第30話

 アキラは残されたメンバーに部屋で待っていてもらうように頼み、一度部屋を出た。


 暫しして、人数分のアイスティーと冷たいおしぼりを何本も運んできた。

「待たせてごめんな。とりあえず、二人は目元を冷やしてください。あとコーヒーがあまり得意じゃなかったら、これを飲んで」


 二人は冷たいおしぼりを手に取り目の当たりに押し当てた。

 ヒンヤリとしたおしぼりが熱を奪っていく。


「水川さん、吉野さん、もう12時だけど、お腹空いてないっすか?…大丈夫?じゃあ、申し訳ないけどこのまま話をさせてください。ってことで、この二人は完全な当事者だから、事実を話したい。ハヤトには悪いんだけどな」

「何となくそうなりそうだと思ってたから、もう良いよ」


 アキラとハヤトの会話に、水川さんが訝しげな表情を浮かべた。


「事実、ですか?」


 吉野さんの問いかけに、アキラが頷いた。

「今回の通り魔事件のことです。何があったかと言うことについて、吉野さんたちの認識を教えてもらえる?」


「え、ええ…。

 えっと、じゃあ順番に言うわね。

 あの日、私達がベイロードを通ろうとした時に通り魔が出て、刃物で何人も切り付けた。

 逃げようとした私が転んで、サキが私を助けにきてくれた。

 そこに来た通り魔に、二人とも刃物で刺されそうになった。

 自転車に乗った真島くんが現れて、犯人目がけ突進して弾き飛ばした。

 最後に犯人が立ちあがろうとしたら、すごいキックでやっつけた。

 警察の方々が犯人を取り押さえ、被害者はみんな救急車で運ばれた。

 そんな感じかしら」


 ハヤトが笑った。

「アキラ、スゴいじゃん。ヒロインのピンチに颯爽と現れたヒーローだ」

「やめろって。じゃあ、俺たちが何故あの場にいたか説明するよ」

「あ、はい」「ええ」


「まず最初に訂正したいのが、俺は君たちがピンチだと知って、あの通り魔のおっさんに自転車で突っ込んだわけじゃないってことだ」

「え?」「どういうことですか?」


「ベイロードの出口から神社に向かって急勾配の坂がある。俺たちは『激坂』って呼んでるけど…。……あ、清心の子たちも一緒?ならいいや。あの坂って俺たち坂高の連中が帰宅する時に使う定番なんだ。たまに誰が一番早く下まで走れるか競争したりするくらいのド定番」

「知っています。激坂レースって言うんですってね。あのあたりを通って帰るときにスゴいスピードで駆け降りてくるのを見たことがあります」


 アキラがハヤトを横目で見た。

「あの日、俺とコイツは二人であの坂を下って競争してたんだ。で、その時に俺の自転車のブレーキが急に壊れて効かなくなった。咄嗟に倒れ込んで停車させようとしたんだけど、上手くいかなくて、商店街に突っ込んでいっちまった」

「じゃあ…」

「もうなんでそうなったのかわからないけど、本当に偶然、奇跡的に商店街にいた誰とも接触しないで突っ走って、気づいたら君たちの前に出た。ヤバイって思った次の瞬間にはおっさんと衝突してた」

「で、でも犯人を蹴り飛ばして倒してました!」

 水川さんが立ち上がった。


「アレも完全に事故だよ。おっさんを自転車で轢いてしまった!って思った俺が一刻も早くおっさんを助けようと思ってダッシュしたら、途中でつまずいて、体勢を立て直そうと足掻いた時に、誤っておっさんを蹴り飛ばしてしまった。と言うのが真相だよ」

「…だから、偶然だ。事故だっておっしゃっていたんですね」

「でも、それならそうと…」


 アイスティーを飲んでいたハヤトが口を開いた。

「…自転車事故の刑罰には、不注意により相手にケガを負わせた『過失傷害罪』が適用されるからね。正直なところ、アキラは衝突した相手がだったから助かったんだ。勇敢な行為だと周りから判断されてね」


「証拠品のブレーキが壊れた俺の自転車は、その時マルっと全部ダメになってもう処分済み。たまたま事件を知ったハヤトの知り合いの自転車メーカーのお偉いさんが気の毒に思ってくれて、週明けには新しい自転車をプレゼントしてくれることになったんだ」



 水川さんと吉野さんは言葉も出ないようだ。



「アキラは危うく犯罪者になりかねないところがヒーローになった。しかもご褒美としてオンボロ自転車がタダで新品になる。幸いなことに、被害者は犯罪者である通り魔のおっさんだけ。まあ不幸中の幸いにしても超大当たりを掴んだってことだな。でも、これがバレれば、全部ひっくり返るよ」


「まあ、それはもう良いんだよ。俺が処罰を受けることになったら、それはそれで仕方ないことだって思ってる。

 ただ一番心苦しいのは、俺は君たちからお礼を言われるような事をしていないのに、悲しませて、泣かせてしまったという事実だ」


 ハヤトがため息をついた。

「アキラはずっと気にしてたんだ。本当にたまたま通り魔にぶつかっただけで、少しずれていたら君たち二人や商店街にいた人たちに大怪我を負わせていた可能性が十二分にあったって。だからそのことを誰かに褒められたり、ましてや本人が感謝しているなんて聞くと、心が苦しくなるんだって」




 言葉が出ない二人の前でアキラがすっと立ち上がった。




「だから、ごめんなさい。俺は、水川さんや吉野さんが想像してくれたようなヒーローじゃありません。自分の保身のために周りが勘違いするように立ち回っただけの卑怯者です。ハヤトやナベちゃんは俺を庇おうとしてくれただけです。

 …あと、そうだな。



 水川さんみたいな美人さんに、嘘でも告白してもらって嬉しかったです。


 ありがとうございました」




 またアキラは深々と頭を下げた。


 数秒して頭を上げると、ハヤトを見た。


「ワルい。やっぱ今日は俺、帰るわ。あと頼んでいいか?」

「りょーかい。…お疲れー」

「サンキュ。…お疲れー」


 自分の前のグラスに残っていたアイスティーを一気に飲み干したアキラは、水川さんと吉野さんに軽く会釈して、大部屋から出て行った。





 ホールにいたナベちゃんに「色々ありがと。ちょっと今日はゲーセンやめとくわ。ごめん」と謝り、パンケーキを頬張る須藤たちに「程々にしておけよー」と声をかけ、ヒゲのマスターにお礼を言って喫茶店を後にした。

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