1554年 ルイス・フロイスの西国政府の覚え書 中華より高炉技術導入
「はぁ、ようやく基礎基盤が固めることができた」
貿易は順調、兵器の製造や研究も進んでいる。
アジア中の富が大内に集中している現状。
その富を支える作物、工芸品の数々。
外交関係も日ノ本は毛利が東を固めて、接している三好も友好的···足利が煩いけどもう力が無いから関係ないし、図らずとも公武合体の様になっているし、権威も従三位かつ、征西将軍の地位もある。
子供も既に24人···
なるほど、こうやって上に到達すると燃え尽き症候群になる王や皇帝がいるのもわかる。
まあでも私の場合まだ天下統一もオーストラリアへの植民もできていない。
「やるべきことは沢山ある! よし! やったるでー!!」
私は更に奮起することになる。
まずは度々起こる洪水の抜本的な対策工事である。
暴れ川として有名な筑後川の大規模治水工事を中心とした各地の治水工事を開始。
水車技術を水を別の水路や田んぼに流す様に扱い、水路整備にも力を入れた。
一年中大規模工事があちこちで行われ、治水だけでなく、九州四街道とされる豊後街道、日向街道、唐津街道、薩摩街道に加え、博多から佐賀、長崎、長崎から南下して薩摩に向かう西九州街道と薩摩街道を北九州に繋げた東九州街道を整備。
各地に大量の銭が流れ、その銭は民に行き渡り、食料や農具、衣類などを買うことに使われ、商人や職人達に行き渡り、そこから税として一部が大内に戻って来る。
一見大内の銭が減ったかのように思えるが、治水工事をしたことにより農作物の収穫量の安定に繋がるし、道の舗装工事は物流の改善に繋がる。
刀狩令により大名及び国人衆以外でので武装した勢力は討伐の対象となる。
道が舗装され、治安が維持されるなら武装するのは不健全であり、多くの勢力がこれに従い武力を放棄した。
一部抵抗した寺院や地侍勢力があったが、寺院には寺院の寺領を削る代わりに神主や坊主等の寺院運営に必要な金を補填する法令から始まり、飴と鞭を合わせた寺院諸法度を毎年のように発布し、寺院の勢力を削ることに注力した。
ただ教育機関としてや対キリスト教ヘカウンターとして弱体化し過ぎて本来の力を失っては本末転倒なので、寺社の代表と話し合いが行われ、双方合意の元に改革が推し進められ、政教の分離を時間をかけて行った。
話を戻し、治安が急速に回復し、物流が改善したことで、物流革命の為に数年かけて試作を続けていた馬車を導入。
日ノ本で馬車が発達しなかった理由として平地が少なすぎて、小回りが効く人力や馬や牛にそのまま荷物を載せる方が良かったが、舗装された道ができた事で、長距離を比較的平坦な道が続き、馬車を運用できる下地が完成した。
それに今まで育ててきた私が改造した大型馬を投入したことで、物流の状態が大幅に改善。
馬を維持するために馬の休憩所や水場、餌場が整備され、道に落ちた馬糞を掃除する職業も生れ、街道沿いの店は更に潤う事になる。
勿論海上輸送も改良が始まり、港町の整備だけでなく、船も布が量産化されたことで帆船が増え、大型和船が作られ続けた。
毛利が尼子を実質無力化したことで、瀬戸内海の港町の整備も進み、周防から備後までは舗装された道を延長する計画も進むのだった。
ザビエルの部下として来ていたルイス・フロイスは急速に国力を高める日ノ本をインド総督に向けて手紙を書いた。
『鉄砲を導入してまだ十年程の国であったが、既に火薬の製造方法から鉄砲の改良を行い、既に祖国以上の鉄砲が完成している。日本国王と懇意になっていたため知ることができたが、射程は祖国のが100メートル程に対して小筒と呼ばれる比較的小型かつ安価なタイプでも250メートル、中筒は300メートルにも達する。狙撃タイプも作られているらしく、進歩は目に見えて向上している』
『大砲も旧式のファルコネット砲を商人から購入するや、改良···いや、改造を行い、半カルバリン砲やカルバリン砲に匹敵する大砲を短期間で製造可能にまで持っていった』
『白人としての優位性はジャパニーズには通用しない。誰もが勤勉かつ誠実であるが、知識欲が旺盛であり、新しい物に適合し、自分の文化と混ぜる習性がある。国が分裂状態であったが急速に秩序を取り戻しつつある。そして日本国王は外洋に出ることに積極的であり、植民政策を行う場合急ぐ必要があると記載する』
『ただ日ノ本とは白人国と同じ誠意ある対応をすれば誠意を返してくれる文化人達である』
と書かれた。
これを受け取ったインド総督は貿易の産出物等を纏めた目録と一緒に本国のポルトガルに報告を行ったが、ポルトガル本国は貿易の戦略的要所と認知したが、武器の性能に関しては大げさに書かれているのではないかと真面目に取り扱わなかった。
キャラック船の独自生産が可能になったことで、その改良にも大内海軍···いや西日本海軍は注力していた。
統一海軍となったが倭寇との戦闘は続いており、帆船や大砲の改良に余念が無い。
その為大砲の需要が増加しており、従来の青銅生産量では足りなくなり始めていた。
「さて、どうしたものか」
私は鉄製の大砲の製造を行えないか職人達を招集して聞いたが、できるとは思うが、性能が低下したり、青銅の柔軟性あっての大砲なので、使用可能回数が減る可能性があるとも言われた。
そして鉄製でも量産は難しいのではないかという結論を言われた。
反射炉が無いこの時代鉄の製造も量を作るのは難しい。
とかいう私も耐火性レンガを作ることはできても反射炉の作り方なんかは知らない。
なので従来のたたら製鉄の延長でやるしかないかと思っていたら、明の方から救いの手が差し伸べられた。
『鉄不足で困っているのならこちらから大規模に輸出しよう。中華式製鉄技術も朝貢として送ろう』
明の皇帝の友好関係が生きてきた。
技術をホイホイあげるのはどうかと思うが、明では製鉄が完全国営化されており、皇帝の許可が無ければ新炉を作ることも出来なかった。
そんな為に明から鉄の輸入をしつつ、筑後に中華式の製鉄所が作られた。
中華では既にコークスを利用する製鉄が行われており、炉は塊鉄炉で一度作ったら壊さなくてはいけなかったり、砂鉄ではなく鉄鉱石を使わなければならない等の違いが多かった。
しかし、石炭及びコークスの使用は日ノ本にとって革新的であり、直ぐにたたら製鉄に導入されて、木材の消費量が軽減、そして水車を利用することでフイゴの改良も進み、鋼の生産量も増えることになる。
ただ中華式は一度壊す必要があれど高炉であり、たたら製鉄よりも大砲の鋳造には適していた。
鋳造製の半カルバリン砲は職人達の予想に反して耐久性に優れ、青銅製よりも不具合が発生しづらく、鉄鉱石等を中華から輸入してもなお、青銅製より予算も抑えられると判明し、これ以降鋳造砲が日ノ本において主力砲としての地位を確立していく。
ただ中華式製鉄よりもたたら製鉄のほうが砂鉄の産地である出雲や伯耆を毛利が抑えたことで量産できるので、大砲以外の鉄製品はたたら製鉄が日ノ本において主力であり続けるのであった。
ノッブこと信長が妹を征西将軍である私に送ったというのは未だ室町の公方の影響力が比較的強い東国に衝撃を与え、今川家は室町幕府の連家として強い拒絶感を露にした。
なお尾張でも拒絶反応が強く、清須城を制圧した信長は親族だったり元家臣だったりと内乱鎮圧に時間を有する必要となるが、西国との貿易量が格段に増加したり、私からしたら旧式の鉄砲と火薬類も大量に輸入し、常備兵を養える経済力を確保した。
特に前年から作り始めたバターが高値で取引され、来年以降はチーズもこれに加わり、尾張の経済を牽引していくのであった。
信長は西国との繋がりをより強め、西国の経済力と武器を使って史実よりも早く尾張を統一することになるのだった。
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