第8話

 ハヤトが爆笑している。

「アハハハハハハハハハッ!アキラっち、良かったじゃん!」


「ヴァイまで俺をいじめんなよ…」

 膝の上の黒猫を持ち上げて、お腹に自分の顔を押し当てた。

 そのまま猫のお腹の匂いを嗅ぐと、お日様の匂いがした。


 黒猫はといえば、嫌がるそぶりこそないものの、ちょっとうんざりした顔に見える。


 黒猫の表情を見たハヤトがまた笑った。



 ピコン♪


 アキラがスマホを取り出すと、ナベちゃんから『神社着いたよ』というメッセージが届いていた。


「ナベちゃん、着いたって」

「オッケー。じゃあ行きますかー」

「…ん。じゃあ今日はもう行くよ。ヴァイ、またなー」


 黒猫を下ろして立ち上がり、神社の入り口に向かう。






 鳥居をくぐる手前でふと後ろを振り返ると、黒猫の姿はどこかに消えていた。






 ============






「お待たせー。あ、宮木くんも一緒だったんだ」

 ナベちゃんがニコニコしている。


「お疲れー。ハヤトも一緒に行きたいって言うんだけど」

「もちろんOKだよ!久しぶりに一緒に遊ぼうよ!」

「アリガトー!ちな、ナベっちは何使い?」

「ケンがメインで、JPがサブかな」

「強キャラじゃん!あれ?アキラはザンギだっけ?」

「そうだよ。あと最近マリーザも触ってる」

「じゃあアキラっちがザンギの時はダルシムでやろー」

「ざけんな!」


 ハヤトとナベちゃんと俺の三人で自転車に跨った。


「激坂下って行かない?」

「あー、まあこっちの方が早いしなぁ。俺は別に良いけどナベちゃんは?」

「僕も別に大丈夫だよー。登りは勘弁して欲しいけどね」


 境内を出て激坂に入ると、路面がアスファルトからコンクリート舗装に切り替わった。コンクリート路面にたくさんの丸い窪みが等間隔に並んでいる。オーリング模様と呼ばれる加工で滑り止めの役割をしてくれているそうだ。


 激坂は緩やかなカーブが二つあるもののほとんどが見通しの良い一本道で、民家などはない。ただただ傾斜がキツイのだ。

 聞くところによると、坂から上は神社の土地らしい。


 道自体は公道なので一応車も走れるが、傾斜がきつ過ぎて車両の下面を擦ることがある為、普通はこの坂に立ち入らない。坂の入口と出口には『急傾斜のため車体を擦って破損する恐れあり。車両は迂回路を利用してください』と言う看板が設置されている。


 回り道より圧倒的に早いので、帰宅用の自転車道として利用している生徒は多い。

 特に男子は結構な勢いで下っていくが、交通事故が発生したという話は不思議とほとんど聞いたことがない。


 ハヤトがニヤリと笑った。

「競争!坂下のカーブまで!負けたらドリンク奢り!」

「ええ…。お前が飲むのって、よくわかんねーグリーンスムージーとかだろ。たっかいやつ」

「これでも日々の肌ケアには気を遣ってるんだ。あ〜負けるのが怖いか〜」

「おもしれーじゃねえか。下りなら電動アシスト関係ねーからな。一番高いヤツ奢らせてやるよ!」

「アキラっち、参加ね。ナベっちは?」

「やめとく〜」

「じゃあスタートの合図頼むわ」

「オッケー」


 このダウンヒルレースも昔からお馴染みのものだ。

「本気でぶっちぎってやる」

 アキラがリュックのチェストストラップをブレザーの上から留めた。

「オレの新車は下りも強いんだぞー」

 ハヤトの方はブレザーを脱いでハードシェルバッグに突っ込んだ。あらためて背負い直して準備OK。





「坂下の方のカーブを先に抜けた人の勝ちね。コケたり怪我したら賭けは無効だよー。じゃーいくね」

 横並びになった二人の横でナベちゃんがカウントダウンを始めた。


「5、4、3、2、1、スタート!」


「シッ!」「うりゃっ!」


 ハヤトの方が、一拍早く走り出した。


「(ママチャリには負けられない、な!)」「(やべえ、アイツ、早ええ!)」


 ハヤトの赤いマウンテンバイクをアキラの黒いママチャリが追いかけて行った。

 見る間に小さくなっていく。



「宮木くん早いけど、真島くんもママチャリでほとんど変わんないってスゴ」

 健太も遅れないようにちょっとだけ急いで走り出した。






 ============





 アキラとハヤトのレースは、あっという間に佳境を迎えていた。

「(カーブでブレーキかけてたら負ける!)」


「よっと!」「あれ?」

 一つ目のカーブでハヤトがブレーキをかけたところで、アキラが真後ろまで追いついた。


 そのままスピードを緩めず二つ目のカーブに突っ込んだアキラが歓喜の声を上げた。

「うっし!俺の勝ちぃ!」「マジで!」


 ハヤトはつい癖でブレーキをかけていたらしい。その隙を突かれてしまったようだ。

 残りの坂道はウイニングランか。


 ハヤトがアキラに追いついて話しかけた。

「負けた〜!まだこのチャリに慣れてなかった!」

「お、おう」

「くっそー!やられた!」

「あ、ああ」

「で、どこの店のが良いんだ!?」

「は、ハヤト…」

「なんだよ!ちゃんと飲むやつだぞ。ただ高いだけのやつはダメだぞ!」

「や、やばい…」

「は?」

「ぶ、ブレーキ、効かねええええええ!!!!!」

「はぁ…。はああああああ??????」


 アキラを見るとブレーキレバーを必死で握り込んでいるが全く減速していない。

 前を見ると坂道に他の人影はない。


「足着け!足!」

「お、おう!」


 足をつけて減速しようとしたが、下り坂のため上手くいかない。


「だめだ!」

「いっそコケろ!この先行くとベイロードだぞ!」


 前を見るともう坂が終わりそうだ。

 坂を下り切って交差点を越せば商店街に入ってしまう。

「くそっ!!!」


 アキラがハンドルとブレーキレバーを握り込んだまま、強引に自転車を引き倒そうとしたところ、急に左側のブレーキレバーから『ガキッ』という嫌な音がした。

 何かのタイミングでブレーキが復旧したらしい。

 そして、左のレバーが固まった。


 一般的に、自転車の右のブレーキレバーは前輪、左のブレーキレバーは後輪に繋がっている。


 前輪のブレーキだけを強くかけると、後輪が浮き上がる「後輪上がり」という現象が発生する。俗にいうジャックナイフ事故が起こるのだ。

 そして、後輪のブレーキだけを強くかけると後輪がロックされてしまい、結果的にコントロールを失い制御不明な状態に陥ることがある。


 アキラの自転車は、急に後輪ブレーキがロックされた状態で固まった。

 通常であればすぐに転倒しそうなものだが、アキラの体幹の良さが災いしてしまった。

 無意識のうちにバランスをとり転倒を避けている。



 運転者の意志では引き倒すことすら出来ない、まさに暴走モードに突入したアキラの自転車は、猛スピードで坂の下の交差点に突っ込んで行った。

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