1543年 大内館 重臣会議

「以上が私達が聞いた戦の流れでございます」


「よくぞ無事に帰ってきてくれた。飯にするか? それとも湯を沸かそうか」


「では飯を食いたいです。敗退してから安慈様が渡してくださった兵糧丸などで食いつないでくれましたが···」


「水しか飲んでおらず···頂いた革靴(ブーツ)も湯がいて食べてしまい誠に申し訳ござらん」


「なに、二人が無事に帰ってこれただけで私は嬉しい」


「「安慈様」」


 まぁ実際嬉しい。


 初期投資をし、農業を私の代わりに広められるかつ、私の意図をある程度の読んでくれる手足となって動ける人材は貴重。


 今は円月と球磨も仕込んでいるが、まだ年齢が私とほぼ変わらない為にもう数年教育する必要があるからだ。


 さて、大内晴持が亡くなったかはまだわからないが、史実と同じ流れであれば死んでいるハズだ。


 史実ではこの後に大内は後継者不在になり、大内義隆の妹(私が病を治したことで生存している大友義鎮の母親)の子供(大友義鎮の弟)が大内家に猶子に入ることになる。


 ただこの世界では私が仏門に入っているとはいえ大内直系で唯一の男児な為大内春持が死んでいれば何かしらのアクションがある筈だ。







 宇治と左貫が帰ってから一ヶ月後、大内家から使者が来られ、私を還俗させて後継者に戻す話が上がっており、器を確認したいと重臣の方々から要請が入った事を伝えられた。


 普通病弱で仏門に入っているのだから籠等を用意するのが普通であるが、使者曰く、馬に乗って来れるかが試金石にしたいと言われたので、私は大栗に乗って、使者に案内されて山口の館へと向かった。


「どれ疲れたであろう。茶を飲むと良いぞ」


「いえ、亀童丸様に入れていただくわけには···というよりも本当に亀童丸様なのですか? 人違いではなく」


「知恵遅れは治った。私こそが亀童丸である!」


「し、失礼しました」


「なに、急いで来たのだろう。ほれ」


「これは?」


「飲んでみなされ」


 使者が飲むと


「酸っぱい···が、甘い!」


「檸檬(レモン)汁と蜂蜜を混ぜた物を水で割った物だ。疲れに効くぞ」


「確かに元気になりました!」


「では参らん!」


「は!」


 寺から馬で二時間ほどで山口の町に到着し、町人から


「安慈様! 久しぶりでございます!」


「お芋様! またお話を聞いてもらいたく!」


「安慈様! おっ母の病がお陰で治っただ!」


 と町人達に囲まれた。


「此度は大内の館に用があってな。急いでいるためまた今度な」


 と、先に進む。


「凄まじい人気ですな。安慈という僧の事は噂で聞いておりましたが亀童丸様の法名だったとは」


「なに、僧として民を助けていたまで」


「しかし、安慈様が亀童丸様であるならば人徳には間違いないかと! 晴持様が亡くなって意気消沈しているお館様の心を癒せるかもしれません!」


 と使者は喜々として言う。


 ただ私は馬に乗りながら大内をどのように再建するかで頭がいっぱいであった。


(本当は武断派を暴走させ、貴族勢力を抹殺し、大友と毛利の力を持って大内を再建する方法を予備のプランとして仕組んでいたが、本命はこのまま政務を放棄した父に代わり大内を切り盛りすることで大内の勢力縮小を最小限にし、戦国大名へと脱皮しなければならない)


 大内はあくまで守護大名の旧式の家臣統制を家の格と勘合貿易による莫大な資金力を背景に運用していたに過ぎず、今後戦国後期の大名と渡り合う為には膨張し過ぎた家臣の粛清をする必要がある。


 というより能力主義にしなければ日ノ本を飛び出して大航海時代のポルトガルやスペインとの殴り合いができないし、日ノ本統一にも時間がかかる。


「さて、どうしたものか」







 服装を整え、広間に入ると重臣達が座っていた。


 知っている顔は冷泉隆豊くらいで、他はよく知らない。


 ただ私が入った瞬間に驚愕という表情が皆現れていた。


 そりゃ病弱かつ知恵遅れとされていた者が人並みより大柄(現在百七十センチ)で、筋肉の鎧を纏い、更には日焼けして麦色の健康そうな肌をしているとは思うまい。


 当主である大内義隆が座るであろう場所から一段低い場所の中央に座る。


「皆々様お初にお目にかかる。大内義隆が長男、亀童丸。法名を安慈と申す」


 安慈という名前が出た瞬間に黙っていた家臣達がざわつき始める。


 そりゃ城下に博多、時には大友のいる豊後でも噂になっていた高僧の名であるからだ。


「本当に殿の子なのか?」


「いやしかし」


 と口々に言うが、私はじっとその様子を見つめる。


 人違いでないか等を使者に来ていた男に重臣が聞くが


「寺を管理している和尚(徳源)曰くある日突然知恵遅れが治ったとのこと。更には仏神の加護によりここ数年寺近くの村々で豊作だったのは亀童丸様によるとも言われました」


「なんと!」


 ここで私が口を開く


「皆様が疑問に思うは最もでございますが、嫡男が他に居ない大内では私を還俗させ、安定化させるが最善かと。そして私が大内の主となるに相応しいかは皆様で判断してくださればよろしいかと」


 そう私が言うと確かにとか嫡男が居ないのは事実と話し始める。


「父上とも話をして見る次第。ただ、まずは敗戦の処理をしなければならんな」


「敗戦の処理ですかな?」


 冷泉隆豊がとぼけた様に言う。


「筆と紙を」


 私は近くで控えていた小者に筆と紙を用意させると、大内の勢力と周辺の地図を描いた。


「まず私が収集した情報と皆さんの情報をすり合わせを行いたい。この度の尼子との敗戦により領地としては石見の銀山を失った。そして安芸での影響力も大きく衰退した。故に大内の領土は周防、長門、豊前、筑前の四カ国となる」


「安芸は毛利が、依然として大内支持を表明しているため、時間をかければ勢力の回復は可能である。次に尼子も勝ちはしたが、勢力を回復するには時間を有すると考えている。支柱であった尼子経久も亡くなっているしな」


「そして豊後の大友は婚姻外交により大内支持を表明している。少弐氏も滅亡し、父が太宰大弐(太宰府の高官 北九州で武家の棟梁であることを意味する役職)を朝廷より得ています。その為九州北部勢力も現状表立って敵対している者は居ない」


「故に国力の回復に当てるのが先決と私は考えているが皆さんはどう考える?」


 これに対して石見を領有していた家臣達や武断派と呼ばれる者達が反発する。


 石見の家臣達が所領を失陥した為に早急な勢力回復及び銀山の再奪取を目論んでおり、一方武断派は今回の戦で落ちた大内の面子の回復のためにも石見奪還をせねばならないと言う。


 しかし、武断派でも大半が一年以上の軍事行動により疲弊しており、内政に注力しなければならないとバランス感覚を持つ者は私の意見に賛同した。


 ただどうやって内政を回すのかという意見を文治派に聞かれるが


「まずは減税と検地を行いたいと思っている。そして四国だけで良いので国内の正確な地図を作り、街道を整備して物流を活性化させる。商人達は店の規模や立地により税を取れば良い」


 と言うと文治派も武断派も険しい顔をする。


 減税というのが気になっているのだろう。


「民が疲弊しているのに税を減らさずにどうする。大きな戦をする余力がないのであれば国内を冨ませる事が軍事力に影響するのだぞ。減税をすることで商いが活性化する。それに減った税収分は新しい農法をすれば収益は同じかやや増えるぞ」


「新たな農法ですか?」


「何故私がお芋様と呼ばれているかわかるか? 農法を多く試し、実際に収穫量を増やしたからだ」


「なに、五年で収益を倍増させてやる」


 と私が断言すると文治派は頭を下げた。


 それに釣られて武断派の一部も頭を下げたことで反対する者が浮き彫りになった。


「不服があるのはわかるが、まずは皆の頭を悩ませる貴族をどう扱うかでも判断してもらいたい」


 そう言うと、残りの武断派の面々も渋々頭を下げた。


 重臣達が私の還俗に賛成した事を意味した。




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 第13話 1541年 宗像水軍衆と吉田郡山城

が投稿ミスにより投稿されていませんでした。


 12話と14話の間の話が抜けてしまっているので一度戻って読んでいただけると幸いです。

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