1550年 ザビエルの日記より 2

 フランシスコ・ザビエルの日記より(日本語訳)


 ハカタを出発した私がまず驚いたのは舗装された道だ。


 まるでローマの街道の様に美しく、そして頑丈であり、ローマ街道そのもの···いや、更に改良が施されているようにも思える。


 シマズが言っていた火山灰がこの道に使われているとなると、ローマで失われた技法がこちらではまだあるのか、もしくは再発見された可能性が高い。


 そして舗装された街道の道沿いには店が建ち並び、ヨーロッパでもこれ程の賑を見せる場所はそう多くないだろう。


 そして気になったのが温泉の多さである。


 数キロ進むごとに温泉宿もしくは大衆浴場が置かれており、多くの者が体を綺麗に洗い、湯船で疲れを癒しているように思える。


 キリスト教の教えでは、湯船に浸かることは贅沢であり、更には病を体に取り込むと恐れられている。


 最近では教会内で、湯治により体調が回復したと報告が教会や大学で上がっており、実際どうなのかと再検証の動きが起こっているが、疫病を治す程病への知識を持っているアンジが温泉を各地に置いているということは、フランスの領主達が言うように湯治は体調を良くする効果があるのだろうか。


 そして街道を含めて治安が素晴らしく良い。


 常備兵と呼ばれる兵達を巡回させることで治安を守っており、ヨーロッパでは騎士や領主がやることを兵が行っていた。


 兵達も狼藉を働く者は居らず、親切であった。


 同胞がアンジへ私を紹介する為に着いてきているが、彼は兵達と挨拶をすると、兵達も彼に気さくに挨拶をする仲らしい。


 道中にあるムナカタという町に到着し、その日は信者達と一緒に一泊したが、ムナカタの町を治める領主兼神官に挨拶を行った。

 し

 同胞の話を聞くと現在当主をしているのはウジオ·ムナカタという人物で、数年前にムナカタの家督を腹違いの兄より継承し、兄に幼い男児(義植が数年前に送った薬でできた男児)が居るのでその子と自身の娘を婚姻させて、家の分裂を防いだのだとか。


 ムナカタの水軍は東アジアで絶対的な戦力を保持しているらしく、マラッカでもムナカタという名前は度々聞いていた。


 そんな水軍の大将であると同時に彼は異教の神官として我々とは別の教えを守っている。


 そんな彼と話す事ができ、彼からこの国の宗教についてさらに深く知ることができたが、何故我々キリスト教の教えが仏教になってしまう理由が判明した。


 ジャパニーズにとって外から来た宗教というのが今までは仏教系列でしかなく、しかも私がインドより西から来た事でインドが天竺として伝わっているのでインドを経由したとヤジロウの通訳を通すと天竺を経由したとなり、天竺を通った教えで仏教と結びついてしまうし、外から来た宗教ということで結局ごちゃ混ぜになってしまうらしい。


 ヤジロウの通訳はありがたいが、日本語を本格的に覚える必要がありそうだ。







 ムナカタを旅立った私達は九州から本土に船で渡るが、船の賃金も低かった。


 どうやらアンジが渡し賃を安く抑える事で人の往来を増やし、人の往来を増やすことで安くした分の賃貸を船頭達は回収しているらしい。


 あえて安くすることで更に富を得る。


 ユダヤの商人が近い事をしていたのを思い出す。


 そしてシモノセキに到着した私達はシモノセキ館に居るアンジを訪ねた。


 シモノセキ館に行くとアンジは町に出ていると言われ、すれ違いになってしまったらしいが、シモノセキの町でアンジを探していると人だかりできており、そこで何がされているかを近くの人に聞くと異国の果実が収穫できたのでアンジが民衆に振る舞っているとのこと。


 領主自らが料理を民衆に振る舞うというのが普通ではないが、出された料理はリンゴのパイであった。


 渡されたので食べてみるが、イタリアで食べたパイよりも甘く、クリームも甘い。


 サクサクとした食感で今まで食べた菓子の中で最高に美味しかった。


 あっという間に食べてしまったが、調理風景を公開していたので見てみると、パイの生地は至って普通···いや、パイの表面を滑らかにするために卵を塗っているようだ。


 そしてその上から卵黄、砂糖、牛の乳を混ぜた黄色いクリームをパイの上な絞り、リンゴをふんだんに乗せていく。


 そしてパイ生地で上から蓋をして窯で焼き上げる。


 すると先程の美味しいパイが焼き上がったようだ。


 アンジと思われる人物の周りにはメモを取る料理人と思われる人物が質問を投げかけ続けるが、それにアンジも答え続ける。


 こういう料理は秘匿されるものであるが、彼はそれを実践しながら広めている。


 横を見るとリンゴを使った料理の屋台やリンゴを売る露店があるし、リンゴを使ったジャムやリンゴ料理を綴ったレシピ本が売られていた。


 レシピ本を買ってみたが私の知っているリンゴの料理から、知らない料理が合わせて二十種類も書かれていた。


 レシピを売っている者に聞くと、全てヨシウエ(アンジ)が書いた物を写したのらしい。


 ますます話してみたくなった。


 材料が尽きたのか【完売】と書かれた札を置かれると、食べられなかった不満よりも拍手が起こった。


 どうやら千個以上のパイを彼は焼いたらしい。


 事前に作っておいて焼いたのもあるらしいが、千個もパイを焼くのは職人でもなかなか無いことだ。


 火の調整は難しし、調理しながら質問に応え続けるのも凄まじい。


 彼の周りには商人が集まり、材料の仕入れや料理を複製してよいか等を聞いている。


 金になりそうなのに食い付くのはどこの商人も一緒なのだろう。


 ある程度応答をしたアンジは私の所にやって来て


「始めまして、フランシスコ・ザビエル殿。地球の反対からわざわざ我が国にようこそ」


 と言ってきた。


 私はこの国の他の領主達に地球が丸い事やヨーロッパの国のことを説明しても天竺より遠くというのが理解できていなかったが、彼は理解しているのかもしれないと驚いた。


 そのまま彼の屋敷に招待され、通訳のヤジロウと同胞の者との四人(アンジの護衛で二人控えていたが、その者は除外する)で喋る事ができた。










「ようこそフランシスコ・ザビエル! そしてキリスト教の宣教をご苦労だったな」


『私の名前を覚えていただき感謝します。キリスト教は同胞達に聞きましたか?』


「まぁそんなところだ。今宵は色々と語りたくてウズウズしている!」


『まずアンジとヨシウエ様は同一の人物で合っていますかな?』


「ああ、私の法名が安慈だ。今は義植だがな」


『九州の地よりアンジの名前は良く効きました。まるで救世主のようだと』


「いやいや、キリストもしくはイスラームのマフディー、仏教のブッダの域にはまだまだ到達していませんが、神と会話はしたことがありますがね」


『やはりキリストの事やイスラームについて知っていますか···神との会話ですか』


「別にそちらのヤハウェを否定する気は無いよ。キリスト教の教義を否定する気も無い。ただ神は一神ではないのは確かだ」


 私は家臣から鉄の棒を渡すように言い、私のは筆ほどの鉄の棒を握ると鉄は色を変える。


 くるっと手で回すと銅に変わり、更に一回転すると銀へと変わり、更に一回転させると金へと変わった。


 その場に居た全員が驚愕し、金へと変わった棒をザビエルに渡す。


「噛んでみ。金に変わっているから」


 ザビエルが噛むと凹んだ。


 棒を返してもらうと再び鉄に戻す。


『錬金術···まさか本当に存在するとは』


「まぁイエスが奇跡を起こした様に、私の奇跡をがこれだ。私が力を与えた神はヘルメス・トリスメギストス(勿論嘘)。三倍のヘルメスであるが、彼はキリスト教にも関連しているだろう? 現代の錬金術の祖となる人物だ」


『いや、ハハハ、なるほど、私としてはイエス様の教えが正しかったと改めて認識することができましたよ。イエス様の様な行いが出来る人物が居るのならばイエス様も実際に奇跡を民衆に振り撒き、教えを広めたのでしょう』


「まぁイエスと私の違いは統治者かそうでないかだ。私は奇跡を統治するのに適した方に使い、イエスは宗教として政治とは分離させた。最も今のヨーロッパではカトリックとプロテスタントの間で宗派による対立があるそうだが」


『一番知られたくない内情ですな』


「まぁどこの宗教も時間が経過すれば堕落する。それを立て直す純情な思いを持つ者が堕落を正さなければならないでしょう。ザビエル殿の各地の布教の活動は聞いています。あなたは正しい行いをしていると言えるでしょう。ただこの地を統治する者として優遇することはできないし、この国の宗教的特色で混じり合ってしまうのだ。それだけ神道というのが他宗教に寛容であると同時に同化性が高い。この国でいくらイエスの言葉を広めても、最終的には同化してしまうだろうが、それでも良いなら布教することを許そう」


「ただし、領地は持たせない。土地は貸すし、活動に不自由がない程度の銭は支払いが行うが···政治と宗教は分離しなければならないのだよ。最も元僧侶が言っても説得力は欠けるがな」


『いえ、それで十分でございます。土地を貸していただけるだけでもありがたい』


「できればザビエルが日本のイエスズ会の代表として長く滞在してもらいたいが···」


『それなのですが、一度京にも行ってみたいのです。この国の帝に挨拶をしたいのですが』


「それは無理だ。帝に会うには官位が必要であり、それはこの国の民でも限られた者しか与えられてない。外の者に会うことは不可能だし、帝は親族に仏教や神道のお偉いさんがゴロゴロいる。キリスト教が認められるには同化してからでないとまず会うことはできないし、仏教も適合するのに数百年かかっているからな。それくらいの根気が必要になるでしょう」


『数百年ですか···』


「この国では王室が始まって既に二千年近く経過していますからな。時間の感覚が他国よりも長いのですよ。あとザビエル殿は個人的に信用できますが、キリスト教···特にカトリックの堕落については理解しているつもりですし、スペインとポルトガルが勝手に世界を二分する条約を結んでいるのは日ノ本の領主として看過できません。恐らく私が生きている間にアジア地域での日ノ本の立場をスペインやポルトガルに教える必要があると考えています」


『戦うと?』


「ポルトガルは戦わないかもしれませんがスペインの南米での活動を見ていると自衛の為に戦わないといけないでしょうし、ポルトガルは本国の方が怪しいですよ。スペインの陸軍力でしたら地続きのポルトガルの陸軍力では占領されるのでは? いや、ヨーロッパですと王位を他国の王が継承することもあるので同君連合となる可能性もあるのか···まぁどちらにしても先の話です。キリスト教を利用して国内に拠点ができても困るので私の勢力圏ではキリスト教はあくまで貸した土地でしか教会を建てる事ができないと思ってくださいな」


『わかりました。拒絶されるよりはマシです』


「あ、あと多分この国では一夫一妻は流行らないよ。土地余りかつ、男が乱世で不足しているからね。一夫多妻にしないと回らないのよ」


『忠告感謝いたします』









 〜ザビエルから見た大内義植〜


 ザビエルから見た大内義植はよく彼の法名である安慈で語られることが多く、京へ行ったあとに下関の教会にて死ぬまで布教を続けたザビエルは度々義植と面会しており、外国人(キリスト教)視点での義植の評価を後世に残した。


 身長は190センチの大男であり、髭や体毛は薄く(髭は生えていなかった可能性が高い)、狐の様な顔立ちであったと書かれている。


 西洋風の肖像画でも身体に対して顔が小さい絵が多く、小顔であった可能性が高い。


 衣類は薄着であることが多く、黒色の服をよく着用しており、自ら布を仕立ててザビエルや西洋人から聞いて洋服を自作したりもしたそうだ。


 とにかく風呂とサウナが好きで、朝と夜の二回毎日湯に浸かり、下関館にはサウナ(蒸し風呂)が作られていた為、ザビエルも義植の館に行くとつきあわされたと書かれていた。


 この入浴文化をサビエルは贅沢なのではないかと初期は疑問に思っていたらしいが、義植が纏めた人体絵図にて清潔性の重要性を説かれ、京で疫病が流行っているのに対して大内領内では疫病の流行があまりに少なかった為に、入浴することで身体に付着した病気の元を洗い流していると記録した。


 また男が浸かった湯船に女が入っても妊娠しないことも人体絵図にて妊娠の仕組みを教えてもらったと書かれていた。


 義植と交わった女性が石女でもない限り最低十名(最初期の嫁達は平均二十名)は子供を産んでいる為、子供ができる仕組みを理解していたらしい。


 事実義植が残した医学書に子供のできる仕組みとして現代でも通じる仕組みが書かれていた。


 どうやって理解したかというのは現代でも議論されているが、死んだ妊婦を幾人も解剖した説が最近では主流の説である。


 ザビエルから見た義植の趣味は料理、植物の研究、錬金術、動物の飼育、子育て、物語を書くこと、茶道とあり、武芸は趣味では無かったと書かれている。


 ただ馬上射撃は達人の腕前であったと書かれてもいる。


 キリスト教、イスラム教、そして世界情勢をある程度把握しており、どこから情報を仕入れてくるのかは最後までわからなかったとザビエルは書いている。


 総評として領主として民に優しすぎる面があるが、税や法の整備を行い、商いを活発にさせたことや流民を他国に入植させたり職を与えて飢えない仕組みを作り上げた事、優秀な家臣を教育した手腕は評価に値する。


 そして我が友でもあると書かれていた。


 一方で性に関しては寛容過ぎるとして批判もしていたりする。


 義植のハーレムが拡大するとよく叱ったりもしていた。


 総評は東洋の賢王であると書いている。


 ザビエルの後に来て日本各地を巡るルイス・フロイスも賢王と言っていたが、フランシスコ・カブラル(この世界ではザビエルが1586年まで存命だったし、生涯日本のイエスズ会総長であったため副総長として活動)は魔王や大罪人と糾弾し、日本においてキリスト教布教の最大の敵とまで言い切った。


 なおフランシスコ・カブラルについて、義植はよほどの事がない限り人を悪く言わない(粛清に踏み切った陶隆房についても西国一の侍大将であったと言っているくらい他人を高く評価する)が、彼には頑固で押し付けがましい厄介者とか軍学者であるがインドでの成功体験をそのまま押し付けてくる頭でっかちなエリートとキツメの言葉で評価しているのであった。


 またザビエルの書記により安慈と義植が同一人物であることが確定したのも大きな歴史的意義であった。



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