1548年 博多に南蛮船襲来 武野紹鴎

 さて、この時代九州では各地で南蛮船が目撃、一部地域では食料や真水の補給による交易の先駆けに近いものが起こっており、どうにか南蛮人及び南蛮貿易を行えないかと九州勢力は考えていた。


 大内家が日明貿易で莫大な富を独占しているので、それを知る大名達からは貿易=儲かるという図式ができており、島津や大友等の貿易相手がいるのだから、貿易に値する物を作らないと、育てないといけないと理解している勢力は少数派であった。


 まぁ大内義植こと私はキリスト教の過度な信仰は悪であるが、宗教は薬と同じで使い方次第と考えてもおり、それに西洋人が欲しがる者を未来人視点でよく理解していた。


 この時代の西洋人が欲しがる物は中国産の白い茶器、香辛料、金銀、真珠等であった。


 南蛮船が目撃され始めた頃(鉄砲伝来がわかった1545年頃)より対南蛮貿易に向けた交易品を私は育て始めていた。


 まず香辛料といっても種類は様々であり、西洋人が多く求めていたのは胡椒、ナツメグ、シナモン、クローブであり、胡椒等の香辛料の種を転生特典の神頼み、それを改造を施して勝山城近くの山の中で試験栽培を行っていた。


 その品種は三十種類にも及び、ちゃっかりカレー粉モドキや七味を作ったりして下関や博多で試験販売をしていた。


 まぁ養鶏やガチョウを育てているため、チキンカレーになるのだが、鶏肉を食べる習慣を広めたお陰で色で嫌厭する人も居たが、米と合うというのが決め手で広まりつつあった。


 このカレー粉の元となる香辛料は売れると村人達に認識させることができたので、農書と一緒に苗木を渡し、栽培を開始させたのが今年である。


 白い茶器こと陶磁器であるボーンチャイナは私が安慈時代から研究してきており、山口の町の職人達に継承が完了し、品質の良い茶器が作られていた。


 金銀はこちらでも硬貨として使うので除外として、真珠は瀬戸内海周辺の村や安芸の毛利領で大々的に養殖事業を行っていた。


 この頃になると中華への輸出品として数えられるくらい量が揃えられるし、ネックレスや腕輪といったアクセサリーに山口の職人により加工されて博多で各地に輸出されていた。


 仏教的にも真珠というのは厄払いに効果があるとされ高値で売れるし、西洋も真珠は宝石の一つとして重宝されていたので輸出品としては最適である。


 何より瀬戸内海は大型な南蛮船が航海するのは難しく、養殖の技術流出も隠せるのが良い点であろう。


 そんな工夫をしていたためか、博多に南蛮船が流れ着いた。


 南蛮船はポルトガル船であり、食料と水の補給を求めており、博多商人が対応したが、博多の代官をしていた者から山口にて父上達を京へ送り、太宰府にて台湾侵攻の補給計画を立てたりと、結構クタクタになっていたところにこの問題が転がり込んできた。


 私は太宰府から直ぐに博多に大栗に乗って向かうと南蛮商人(と随伴していた漢人)と話し合いの場を設けた。


 漢人は私が日本国王であるとわかると萎縮していたが、南蛮商人はお偉いさんだとわかると欲しい物等はあるか聞いてきた。


 私が求めた物はケイ砂であり、中国やベトナム沿岸部で採取できるガラスの原料になる砂、金銀、薬類、生糸、牛や山羊、羊等の家畜類そして技術書等の西洋の書物であった。


 漢人を通訳として話し合いを行い、私が南蛮商人に売れる品として工芸品や陶磁器、日本刀、香辛料、真珠、酒類(ワインも葡萄酒として作っていたりする)、砂糖等を見せると目の色を変えて手持ちの銀の全てとサンプル品を買えるだけ買って戻っていった。









「極東の果てに我々が求める物を全て備えた理想の国が存在した。昔黄金郷ジパングという話があったが、黄金郷ではなかったが、見てみろ! 中華の陶磁器ともまた違った乳白色のコップに何十種類もの香辛料! 美しい工芸品や芸術品の数々! 栄えていたし、独自の文化が発展していた。国王とも会ったが話のわかる人で沿岸部で取れるガラスの材料になる砂を求めていた」


「となるとガラスを作る技術もあるのか···いや、香辛料がこんなにも種類が栽培されているとなると、どれくらいの利益になるかわからんぞ! 色々な箇所を回る手間が減るからな」


「中華と貿易しているらしいが、香辛料は中華は困っていないからこちらに優先して売ってくれるそうだ。代金は金銀銅で中華の銅貨が使えるらしい」


「ならばやはりマカオの居住権が欲しいな。そうすればここマラッカよりも近いジパングの拠点ができるからな」


「技術書も求めていが、協会が禁書扱いにしていた技術書ならば安く手に入るんじゃないか? あと人手不足とも言っていたから人も売れるかもしれねぇな」


「入港制限はなかったんだろ?」


「ああ、交易品は沢山あるからお仲間連れて来いってよ。稼がせてやるとも国王が言っていたな」


「まじか! わざわざ地球の果てまで来たかいがあったぜ!」


「ちなみに幾ら儲けたんだよ今回のでさ」


「手持ちの銀を全て支払ったが、本国まで持ち帰れば砂糖も合わせて···100倍は固いな」


「各地を巡るよりも利率が良いな。問題は倭寇とかいう海賊だが」


「ジパングの国王が倭寇討伐の為に軍を送っているとかも言っていたな」


「どんだけジパングって国は俺たちに都合が良いんだ! 最高じゃねぇか! 美人な女が居れば更に良いんだがな」


「···なぁ、俺良いこと思いついわ」


「なんだ?」


「本国の方で魔女狩りが盛んだろ。魔女認定された女は人間として見られねぇんだから教会の審問官に冤罪符代と合わせて譲ってもらえば···」


「なるほど、こっちに連れてきて娼婦にさせるってか」


「ジパングの国王が娼館はあるんだけどそっちのニーズに合わせたかったら人を連れてこい、教育して最高の思いをさせてやるとも言ってたな」


「まじか! 俺その王様に会いたいわ!」


「次の貿易は俺の商会も連れていけよ!」


「道案内頼むぜ!」


「任せろ。なに、次はあっちの女を抱かせてもらおうぜ。背の小さい猿みたいなのかもしれないがな」


「色付きだが女は女だからな」


「あ、そう言えばキリスト教の宣教師がこっち来るんだろ? イエスズ会だっけ? なんかすっげえエリート集団が創ったって分派の」


「あー、そんな名前だったか。せっかくだ。その宣教師の方も連れて行くか」









 千怜が第二子、文とちよが第一子を無事に出産した。


 お陰で下関の屋敷が賑やかである。


 そうそう、牛車が公家達の間でブームになっているらしい。


 私的には馬車の方を流通させたいんだが、バネが火縄銃くらいの小型のならともかく馬車に使うような大型のバネを作るには設備が足りないなぁと思いながら、サスペンション付き馬車の設計図は職人達に投げているので、山口の職人達ならいつかは作りそうであるが···


 公家達は山口と太宰府周辺で大学を創設し、そこで教鞭や教養を更に磨く場を提供した為天文学や歴史書の解読、失伝した文化の復興とお金を出すから文化的活動で稼がせていた。


 その為か物語等の脚本業で才能を見出した者が芸者(当時は身分が低かった為馬鹿にされたりしていた)と組んで歌舞伎の雛形みたいなのが出てきたり、落語ができ、それを民衆が楽しむという新しい娯楽の形ができ始めていた。


「実に良い。ただ茶道も負けてはおりませんぞ」


 と博多経由で山口に来ていた堺の豪商で千利休の師匠である武野紹鴎は私の茶器を見て侘び寂びが足りないと論した。


「侘び寂びですか」


「さよう。良い茶器に合わせて周りの道具を合わせる。一品を際立たせる影を作るは見事。しかし、茶室だけで完結させるには実に惜しい。私に庭をいじらせてはもらえませんか」


 と言われ、茶室がある庭をいじってもらった。


 四季に合わせて春は桜、梅雨はあじさい、夏は池で涼しく、秋は紅葉、冬は雪による移り変わりを演出し、苔の生えた岩を置いたりと大改造をしてもらった。


 更に茶道を嫁共々しっかり教わり、手の空いた家臣達にも武野紹鴎がいる間はこぞって学ばせてもらった。


 現代なら国宝と呼ばれるような方に教わったことでプロレベルの茶道名人が量産され


「山口に立ち寄ったのは実に良い刺激であり茶道が九州や中国でここまで広まっていたのは驚いた」


 と言葉を残して山口を去ったのだった。


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