1541年 帰還と吉田郡山城の戦いの報告
「只今帰りました」
そう言い、私は永満和尚の住む寺に球磨と円月を連れて戻ると、知らない子供達が増えていた。
「お帰りないさせ! 安慈様!」
「お待ちしておりました!」
と宇治と左貫が出迎えてくれた。
「いや、二年もの間旅に出てしまい済まなかったな」
そう話していると徳源がやってきた。
ただ気になったのが和尚が着ていた法服を身にまとっていることだ。
「徳源久しぶりだな」
「ああ、安慈様、お久しぶりでございます」
「···和尚に何かあったのか?」
「安慈様が出発されてから半年後に朝、和尚が起きてこないことに違和感を覚え見に行くと息をされておらなかった」
「そうか···葬儀に立ち会うことができず済まない」
「四十九日も過ぎているゆえ割り切ったが、墓が墓地にある。手を合わせてやってくれ」
「ああ」
私が旅をしている間に和尚が急死してしまったらしい。
そして徳源が跡を継いで住職となり、彼の方針で宇治や左貫の協力を得て孤児達を集め、勉学を教えながら田畑の農作業の手伝いをさせていたらしい。
それと愛馬である大栗と初霜が子馬を産んだらしく、産まれた時から大きくて驚いたらしい。
村々も私の教えを守り、時には互いに情報交換を行って僻地村を含めた五村が協力しあって村をもり立てていたらしい。
「九州情勢は小競り合いはあれど、大戦は無かったが、こちらはどうだ?」
「安芸の国で、尼子三万の軍勢が安芸統一に動いたが、知略名高き安芸国人の毛利元就率いる国人一揆衆が尼子を大いに足止めし、その後大内軍の若き侍大将の陶隆房(後の陶晴賢)殿が尼子を蹴散らし、尼子の野望は崩れたと聞く」
「なるほど···しかし尼子は巨大な家故にそう簡単に崩れぬぞ? それに尼子経久もおる」
そう、中国三大謀将と名高い尼子経久がまだ生きている以上まだ尼子の力は油断ならない。
「それなのですが」
と徳源が言うに今回のような大軍は必ず尼子経久が後詰めとして軍を動かすのが今までの尼子であったが、家督を尼子晴久に継いでいる尼子詮久が総大将として指揮を取るだけで、経久は動かなかったらしい。
それに尼子はミスらしいミスをしたわけではない。
しかし毛利の十数年前より築城した毛利元就の全てを注ぎ込んだ城である本拠地吉田郡山城、それに民を総動員し、私よりも幼い次男等の子供も動員して大内が来るまで耐え凌ぎ、そして陶率いる大内軍による奇襲をもって尼子を敗走させたらしい。
尼子の敗走は落ち武者狩りと大雪により多くの兵が亡くなったらしく、尼子を見限る国人衆が続々と居るらしい。
「なるほど···面白い」
「面白いとはいかに?」
話を聞いていた左貫が私に問う。
「なに、尼子の衰退を喜んだのではない。もし、もしもだ。この機に経久が既に策を練っていたら中国の地は大混乱するであろうなぁとな」
「安慈様らしからぬ発言ですな。混乱を望むとは」
と円月が言うが
「円月と球磨には言っていなかったな。私は実は大内当主の嫡男なんだが、知恵遅れとされ寺に幽閉されいることになっていてな」
「「な!」」
「つまり西国最大の大名大内を継ぐ可能性があると?」
「まぁ今は養子の文武に秀でた兄者がおる故に大内は安心だが、もし父が溺愛する兄者に何かあれば大内は割れる。それを尼子は狙っているかもしれんとな」
「いや、流石に考えすぎではござらんか?」
「宇治の言う通りではないですか?」
「なに、九州への種まきは終わった。球磨と円月という秘宝も頂いた。次は東に種を蒔こうか」
「種をですか?」
「ああ、博多商人と契りを結んでな。それを毛利に高く売り付ける。その為には宗像水軍と村上水軍と接触する必要があるがな」
そう言い、私はその後寺にて九州の旅の話を寺の皆や村の者に話し、そこで知恵も力も凄まじい円月と出会ったと円月を紹介し、円月が大人数人でようやく動かせる大岩を一人で動かすのを見た村人達は安慈様に弁慶が仕えたと喜んだ。
弁慶に例えられた円月も満更ではなく、村人の前で私が義経、円月が弁慶の出会いを真似た劇をしたところ大盛りあがりであり、その後村々を巡り、今困っていること等を聞いて回り、農法を周囲の村にも広めたと村長達から話され、このまま広めていって欲しいと願った。
私が居ない間に私こと安慈の名は更に長門と周防で広まりをみせ、多くの村から私の話を聞きたいと僧や村民、商人が私の居る寺に集まった。
時に宗派の違う僧と口論にもなったが、道筋は違えど末法の如き乱世を収束させ、太平の世を築くのが先決。
故に僧は民の意識を聞き、領主が正しいと思えば進んで協力をし、間違っていると思えば立ち上がるべし、そして寺で金を稼いでも良いが、それを民に還元することが大切と解いた。
その討論を聞いていた商人や村人からはその通りとか民あっての国だと私の意見に賛同をする。
そして討論をした僧のフォローもし、あなたの意見も間違いではない。
持論を信じて民を救うのも救民の一歩たるやと宗派は違うし規律も違うが同じ人として仲良くしましょう、互いに情報交換をしましょうと持ちかけ、蒸留酒の作り方やその装置を教えたり、たまり醤油の製法を教えたりもした。
寺は寺領を持っているため武士より商いがわかり、民の声も聞こえ、商人よりも金だけに囚われているわけではない。
まぁ一部は堕落しているが、大内領内では堕落した僧は大内家が監視していることもあり、絶対数が少なかった。
それに大内家がスポンサーとなり多額の献金がされていた。
金を持っているので、その金で民より米を集めやすいし、寺ぐらい金を持ってないと穀物を使う酒造りはできない為、私の酒造りの技術提供には大いに喜んだ。
時折大内家の家臣の方も見に来るが、成長した私が知恵遅れの亀童丸と結びつくことは無く、武士たるやという私なりの持論を教えて帰らせた。
主君を槍働きのみで貢献するは三流、泥臭く生きぬき主君を守るは二流、主君を忠言し、癇癪を恐れず間違いを正すが一流と言うと槍働きを軽視するのかと怒鳴られたが
「そうではござらん。槍働きで功を稼ぐのではなく、手足となる臣を育て、時には同僚と協力し、政事をするのも大切だというのだ。文武に通じる家臣ほど優遇したいと上は思う者ぞ。それに文だけに偏れば暗躍を始め、武だけに偏れば民の事を考えなくなる。それが本当に武士と思うか?」
と問えば流石に若い武士も考え込んでしまった。
「なに、文武を習えば功を得る機会が増えると考えれば良い。その方が功を稼げるであろう」
「おお、確かにその通りでごさるな! 拙者感銘致しました」
とそれっぽい事を言った。
私的には本心でもあるが、こいつらの殆どが大内の内乱で死ぬんだよなぁと思うと少し割り切ってしまう自分が居た。
逆に内乱を起こさなければ大内の膿が排出されず、蓄積した膿は体を蝕む···というか今も蝕み初めている。
父こと大内義隆に武断派の一部や文治派の一部をバランスよく粛清し、京情勢が安定した頃に貴族の一部を戻せれば良かったのだが、今の貴族達は金食い虫なだけで生産性がほぼ無い。
そんな事を考えながら、秋の収穫が終わったのを見計らい、今度は大栗を連れて安芸へ出発した。
今回はお供として円月を連れて行く。
大栗は私の遺伝子操作により日本在来種のポニーだったのが大型馬もどきになっており、それでいて力が強くて、持続力もあり、大人しく、性欲旺盛で頑丈と軍馬、農耕馬に必要な素質を全て併せ持っていた。
僻村の新規開拓地で焼畑を行った後にクローバーを植えて牧草地帯を作り、多くの馬を繁殖させていたが、その努力により多数の若駒が産まれていた。
そんな大種牡馬大栗と同じく品種改良した牡馬に円月が跨り、安芸を目指す。
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