応援コメント

1545年 三者会議 鉄砲伝来」への応援コメント

  • 官位に付いて誤解があるみたいですね。
    必ずしも官職の相当官の位階しか与えられない訳ではないですし、特にこの時代は公家と武家が官位を分けていなかったのもあり、官職と位階に差がある事が多かったです。
    義隆は兵部卿(位階相当は正四位下)ですが従二位でしたし、義隆も従五位から初めています。

    あと、義の字は通字ではなく足利義稙からの偏諱で足利家は一門や名門大名には義の事が与える事があり、(特に義興は管領代だったので義の字が親子で貰えました)少し格の下がる大名へは下の字を与えていました。
    養子の晴持も義晴の偏諱です。


    あと、将軍家の位階も誤解があります。
    何故将軍家が三位までと勘違いされてるのか分かりませんが、解任された10代目までは満9歳で早世した5代義勝以外、(満23歳没の義尚でさえ従二位内大臣)基本的に従二位大納言まで昇進しますし、足利家全盛期だった足利義満は官職においても准三宮太政大臣となり、生前は先例で上皇や法皇にしか扱いを受けたり、逝去時は生前望んでいた太上天皇の尊号を送られました(遺族や管領が辞退)

    ちなみに設定時代の義晴は位階こそ従三位止まりですが将軍職を義藤に譲る際に右大将も贈られ権大納言と兼任しました。
    この時代では珍しい官職に対して最低限の位階だったので、1545年時点で位階は正三位で義晴より上ですが、官職は大宰大弐兼侍従で義晴が権大納言でした。右大将に補任された同年兵部卿翌年従二位と義晴の2つ上になりますが、兵部卿は単体では(公卿が兼任する事が多かった)正四位下の相当官で参議(三位か参議以上が公卿扱い)よりも下の官職です。
    ただ義輝は参議兼左中将止まりなので足利の没落振りがよく分かります。
    (しかしそれでも義勝や義輝含めて没後従一位左大臣は与えられる)

    それと姓と氏は違うので大内(氏)がだめだから本姓の多々良をってのもおかしいかと。
    家康で例えれば徳川はダメ、藤原(源氏生の前は藤原)を名乗れって言ってる感じ。
    朝廷の正式文書では本姓が使われますから義隆も正式には従二位兵部卿多々良朝臣義隆となるかと。

    織田家で言うと、織田はダメ、津田を名乗れ。徳川なら松平を名乗れとかこれなら分かります。
    大内にも沢山分家があるのでそこから選ぶと良いかも。

  • 時代、地域を問わず起こる新規発行通貨に対する忌避感情にどう対応します?
    (新品の通貨に対して、流通信用が無い→次の支払いで受け取り拒否されるかもしれない→受け取り拒否の流れ。日本でも弘治年間以前は畿内では永楽通宝が減価銭扱いされていた品質はかなり上質にも関わらず。)

    作者からの返信

    そもそも銭の流通量の絶対数が足りてないので信用が乏しくても使わざる得ない。
    なので作中で描写したように堺と博多が中心と書いた。

    堺と博多から離れれば離れるほど、山口との関係が乏しいほどこの銭は使われないと思いますが、十年流通させればある程度の信用は獲得できるかと思います

  • これはくそ親父

    作者からの返信

    史実で似たような事やって反乱の原因になってます

  • 火縄銃については随分初動が遅れましたね、火薬は錬金術で作れないのかな?

    作者からの返信

    作れますが量が作れない。
    硝石作りも利用方法を明確化できなければ誰も作ろうとは思いませんからねぇ。
    ただ事前に肥料作りをさせていたので、硝石作りも肥料作りに擬態させられますので

  • 着々の地盤を固めていたのに、まさか腹違いの弟が誕生するとは・・・。

    そこに鉄砲が主人公のもとに、これは吉兆なのかそれとも・・・。

    作者からの返信

    どうなるんでしょうねぇ