1543年 大内義植の誕生 

「···晴持の代わりにはならんな」


 政務を誇りだして養子であった大内晴持の喪に服していた私の実の父親である大内義隆が私に対して言った第一声がこれであった。


「晴持様の代わりは居るはずがございません。晴持様は晴持様でしかないのですから。そして私は私でございます」


 義隆様は私をじっと見つめ


「···還俗するのであれば義の字は使うな」


 と言った。


「大内歴代当主は義の字を使うが定め···ということは私はまだ認められないと言うことでしょうか」


「お前のような薄汚い巨漢が大内の名を名乗ることすらおこがましい。私が認めるまで多々良の名を使え」


「···わかりました」


 この意味は還俗させることと大内一族の前身である多々良姓(徳川家の前が松平の苗字だったみたいな感じ)を名乗ることで一門衆であることは認めたが、当主になる権限はまだ与えないという意味合いも込めていた。


 政務を投げ出し、覇気が無くなっていても、政治のセンスは衰えておらず、大内の大将たる器は確かにそこにあった。


 大内家臣達は当主である大内義隆が私を嫌っている(好みのタイプでは確かに無いため)のを感じ取り、還俗及び元服の儀を纏められ、更に大内義隆から烏帽子親をするなと大内家臣団に命令が出ていた為に懇意にしていた冷泉隆豊からも烏帽子親をしてもらえず、結果、烏帽子親不在という武士として誰からもお前なんか認めねーよという嫌がらせを受けた。


 義隆にとって息子は血が繋がっていなくても晴持だけであり、血が繋がっていても私は晴持が死んだから晴持の地位を奪いに来た簒奪者でしか無いということであろう。


 名前は皮肉を込めて将軍に歯向かい殺された祖先の大内義弘から弘の字を取り、多々良弘吉(ひろよし)とした。


 義の字が使えないのでせめて読みだけでもという事である。






 名声はゼロからスタート···いや、マイナスからスタートであるがやれるだけ足掻くつもりである。


 安慈時代に意見交換を行ったりしていた下級武士達の支持を得るべく、還俗して大内一門衆になったことを挨拶回りをして行なった。


 ただ大内義隆の男色の愛人である相良武任が私への嫌がらせを行い、大内の後継者では無い為大内の資金を使う事は許さないと言われてしまった。


 その為挨拶周りをする為に安慈時代に助けた村々を大栗に乗って巡り、また問題を解決しながら解決した時の謝礼金と博多商人に私が作った色付き茶器や農書を売り込むことで資金を作り、足りない分は借金をして、その金で大内一族に就任したと各国衆や家臣達に挨拶を行った。


 ただ私が大内義隆様に嫌われた事を知った家臣や国人衆は私のことを侮り、例えば下座に座らせて対応させられたり、仮病を使われて挨拶を拒否されたりと散々な目にあった。


 それでも立ち寄った村に困った人が入れば助ける事を行い、着実に民意を得ていった。








 ある時山口の町中に私は目安箱を設置した。


 目安箱に提案や困っていること、大内にしてもらいたいことを書いて入れるように立て札付きで置くと困っていることが多く集まった。


 例えば病で倒れた主がおり、病に効く薬が欲しいとか、税を高く取り立てる領主の話、焼けてしまった寺院の復興願い等様々であり、私の側仕えを命じられた若者達を引き連れて困っている場所に駆けつけたり、村々を巡り、種芋と米と小麦の種籾や竹の種に農書を付けてを配り農法を長門と周防の行ける範囲で広めた。


「困ったら長門の山口近くの村を訪ねなさい。彼らが農法を詳しく知っているから」


 と先行して私が農業指導を行っていた村を紹介し、時には私も鍬を持って田畑を耕した。


 側仕えの者から


「武士のやることではない! おやめください」


 と言われたが、私はそんな彼を𠮟り


「民あっての武士であり、食があっての国だ! 農工商を発展させねば武は強くならんのだ」


 と言い、持論を述べた。


 また義隆様と和解するために私は義隆様の寝室の廊下に座り、障子越しに会話を行った。


 無視をされても毎日半刻ほど義隆様が好きだと言われていた物語だったり、商いや異国の工芸品の話を続けた。


 ある時は私が料理を作り、毒見の上で食べてもらおうとした。(最初の頃は全く口にされなかったが、続けるうちに少し食べては意見の書いた紙が置かれるようになった)









「何故に弘吉殿は東西南北に走り回り、民を助けては嫌われている義隆殿の関心をひこうとされているのですかな?」


 ある日、私は高位の貴族である三条公頼が腰痛が酷い為に見ては貰えないかと使いの者に言われて山口の町中にある三条館へとあがっていた。


 そこで太政大臣の任を受けたこともあり、貴族としては最高位に属する人へ私は軟膏を塗りながら、何故こうも働くのかと問われた。


「それが民の為、日ノ本の為になる故に」


「天下泰平の世を作らねばならぬのです。私は仏神より知恵遅れを治す代わりにその使命を与えられた。正直大内の嫡男でなければ僧として全国を巡っていたことでしょう。貴族であっても太平の世為に尽力したでしょう。しかし、私は大内の嫡男として生まれた。ならば大内の為に動くが産まれた意味かと」


「産まれた意味···か」


「元服と烏帽子親の一件で多くの者が貴殿を見下しているが···西国大将大内の血はしっかりと流れているようだ。弘吉殿、私も困窮して大内を頼る身故に頑張る若者は応援したい。教養に偏りがあるでしょう。私が教師となりましょう。今からでも大内の大将となる人の教養を身につけられよ」


「···は!」


 こうして三条公頼より教養を教えてもらうことになるのだった。


 三条殿が私を教えるとなると他の貴族達も私の認識を変えたらしく、幾人かが教師として私に様々な教養を教えてもらった。


 和歌、蹴鞠、占い、歴史、音楽、書道、漢文、茶道、庖丁道等を多岐に渡り習い、みるみるうちに習得していった。


 寝る間も惜しんで勉学に励み、貴族達との仲を深めるにつれて彼らの教養と知識量に脱帽した。


 そしてこの技術や知識は書物にし、残さなければならないと決意し、覚えた教養や知識を書き記していくのだった。







 私が教養を吸収していく姿を見ていた三条公頼は


「大内の後継者足りうる器···いや天下を差分する事ができる人徳を持つ者である」


 と大内義隆に報告した。


 義隆はその報告の他に商人経由でも私の情報を仕入れていたらしく、商人達も


「多々良弘吉様が大内を継ぐのであれば我々は安心して商いをすることができます。なるべく早く和解してくだされ」


 と言われていた。


 武士達には農民の真似事をすると馬鹿にされたりもしていたが、各地を巡り、種籾を配った事で各地で豊作となると手のひらを覆し、私を支持する者も増え始めていた。








 秋の収穫期が終わり、三条館に私が行くと、大内義隆が来ていた。


「弘吉と腹を割って話したくなった。付き合ってくれるな」


「わかりました義隆様」


「いや、父と呼ぶことを許す」


「···では父上」


 義隆様との話は商いについてであった。


 大内の原動力が銭の力であると理解していた義隆は商いを重要視していた。


 その先進的な考え方はこの時代の武士という枠組みを超えていた。


「今、我ら大内は石見の銀山を失い、貿易の主力商品であった銀を喪失している状態だ。それをどうするべきか考えはあるのか?」


「まず貿易する相手にも考えがあります。何が欲しいか、何が中華では貴重かを考えれば、銀の他の品が出来上がるでしょう」


 私は例えばと言う。


「中華は広大な領土を有する大国のため、自国内で多くの物を生産することができる。なので高級品の輸出をすれば良いと考えます」


 この時代の高級品は砂糖等の甘味類、椎茸、干し海鼠や干し鮑、そして真珠等の宝石類、銀決済をしていたので銀が高級品となる物資である。


「どれも量が取れないのではないか?」


「いえ、椎茸と砂糖は既に生産方法を確立しています。大内領内で広めようと思えばいくらでも広めることが可能です」


「それに真珠も養殖可能。磁器等も技術を吸収していけば唐物(大陸産の磁器)にも負けない物を創れるようになるでしょう。高級食材と芸術品で勝負をしましょう。銀山はいつかは尽きるのです。永続的に生産可能な物で戦えば良いのです」


 その言葉に義隆の瞳に光が宿った。


「商いを理解できているのか! 大きな商いを!」


「ええ、商いこそが国を富ませるのです」


「ハハハハハッ! そうか! そうか! ···どこまで大内を富ませられるか試したくなった。後継者に認めよう。大内の本質(重商主義)を理解しているのであれば問題なかろう! 悪かったな。嫌がらせをしてしまい。大内義植···これがそなたの名前だ。何か欲しい官職はあるか? 与えよう」


「では鋳銭司の役職が欲しいです。駄目であれば造酒司を」


 鋳銭司は銭を作る役職であり、数世紀に渡り宋銭が流通していた為に廃れて今のところ空位となっていた役職であった。


 造酒司は酒や酢等を作る役職であり、それすなわち朝廷に定期的に酒を納める事を意味した。


 どちらも高い役職ではなく、どちらも長官で正六位(義隆が正四位 後々従二位)なのでそこらの国人よりも官位が低い。


 それこそ安芸の毛利元就が右馬頭(従五位)なのでそれの一つ下の役職となる。


「ずいぶんと低い役職であるな。それに鋳銭司は空位であるから銭をそれほど積まなくても得られると思うが」


「銭よりも季節の贈り物などが良いと思います。三条様、皇室に贈り物をしたいのであるが手伝ってはくれぬか?」


「ええ、勿論」


 こうして私は大内義植となり、後継者となることができた。


 そして多々良時代に私に丁寧に扱った者と蔑んだ者を見極めることもできた···


「父上、大内を改造しますがよろしいでしょうか」


「好きにしろ。後々家督を譲る故に大将となるまでは自由にしろ」


「は!」


 こうして私は大内の財源をバックに改革を始めることになるのだった。

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