1539年 僻地開拓
冬になり、私こと安慈は商人と助けた村々の村長を集めて寺で会合を行っていた。
その場には冷泉隆豊の命令で自身の弟である吉安豊英がたまたま来ており、会合への参加となった。
「年の暮れの近い時期に集まっていただき誠に感謝致す」
私の挨拶で会合が始まり、内容を話していく。
それは村々の連携を図り、商家を通じて村々から穫れた産物を領主から購入することは別に村々とも直接契約を結んではどうかという話であった。
「まず村人には商いがわからん。故に産物を街に持ち込んでも大きな商家に買い叩かれるのが定め、一方商人も領主からいちいち買っていれば領主の気分で売る売らないを決められ、買うために賄賂を贈らねばならないのが現状。故に年貢以外の産物は商人と村が直接契約を結ぶことにより、中抜きを無くして他の商家より有利になることを考えた」
「村は銭が入り、村の蓄えとなる。商人は安く多く産物を買うことができる。で、更にこれに株を組み合わせる。村の産物も村人達が売れる量は限りがある。故に村に対して優先的に産物を購入することができる株を保有することで長期に渡り方法安定した供給と商いができると思うがどうであろう? 意見を聞きたい」
「そもそもなんで安慈様はオラ達にこんなに尽くしてくださるんだ? 安慈様の村で全部やれば儲けを総取りできただろうに」
「それでは多くの民は救えない。民を救うは神仏より力を与えられし私の役目である。まぁ豊かなれば色々な食べ物を食べられるようになるという私の食欲の事もあるがな」
「安慈様も美味しいものを食べたい感じか?」
「それはそうであろう。仏門でなければ私も
「それは辛そうだな!」
笑いが起こる。
商人達も村長達も先程の話は乗り気であり、四村で農法を教え合う事を私が中心になって認めさせた。
そして各村で問題になっている人余りの問題に話題が移る。
私が米を渡したことで米の収穫量が増え人減らしをする必要が無くなったが、戦も大きいのが無く、穀潰しと言えるような若者が出てきていた。
私の知恵でなんとかならないかと言われたので蚊帳の外に居た吉安豊英殿を呼び寄せ、どこかに農地に適さずに土地だけが余っているような場所等は無いか聞くと切り拓かれていない山ならば多くあるがと言われた。
この時代の村というのは
そして山は大抵の所は山城を建てて、防衛拠点にしていたのだが、街道も無く、周防と長門の国沿いかつ山口の町より西部には結構手付かずの山が多くあった。
「ふむ、ここから歩いて一日といったところか。せっかくだ。村を作ろう」
「いやいや、流石に安慈様、難しいと思われますが」
場所的には現在の山口県の国道240号と国道490号を国道435号道路が交わっているちょうど中間辺りである。
森が鬱蒼と茂り、川も近くに無く、とても人が住むのに適している土地では無かった。
「だがそういう土地でも人が生活ができ、税が取れれば更に国が豊かになるとは思わんか?」
吉安豊英はそれはそうだと頷くが、あんな土地に好んで住もうとする者はおらんぞと忠告する。
「なに、ただ無策というわけでもない。それに試したいこともある。ここはお芋様に投資をしてみんか?」
と商人と村長に聞いてみる。
僻地ということはもし村に何かあった時の避難場所として機能するため村人の命を預かる以上、リスクの分散を考え、村長達は頷いた。
商人達は私がまた別の作物を育てるということで売れるものか聞くと
「売れる。ということでこれを例として作ってみた」
と私は布を渡してみた。
錬金術で作った物であるが、綿花の種は既に用意したため、ポツポツそこそこの大きさの池が点在ため、その池を水源とすれば綿花を育てられると踏んでのことだ。
最悪錬金術で水が無限湧きする秘宝を作り、適当な所に埋めて池を作れば良いし···
それよりも隠れて人体実験ができる場所と人材が欲しいのだ。
今までは宇治と左貫で試していた成長剤を更に強めた物を量産し、後々大内が崩れた時に使える兵を量産する。
そして僻地故に潜伏場所としてはピッタリ。
こうした思惑があり、和尚が分社を建てる(分社の主は私)という名目で人を集めるのであった。
私がお試しで作った茶器がべらぼうに高く売れたし、溜め込んでいた農書や料理書を商人に販売して金を作り、各村で部屋住みとなっていた次男坊、三男坊や河原者として生活していた者、他国からの流民を集めてざっと百名。
男女比七対三かつ、河原者はほとんど孤児同然のガキであるが、豊かな生活をしたければ頑張れと、冬の間に開拓を始めた。
近くには大き目の池が二つ程あり、地下で繋がっているかもしれないと思いながら、とりあえず水源は確保した。
木をジャンジャカ切り倒すのに、斧や鍛冶屋で作ってもらったノコギリで一本一本切り倒していき、切った木を木材に加工して縄文時代みたいな竪穴式住居を建てていく。
掘っ立て小屋を建てたいが、今はこれで十分である。
食事はほぼ芋煮や雑穀雑炊に成長剤を混ぜた物を出し、日々の作業をしてもらう。
冬なので冷えるが、来年生き残る為に皆必死だ。
で、ある程度の開けた土地ができたので芋を植えさせ、秋以降の食料源を確保した。
定期的に病気の子馬や子牛を町から買ってきて、薬で無理やり治し、成長剤を食べさせて人間共々
私は開拓にかかりっきりというわけにはいかないので村々を巡り、更に米が取れる
秋になるととりあえず村人が全員住めるスペースができた。
で池に水を大量に湧き出させる宝玉を投げ込み、増水したのを確認して農地用の水路を掘りまくった。
そして広げた畑に小麦の種を蒔いたり、冬野菜を植えたり、芋を収穫したり、連れてきた鶏を増やしたりして一年が終わってしまった。
ただ木々が沢山あるので炭窯を作り、炭作りを教えて炭を作ったりもした。
僻地村はあまり豊かとは言えなかったが、他の種籾を配った他の村では堆肥や肥料の散布と鯉農法がうまくいき、前年を大きく上回る大豊作となっていた。
その米や作物で得た利益を更に村の設備や農具、備蓄倉等の整備、購入、増築で村を発展させることに成功し、指示を出した私の名声がまた高まっていた。
四村合同で祭りを開いたりして秋は楽しい一時であった。
「馬と牛は一年でだいぶ薬の効果が出たけど、人も出るよねぇ」
強力な成長剤入りの食事を食べさせた結果、子供達を中心に背がグングンと伸び、肉付きも良くなっていた。
馬と牛は大きく力強く、従順になり、更に牛はホルスタイン牛の様に乳が沢山出るように変えた。
冬の間牛の乳を僻地の村人達は絞り、私の指示で乳製品を作らせ、バターやチーズを作っていった。
あくまでこの僻地村は金を稼ぐよりも私の実験場的意味合いが強い為に、外貨となるのは木綿くらいであとはとにかく改造馬と改造牛の繁殖に力を入れさせた。
僻地村に結構かかりっきりになってしまったが、今は大栗に跨り、長門と周防の各地を見て回っていた。
理由としては二か国の正確な地図が欲しかったから。
日本地図も世界地図も描けるが、周防と長門ピンポイントの地図は無理だし、どこかに山がある。
どこに城があるか練り歩かなけばわからないものであり、地形の把握に努めた。
こういうのは草の
役一ヶ月かけて地図は完成し、行く先々にある坊さん達と、仲良くなったりもした。
そして1539年は終わり、1540年が始まる。
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