第十六話 アルバイトの初日はアクシデントに見舞われて、大変な思いをした。
第十六話
隆二さんの入れるブレンドコーヒーの良い匂いが店内に漂ってきた頃。
カラン。と扉が開いて二人目と三人目のお客さんが店内へと入って来た。
「いらっしゃいませ。席へとご案内しますね」
やって来たのは若い男性二人組だった。
歳の頃は高校生くらいで、俺と同い年か一個上くらいだろうか。
あまりこういう事を言いたくないが、この店の雰囲気にはそぐわない、少しだけ『チャラい格好』をした二人組だった。
そんな二人が俺を見ながら少しだけ不服そうな視線を向けて言う。
『お前じゃなくて、向こうの可愛い子を寄越せよ』
『男に案内されたって嬉しくねぇよ。ちったぁ考えろよ』
イラッときた。
だが、こんな所で問題を起こすのも馬鹿らしい。
それに、接客業をしていれば『こういう客』を相手しなければいけないのもあるだろう。
早速良い『練習』が出来るんだと思うことにしよう。
そう結論付けた俺は家で練習しておいた『作り物の笑顔』で二人のお客さんに言葉を返した。
「それは大変失礼いたしました。ですが当店では従業員の指名は行っておりませんのでご了承ください」
『ああぁん?テメェ喧嘩売ってんのか』
『まぁいいぜ。注文の時は女の子を寄越せよ』
そのまま店の外に放り出したいような気持ちになったが、我慢だ。
こんなのでも今のところは『お客さん』だからな。
そして俺は二人組を席へと案内したあと、カウンターへと戻った。
そこには少しだけ心配そうな目をした瑠衣ちゃんが、俺にあの二人の話をしてくれた。
「ごめんなさい。裕也先輩。あの二人なんですけど、最近良く来る態度の悪い人達なんです」
「そうなんだ。まぁあんなんでも『問題行動をしてないなら』出禁には出来ないよね」
俺のその言葉に瑠衣ちゃんはコクリと首を縦に振って肯定の意志を示した。
「そうなんです。一応今のところは『態度の悪い客』ってだけなので……」
「まぁでも気にしないでよ瑠衣ちゃん。あぁいう客への対応も『俺にとっては良い練習』だと思うことにするからさ」
俺が笑いながらそう言葉を返すと、瑠衣ちゃんも少しだけ笑顔に戻ってくれた。
「あはは。ありがとうございます。裕也先輩にそう言って貰えると助かります」
そして、瑠衣ちゃんには出来上がったブレンドコーヒーを七瀬さんの元へと運んでもらい、俺は注文票と水を持って二人組の所へと足を運んだ。
「お待たせしました。ご注文がお決まりでしたらどうぞ」
俺は笑顔を張りつけながらコップをテーブルの上に置き、二人組にそう言った。
すると、やはりと言うか予想通りと言うか、二人組はイラッとしたように俺に言葉をぶつけてきた。
『ああん!?なんでてめぇが来てんだよ!!』
『お呼びじゃねぇって言ってんだろ!!』
「先程も申しましたが、従業員の指名は致しかねます。あちらの従業員は、他のお客さんの対応をしてますので」
俺がそう言うと、二人組は納得した様子など微塵も見せずに言ってきた。
『何のためにこんな寂れた店に来てやってると思ってんだよ!!』
『こっちは客だぞ!!』
……。
てめぇらみたいな奴らを『客』と呼びたくねぇな。
はぁ……アルバイトの初日からなかなかめんどくさいことが起きてるよな。
すると、俺の横から二人に対して冷たい女性の声が聞こえてきた。
「さっきから煩いわよ。このお店の雰囲気を壊すなら出てってちょうだい」
「……え?」
俺の横に立って居たのは、不機嫌そうに眉をしかめている七瀬さんだった。
だが、二人組は七瀬さんを見て反省の色を見せるどころか、口説き始めると言った暴挙に出てきた。
『へぇ。君可愛いね。どう?この後俺たちと遊ばない?』
『こんな店なんかどうでもいいや。君が付き合ってくれるなら出ていくぜ』
……。あぁもう限界だな。
流石に度が過ぎている。
俺が二人組に対して『退去』を願い出ようとした。
その時だった。
「今まではまだ『お客さん』として許せるレベルの行動や言動だったが、他のお客さんに迷惑をかけるなら、それはもうお客さまでは無いな」
「隆二さん……」
「店長さん……」
二人組の前にそう言って立って居たのは、カウンターからこちらの様子を見ていた隆二さんだった。
「今までは『従業員に対しての行動や言動』でしたから。だからお父さんも我慢してたんだと思います」
「……瑠衣ちゃん。そうだったんだね」
「私も……その、お母さんも困ってたんですよね。ただどうしても『出禁』にするには弱かったんですよね」
瑠衣ちゃんのその言葉に、七瀬さんが少しだけ笑いながら言葉を返す。
「ふふふ。それなら私が声を上げたのは少しは役に立ったのかしら?」
「あはは。お客様には大変ご迷惑をかけてしまい申し訳ございません」
「気にする事はないわよ、店員さん。初めて来たお店だけど、この雰囲気は気に入ってるの。あんなゴミが居るのは耐えられなかっただけよ」
「……あはは。ゴミってのはなかなか」
俺が苦笑いを浮かべていると、瑠衣ちゃんが耳打ちをしてきた。
「裕也先輩。あの方って結構『口が悪い』って所はあるんですか?」
「そうだね。高校では『学園の聖女様』なんて言われてるけど、結構口も気も強い方だよ」
俺がそう言うと、七瀬さんは少しだけ不満そうな表情でこちらを見ていた。
「何よ南くん。私の前で内緒話とは感心しないわね」
「あはは。七瀬さんにとってはあまり良い話では無いからさ」
七瀬さんが『学園の聖女様』と呼ばれていることは、彼女も知っている。
そしてその事を『快く思ってない』って事も知ってる。
だからあまり話を聞かれたくはなかったんだよね。
こうした話をしていると、二人組を『強制退去』させた隆二さんがこちらへとやって来た。
「いきなり変な客の相手をさせてごめんね裕也くん」
「ははは。気にしないでください隆二さん。俺としても良い練習になったと思ってますから」
『知らない人と会話をする』
俺が苦手にしてたことだったが『怒りの感情』がそれを忘れさせてくれた。
まぁあいつらにたったひとつだけ感謝することがあるとしたら、それだけだな。
「そうか。そう言ってくれると助かるよ。それと、ああいう客は稀だからさ。後はもう二度と来ないように『話』をしておいたからね」
……一体どんな『話』をしたのだろうか?
俺よりも10cmは背が高くて筋肉質な隆二さん。
『肉体言語』を使ったのかも知れない……
「それとお客様。大変ご迷惑おかけして申し訳ございません」
隆二さんはそう言って七瀬さんに頭を下げる。
その様子に七瀬さんは少しだけ困ったように手を振りながら言葉を返した。
「いえ、気にしないでください。私としてもお店の雰囲気を壊されて気分が悪かっただけなので」
「そうですか。でしたら今日のお代は結構ですので」
「それも受け取れないですよ。きちんとお代も払います」
「……かしこまりました。お客様の心遣いに感謝します」
隆二さんはそう言うと、七瀬さんに一つ礼をして戻って行った。
「ごめんね七瀬さん。せっかく来てもらったのに」
「別に気にする事はないわよ、南くん。私は貴方の働きぶりを見に来ただけだもの」
そして、七瀬さんはふわりと微笑みながら俺に言う。
「自分の意見をきちんと言う。従業員を守るための行動や言動。不遜な人間にも感情的にならない。ふふふ。素敵だったわよ?」
……。かなり破壊力のある言葉だな。
だが、これも『お世辞半分』だよな。
浮かれては行けない。七瀬さんは『そんな簡単な女性』じゃないんだから。
俺は緩みそうになる表情を引き締めて言葉を返した。
「ははは。そう言ってくれると、我慢したかいがあったよ」
「いえ、裕也先輩はとてもかっこよかったですよ!!とても助かりました!!」
「ありがとう瑠衣ちゃん。君とお店が守れたなら良かったよ」
少しだけ彼女の身体が震えているのが見えた。
きっと怖かったんだろうな。
そう思った俺は瑠衣ちゃんを安心させてあげようと、彼女の頭に手を乗せた。
そして、結花にやるのと同じように、俺はそっと瑠衣ちゃんの頭を撫でていく。
「……ゆ、裕也先輩」
「……へぇ、南くんにはそういう一面もあるのね」
そして、彼女の頭から手を離して俺は笑いながら言う。
「それじゃあ仕事に戻ろうか」
「そ、そうですね」
「ふふふ。私もコーヒーを飲もうかしらね。冷めちゃったのが残念だけど」
七瀬さんがそう言うと、瑠衣ちゃんが一つの提案をする。
「あ、それでしたら新しいのを作り直します!!それくらいはさせてください!!」
「あら、ありがとう。そうね、その好意はいただこうかしらね」
「それじゃあ俺が隆二さんに伝えてくるよ」
俺が隆二さんにこのことを伝えると、隆二さんは嬉しそうに新しいコーヒーを入れてくれた。
少しだけ冷めてしまったコーヒーは、ゼラチンを加えてゼリーにしたようだった。
七瀬さんはコーヒーとゼリーに舌鼓を打ったあと、満足して帰って行った。
お代はコーヒー一杯分だけ頂くことを何とか承諾してもらった。
七瀬さん的にはゼリーの分も払うと言ってたけど、それはサービスさせて欲しいと納得してもらった。
まぁ、その代わりと言って花火大会とは別の『約束』をすることになったんだけどな。
『それじゃあ南くん。とても美味しいコーヒーとゼリーをありがとう』
『こっちこそ色々迷惑をかけてごめんね』
『ふふふ。それじゃあ一つだけお願いをしようかしらね?』
『……お願い?』
『ええ。花火大会とは別に何処かに遊びに行きましょう?日程と場所は南くんが決めてちょうだい』
『……それは。わかった。考えておくよ』
『ふふふ。楽しみにしてるわね』
そう言って七瀬さんは店を後にした。
……デートの誘い。とも取れるけどそんな意図は無いよな。学級委員として親睦を深めるためだと思うし。
こうして俺のアルバイトの初日は、多少のアクシデントはあったもののきちんとこなすことが出来た。
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