1551年〜1552年 魔女の扱い 大和型キャラック船 倭寇掃討戦
1551年内は土佐の勢力の整備に時間がかかったものの、抵抗した国人衆を火力を持って整備及び鎮圧したことで土佐を大内直轄領に組み込むことができ、土佐支配の為の拠点として高知の町を指定した。
そして高知の町近くに高知港と土佐佐賀港、宿毛湾の三つの港を土佐戦略港と指定し、大型船舶が入港できるように拡張工場が盛んに行われた。
また四国全体で言えるが、米が穫れる場所というか山ばかりで果樹園は作りやすいものの、そもそも農地に適していない為、食料の自給率が悪い。
水源が貴重となるため水が少なくて済む小麦を使ったうどん料理が広まったというものある。(うどん作る場所は逆に大量の水を使うが)
ただ漁業は盛んであり、カツオや鯨といった海の幸は大量に獲れるし、果樹園等の山を活かした産業にも適しているし、良質な木材の産出地域でもある。
そして土佐国には石灰岩が露出している鳥形山(日本における石灰岩の埋蔵量一位の鉱山)があり、火山灰採掘地域である薩摩から近い為コンクリートの精製もしやすい。
私は土佐管理を任せる家臣に米よりも果実や鶏や豚等の家畜類の繁殖を指示、米が作れるところでは米と麦の二毛作を行わせ、畑にできる山は芋の栽培も行わせた。
九州全体で大内が各地に金をばらまいたことで貨幣経済が浸透し、換金作物の需要が高くなっていた。
米や小麦、野菜類は大内から流れてきた正しい新農法と各種種籾や種の普及で大内領内に伯仲するくらい生産量が上がっていた。
九州及び中国地方では米価が下落傾向であり、畿内も三好勢が混乱を治めているので、米価が安定し始め、前ほど米の輸出で設けることができなくなっていた。
その分酒類や保存食への加工に力を入れたり、藁を食べる家畜を導入したりと工夫がされていたが、九州中部地域の大名達から私にもっと稼げる方法は無いかと打診があった。
羊や木綿を育てて欲しいと言ったが、彼らが一番食いついたのはい草であった。
畳やゴザの原材料となるい草。
この時代畳は高級品であるが、茶道の普及に伴い、畳の需要も増加していた。
特に金を持った商人達や貴族達が自宅に畳を敷きたいという要望が広まっており、需要と供給のバランスが崩れていた。
未来でも熊本県と広島県が畳の産地として有名であり、だったらい草を生産してもらおうと九州中部の大名達に高品質ない草の種と農書を送った。
まぁ畳は値段が下がったら庶民も買い始めるので需要が無くなるという事は無いので継続的に金になる商売であろう。
1552年になり、尼子の分裂が本格化する中、欧州から魔女認定された女達がポルトガル船により次々に博多に送られてきた。
私が壊すまでもなく船員達に輪姦されたりして壊れており、格安で買い取り、治療するところから始める。
性病もしくは壊血病に多くの者が感染しており、性病は主に梅毒であり、壊血病は柑橘類の継続的摂取で治るが、性病は体内の菌を殺さないと治らない為、女性白人は一度大内家が全て買い取るという決まりを作り、女の体重の半分の胡椒が送られた。
まぁその為到着間際に水を飲ませて体重をかさ増しする商人が相次いだが、大内家はそれでも彼女達を買い取った。
で、梅毒治療としてペニシリンが有効というか抗生物質が有効なのであるが、私は作れても継続性が無い。
仕方がないので熱で殺すことにした。
カンピロバクター···生の鶏肉を食べたときに発熱を伴う食中毒症状が起こる。
それにサルトリイバラという植物を改造し、サルトリイバラが持つ殺菌作用と解毒性、利尿作用を強め、更に香辛料系で作られた漢方で熱を持続させて体内の梅毒菌を熱で殺菌し、尿から体外に排出するという強引な治療方法を行わせた。
この治療方法だと40度近くの高熱が1日近く続くが、効果的であり、長期航海で弱っているときには余計に高熱が出るので効果的であった。
まぁこれは梅毒の症状が進行した場合に行うもので、初期症状であればサウナに数種類の薬草を焚いた煙で充満させた場所に八分以上入り、それを最低3セット繰り返すことで殺菌することができた。
ザビエルには船内で栽培可能なモヤシでも壊血病予防になると教えた。(柑橘類にそのうち行き着くと思うが、恩を売ることで欧州の技術を教えてもらうことや、魔女認定された女性陣を匿うのを見逃してもらった)
梅毒の治療方法(サウナの)は無償で教えたが、薬草類が日本(というか私が改造した薬草なので日本以外での栽培が難しい 中華や台湾、韓国等の気候が似ている場所では栽培可能、欧州だとイタリアと南フランス、スペイン東部では可能かもしれない)でしか採れない為に薬草類はヨーロッパで高値で取引されることになる。
博多や下関に寄港した船乗り達はサウナが気持ち良いこともあり薬用サウナに入ることになり、日ノ本に到着さえすれば健康になって帰れると噂が広まることになるのだった。
さて、買い取って治療を行った白人女性達はほぼ全員が娼婦となった。
キリスト教会では魔女認定された者は本来処刑であるので日本支部では見逃されているだけでも温情であるとされた。
まぁ精神的に死んでる女達なので疑似人格を植え付けて精神を混ぜた。
この疑似人格であるが日本語を基本ベースとしているので日本語が喋れる様になる利点がある。
旧人格が廃人化している為疑似人格が徐々に混ざっていき、新たな人格が形成されることになる。
日本語が喋れる、理解できるとなれば博多や下関の娼館で働かせ、働いている間に文字や学を学び、一定年齢になれば裏方や町で働くサイクルを作っていた。
まぁ彼女達はキリスト教に処刑されそうになった経験から信仰を捨ててしまっており、中には仏教徒になる者も現れた。
これは子供達にも受け継がれていくことになる。
まぁこれにより西洋人の船乗り達が性欲を発散しやすくなり、更に娼館が増えたことで技術交流が行われ、百手に迫る各種の性交体位が確立した。
私もそれを体験して書に纏めて松永久秀に贈ったりしている。
ちなみに毎年百人以上が博多に来るが、欧州出発時点では二百人近くいたらしいので半数は航海中に死んでいる計算になる。
しかも船乗り達の話によれば神父と結託し、金を支払うことで魔女認定を狙った女にさせてこちらに売り飛ばすとか教会で育てた孤児をこちらに売るという人身売買も行われるようになったとか···
それを聞いて、カトリックの堕落具合が酷すぎると感じるのだった。(よく近代で立て直せたなと感心もした)
で女や取引を使って、この年にようやく博多近くで座礁したキャラック船を購入することに成功し、キャラック船の解析が行われた。
私も船を視察し、設計図を描き、日本に帰化したポルトガル人の船大工達から意見を貰いながら小型の模型を作った後に下関の造船所にてキャラック船の複製プロジェクトが始動。
船大工400人、鍛冶800人、雑役1500人が動員されて費用が現代換算で約15億、50日かかって複製に成功した。
外洋船を手に入れた事、中華から羅針盤の技術も手に入れていた事、帰化した西洋人に外洋航海技術を教えてもらい、1552年中に台湾までの航海を行う日本初のキャラック船の大和丸が運航された。
大和丸であるが積載量は450トンで千石船が150トンの積載量だったので三倍の積載量があり、400名の人員を輸送することができた。
一番は和船よりも速度が出ることであり、西洋帆船の利点をそのままコピーしたため、鈍足とされたキャラック船でも和船より速度が出た。
ただ船体が大きいので浅瀬は座礁する可能性があるので瀬戸内海の航海は和船の方が利点が多かった。
大和型キャラック船と呼ばれる450トンから600トン級のキャラック船は下関造船所と博多造船所、大友勢力下の府内造船所、島津勢力下の霧島造船所の四箇所が1553年中に技術提供で製造可能となり、後々高知造船所、長崎造船所も加わることになる。
大内は年六隻ペース、他は年一隻ペースで製造され、台湾や琉球、日明交易で使われることになる。
そして本格的に倭寇殲滅作戦が行われ、ファルコネット砲やファルコネット砲を大型化させて艦砲や拠点防衛砲として開発され、量産された半カルバリン砲を大和船に積み込み、火縄銃や焙烙玉等を満載し、台湾海域における倭寇の拠点を潰しまわった。
他日本における倭寇の拠点を潰し、倭寇の親玉である王直という人物とその一族を処刑。
日明貿易が停止ならまだしも、日明貿易が過去最高までに過熱し、更に台湾を手に入れた今の日ノ本の勢力にとって倭寇の海賊行為は看過できなくなっていた。
これにより史実では翌年から起こる大倭寇が起こらずに、明の国力を一定以上保つことに繋がるのだった。
またこの倭寇掃討で東シナ海内では安定した航海が可能となり、台湾開発が更に進むのであった。
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