡されたので拝見する。
サンバの下の名前は三郎らしい。
「一応ですね、創業者の孫にあたります。と言ってもただの社員ですがね。名前の通り上に兄が二人いましてね。そっちが会社を継ぐ予定なんで、なんの力もありません。今日もスタッフ連中と誰が来るかくじ引きで決めたんですよ。勝ち取ったのは日頃の行いのおかげというやつですかねえ」
「ああ、やはりご一族の方でしたか。お名前を伺ってオヤっ?と思ったんですよね」
「まあ、お父さんにはバレてしまいましたか。仕事の話はここまででお終いにして、プライベートの飲み会とさせてもらえませんか?気持ちを切り替えるためにも、三郎と呼んでくださいな」
「三郎さんですね。では私のことは正明でお願いしますよ」
お通しの枝豆をつまみながら話をしていると、次々に料理が運ばれてきた。
生ビールのおかわりを頼み、だし巻き玉子や冷奴、牛すじ大根やタコの唐揚げといった料理に箸をつける。
どれも一手間かけられていてついつい酒が進む味だ。
正明がまた追加で何か頼んでいる。
焼き鳥もあるらしい。
「それにしても事件が起こった時はYMBさんからあんなプレゼントをされる事になるとは思ってもいませんでしたよ」
「正明さん、先ほど僕は『アキラくんには広告モデルとしての商品価値はない』なんて言っちゃいましたが、実際にはテレビの視聴者からあの犯人に突撃した子はどうなったんだって声が結構あったんですよ。それと彼と同じモデルを買いたいという声もね。メーカーに在庫がないと言っても買いたいというお客様が結構いらっしゃいまして、彼が乗っていたモデルの後継品は、現在増産スケジュールを組んでいる所です」
「アキラが気に病まないように気を遣っていただいたんでしょう?売り上げにつながったのであれば、私たちも気が楽になるというものです。YMBさんの自転車は海外の一流メーカーと比べても性能・安全性で引けを取らない上に、価格も安いですから。元々のスペックがたまたま知られた結果ですよ」
ビールを飲み切った正明が、ちょうど新しいビールを運んできてくれた店員に礼を言い空いたグラスを手渡した。
その横で、三郎が手を横に振った。
「いやあ、そのたまたま知られる機会というのが非常に難しいんです。自転車屋さんに行けば同じようなモデルだらけですし、そこで選択肢として上がるのは見た目と価格が主体ですからねえ。今、テレビ業界は斜陽だなんて言いますが、ターゲットの年齢層が合致すれば、やはり非常に強い媒体ですよ」
「それはよく理解できます。私も食品業界に勤務しているんですが、とある地上波の番組でたかだか数分間取り扱われたというだけで、恐ろしいほど人気が出て一気に増産なんて珍しくないですからね。とはいえネットの力も恐ろしいですよ。一度炎上したら洒落になりませんから」
三郎がグラスの中の琥珀色の液体を見つめている。
「そこなんですよねえ。あまり公にはしていないんですが、今回のアキラくんへのプレゼントは、炎上対策の一環という意味合いも少しはあるんです。本日彼に会って非常にしっかりした責任感のある子だということがわかって安心しましたが、相手によっては『この自転車のせいで危険な目に陥った』なんてSNSで呟かれた日には、一発で全部ひっくり返ってしまいますからね。…ま、大人の汚い悪知恵で『相手が高校生ならば、好きな自転車の一台もプレゼントすれば、恩に着て滅多なことは言わないだろう』なんて下心もないとは言いません」
「ハハ…。ではそう言っていただけるのなら、ありがたい下心として受け取らせていただきます」
「大人の下心に!」
「カンパイッ!」
正明と三郎は三杯目のジョッキを打ち合わせた。
・・・
・・
・
「それにしてもアキラくんはしっかりしていますねえ。僕の高校生時代とは比べ物にならないくらいだ」
「今の子は情報に揉まれていますからねえ。我々の時代とはまたちょっと違いますよ」
「それにしてもですよ。お父さんとお母さんがよい教育をされたんじゃあないですか?」
「いや、そう言っていただけるのはありがたいんですが、私はあまりあの子をきちんと育てられてきたとは思っていないんですよ。勝手に育っただけで」
「いやいやいや。そんなことはないでしょうに」
随分と酒が進んでいるのか、二人とも顔が赤い。
「先ほどあの子が『自転車を買い取りたいから金を貸してくれ』なんて言い出しましたよね」
「ああ、はい。びっくりしました。それにしても正明さんのお宅では親子間でお金の貸し借りもするんですねえ」
正明が少し遠い目をして話し始めた。
「いやあ、お恥ずかしい話なんですが、ちょっと聞いていただきましょうか。きっかけはあの子が小学生低学年の頃の出来事です」
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