1537年秋 安慈焼き

 冬の間に作られた備中鍬が配られ、昨年寺で仕込んだ堆肥を痩せている田んぼや畑に使い、耕す作業に入った。


「おお! すげぇ! 普通の鍬よりも耕しやすい! 刃先が長いし、重さがあるのがかえって深く地面を耕すことができる!」


 と村人達は絶賛し、村人総出で田んぼを耕し終わると、苗の準備に取り掛かり、そして水を貼って、苗を植えた。


 昨年との違いは掘り起こす深さを深くしたこと、堆肥を入れた事の他に来年に向けてため池を時間を作って掘っていた。


「うちの村は川がしっかりあるから水に困ることはね〜が、なんで今更ため池を作るんだ?」


「信州では田んぼに鯉を放ち、土をかき回し、雑草が生えにくくし、稲の根っこをしっかり生やさせ、更に害虫を食べてくれるという農法がある。水を抜く時に鯉が逃げる用水路を作り、ため池に逃げるようにして冬を越させる事ができるようにする」


「あと夏頃に一度水を完全に抜く中抜きをしようと思っているよ。その時にも鯉を一時的に逃がすのにため池が幾つか必要となるだろう」


「水を抜いたら枯れてしまわないか?」


「ある程度稲が育てば水を抜くことで稲穂の実りを増やす効果がある。なに、収穫量は少ないが陸田でも稲は育つのだ。今年は中抜きは川辺の一部だけでやろうと思うがな」


「なるほど、それならば他の田と比べられるな!」


 と村長と田んぼについて話した。


 私の知識では北九州を制圧した大内はここから約四年、尼子との石見銀山を巡った小競りが発生するくらいで兵力の大動員は無かったハズだ。


 今年はこの村に注力し、農法をある程度確かめ、来年からは近隣の村も巡り、農法を広め、村民と顔つなぎをしておきたいものである。


 そして、秘薬を毎日食していた事により肉体が頑強になり、熱を出すことも無くなった。


 ようやく人並みくらいなのでいかに元の身体が弱っていたかわかるが、お陰で村人に混じって農作業をできるようになった。


 一応武家に戻っても戦えるように鍛錬を続ける。


 一方宇治と左貫は私の配下ということで寺で生活しているが仏門に入った訳では無いと私が和尚に屁理屈をこねて、肉も定期的に食べさせた結果、見違えるほど逞しくなった。


 河原者の孤児だったのが馬にまたがれば凛とした若武者にも見える。


 まだ九つながら大人と同じくらいの背丈になり(身長百四十五センチくらい)、読み書き、簡単な四則算と私が書いた農法をしっかりと理解した。


 最近では私が木を削って作った将棋に和尚と徳源も含めてハマり、夜寝る前に私が農書を書いている間に一戦するのが日常になっていた。









 ある日、河原から粘土を掘って、それを錬金釜に入れて耐火性の高い煉瓦を幾つか作り、小さな窯を宇治と左貫と村の子供達で村の端に作った。


「安慈様、これで何を作るんだ?」


「これで煉瓦を作り、色々な実験をしようと思ってな」


「実験?」


「あぁ、道を作ろうと思ってな」


 歴史物でよく出てくるローマコンクリートで作った道について前世で調べた事があったし、牧場や植栽の仕事でコンクリートを扱った事があったが、日本なら粘土が豊富なので火山がない地域は火山灰を持ってくるより焼成煉瓦をメインに、モルタルを接着剤として道を舗装したほうが良いのではないかと思い、実際に作ってみることにした。


 ただ焼成煉瓦は低温から徐々に高温にして煉瓦を焼き、一日かけて釜を冷やす必要があるので燃料となる木や炭の量が馬鹿にできない。


 実験してみてそりゃ煉瓦舗装よりローマコンクリートを使った舗装の方が安上がりだわと納得した。


 ローマコンクリートは石灰石と火山灰が必要で、どこで産出するか記憶を掘り起こし、石灰石は山口県はカルスト台地があり、大量に産出するはずと思い出し、火山って山口県···大内支配下にあったから和尚に確認したら萩近くから温泉が湧き出る場所があり、その近くの山は火山かもしれないと言われた。


 ということは掘れば火山灰の地層にぶち当たる可能性もある。


 まぁ確実なのは薩摩の桜島が定期的に火山灰を噴出する噴火をするので薩摩と貿易できれば手っ取り早いかもしれない。


 とりあえず焼いた煉瓦で縦十メートル、横五メートルの道を作ってみたが、現状では使えないとし、もったいないので窯は村人の茶碗を作る陶芸用の焼窯として使われ、私も錬金術で作った色付き粘土で皿を焼いたりした。


 で、子供の遊びだったが、村長が街に売るのに使えるから焼き物を作ろうと言い出し、私と村人達で普通の粘土や炭を混ぜたり、牛や午の骨粉を使って焼いたら配合比はわからなかったが繰り返していたら黒い茶碗と真っ白に光る茶碗ができた。


 ただ不格好であり、なんとかならないか言われたので足踏みすることで回転させる糸車があったな〜と思い出し、その足踏みで台座を回転させれば綺麗な茶器ができるのでは? と思い、踏むことで円盤が回転する仕組みの設計図を描き、鍛冶屋や木工が得意な村人と色々試してみた結果、目的の足踏み回転台座が完成した。


 で、この技術転用したら色々作れるんじゃね? と思い、千歯こきの次が足踏み脱穀機だったな〜と歴史知識を引っ張り出して試してみたら普通に完成した。


 じゃぁ回転するんなら洗濯機モドキもできるんじゃね? と思い、木の桶が回転する物を作ってみたが、木工技術が足りず、空回りしたり、水漏れで上手くいかなかった。


 しゃーないと思い、洗濯なら洗濯板がいいんじゃないかと思い直し、作ってみたら奥方達から好評だった。


 踏み洗いや叩き洗いよりも洗濯板でこすった方が落ちるもんな。


 で肝心の茶器はと言うとまぁだいぶスマートになったが、まだまだ時間は掛かりそうである。


 ちなみに私が色付き粘土で作った黄色や赤紫色の茶器は上手くできたので愛用することとなる。


 ただ後々この飯茶碗を譲ってほしいと村に芋を買い付けに来た商人に言われたので吹っ掛けたら言い値で買っていき、それが博多から堺に渡り、堺の豪商経由で管領の細川に、細川を潰した三好に渡り、爆弾魔の松永久秀に渡り、松永久秀から織田信長に渡ってとなんか凄い値打ちになり、信長と面会した時にその茶器と再開することとなり、入手経路含めて引き攣った顔になるとはこの時はわからなかった。


 ちなみにだが村長に言われて窯を複数箇所作った結果、私の名前が使われて黒安慈、白安慈焼きとして後々の大内家の貴重な収入源となるのだが、それも今の安慈にはわからなかった。





 焼き物作りに熱中しているとあっという間に時間が過ぎて秋の収穫期となり、水路を整理したことで遠くまで水を引くことができたので村から離れた場所にも畑を作ることができ、麦や芋をその分だけ多く植えられたので昨年よりも芋や麦、大豆や野菜が多く穫れた。


 そして肝心の米であるが、昨年よりも深く耕したことで根のはり具合が良く、痩せていた田に堆肥を入れたことで地力が回復し、昨年以上の豊作となった。


 ただ他の村々は大きな野分(台風)が通過したことで氾濫が起こったり、稲が倒れ腐ったりしたため餓えることは無いが不作気味であった。


 この野分による増水を私が掘っていた複数箇所の貯水池を増水時に水入れを行ったため、上手く受け止める事ができ、うちの村では氾濫は発生しなかった。


 お陰で村で更に崇拝されるようになったのは御愛嬌である。


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