1536年〜1537年 春 山口の町と若駒と鶏

 山口の町···西の京も言われ、応仁の乱以降は多くの公家や職人が京から逃げたことで京よりも遥かに栄えていた。


 特に歴代大内当主を弔う為の五重塔や数多くの寺院、公家屋敷は雅な空気を醸し出し、更に市場には博多から流れてきた珍しい物や山陰、山陽街道があり、港町の防府や萩から東から来る物が流れ込み、更に大内氏の政治的中心として大内館がある為治安も良く、多くの職人が住み、数々の芸術作品が作られていた。


 この山口を中心とした文化を大内文化と呼び、その文化力と裏打ちされた経済力を武器に大内氏が西国最大勢力を維持できている理由だろう。


 ちなみにだがどれだけ豊かかというと部隊長となる侍大将クラスの武将が百四十人近く居た(武田信玄の武田家が最盛期でも約四十人)なのでどれだけ武将が居るかわかる。


 なので普通に三正面作戦をやってのけたりもしていた。(例、石見攻防戦、安芸攻略戦、少弐氏防衛戦 主力は九州、別働隊が安芸、石見の二部隊 参加兵力約六万から七万)


 さて、そんな偉大な大内氏の嫡男(仏門に入れられたのでほぼ廃嫡であるが)の私、安慈は山口の町で料理を作っていた。


 行商が懇意にしている商家の店前を借り、熱々の鉄板に油を敷いて山芋や大和芋と馬鈴薯を練った物を味噌を両面に塗って焼き、それに薬味をかけた物や、焼き芋、馬鈴薯を蒸して皮を向いた物を油で揚げて塩をまぶした物を提供すると匂いと物珍しさに多くの人が集まった。


「三種の芋を練った物を焼いた円盤芋焼きに異国で取れる栗のように甘い甘芋を焼いた焼き芋、中華の料理法、油で揚げる揚げ芋だよ! 円盤芋焼きは三文、それ以外は一文だ! 買った買った!」


 と佐貫が声を出して売り子をする。


 私は最初は料理を作っていたが、商人達が芋を買いたいと言ってきたら行商の人と一緒に芋の作り方を書いた農書を商人に売りつけていた。


 荒れ地でも育つ、しかも米より多く穫れ、調理法に注意をすればとても美味く食える。


 その話に食いついた商人達に私は大内の嫡子ではなく安慈という偽名で売りつける。


 最初は小僧と見られていたが、農書の完成度と説明及び交渉で小僧とは見られなくなり、山口の商人達に顔を覚えてもらうことに成功した。


 幾つかの商家と村の芋を買い取る契約を取り付け、更に料理書も渡し、商家との繋がりを作ることにも成功した。


 数日間屋台形式で売ったが、あくまで場を借りただけなので場を借りた商家に売上の三割を支払い、一日かけて山口の町を物色し、どんな物が売れるかを確認した後、村へと帰った。


 連れてきた村人の中には芋料理を作る料理人となってくれとスカウトされていたが、腕も知識も未熟なので来年また来るので腕を上げたら雇ってくれと契約を結ぶ者も現れた。


 稼いだ金で塩や村で買えない物を買い、芋を買いたい商人達を連れて村へと戻った。


 商人達は村でも芋を大量に買い込み、村には銭の束が残るのだった。








「儲けた儲けた! これだけ銭があれば色々な道具や牛を増やすことができそうだ! 安慈様はまさに村の救世主だ!」


 村長の言葉に村人達からも賛同の声が挙がる。


「なんのなんの、まだまだ教えることは沢山ありますぞ」


 と言って、来年に向けた話し合いをした。


「次は道具の改良と肥料を作りましょうや」


「道具と肥料?」


「しかり、鍛冶屋の金右衛門、この様な道具を冬の間に沢山作って欲しい」


「芋穴を掘るときに使った円匙(スコップ)に鍬の刃先を枝分かれにしたもの(備中鍬)か?」


「然り、既存の物の改良故にできると思うが」


「おう、これくらいならできるぜ。どれくらい用意すれば良い?」


「一家にそれぞれ一本行き渡るようにしてもらいたい。私が農書を売った金を使ってもらって構わない」


「いや、材料費だけで良い。安慈様が有用と言う物ならばそれ以上に作っても町や村で売れるだろ」


 私は微笑むと、金右衛門は腕まくりをして合点と言う。


「そして時を告げる鳥(鶏)を買ってきて欲しい」


「それはなんでだ?」


「増やして食らうためだ」


「おいおい、浄土真宗ならまだわかるが禅宗だろ安慈様の寺は」


「なに、私は食いたいが食わんよ。ただ肉は食らうことで力をつけることができるし、刻鳥(鶏)は多くの卵を産むからな。卵は薬にもなり、食らうことで病を遠ざけ、血肉を多く作ってくれる。料理の幅も広がる故な。あとできれば若駒(若い馬)を今度町に行った時に買ってきて欲しい。これは私が各地を巡る時の足にしたいからだ」


「おう、わかったぜ」


「それに刻鳥は堆肥となる糞を多く排泄する。それを集めて加工することで野菜や穀物の成長を促す堆肥となるからな」


 と言った。


 また冬の比較的暇な時は子供を寺に来させて文字を読めるようになって欲しいと伝えた。


「それまたなんでだ?」


「私が居なくなった後も寺に農書や料理書を多く残す。さすれば困らないだろう」


「安慈様は居なくなるのか?」


「居なくなるというより村々を巡り農業を教えなければならぬ。それに私が万が一大内の跡を継ぐ可能性もあるからな。そうなれば村に留まることもままならない。それに国々を巡り、旅をしたいからな」


 と私の今後を語った。


「最も体が大きくなってからだ。直ぐに居なくなる訳では無い」


 と皆を安心させ、その日の会合は終わりとなった。






 年を越す少し前くらいに鶏が雄雌合わせて十羽と線が細く、見た目の凄く悪い病気持ち若駒を牡牝一頭ずつ買ってきてくれた。


「安慈様、言われた通り刻鳥と死にそうな若駒を安く買ってきたが、長生きしなさそうだぞ」


「上々上々、神通力をもって立派に育ててみせようぞ。牛もそうだが歳が若ければ病気持ちや見てくれが悪いのを買って来なさい。直して立派に育ててみせるからな」


「そうかい」


 ということで鶏が逃げない様にと野犬等に食われないように鳥小屋をと馬小屋を村人達にも手伝ってもらいながら寺領の中に建て、世話を始めた。


 鶏にはまず数を増やさなければならないのと病気になりにくくかつ肉をよくつけ、卵をよく生み、攻撃性を取り除く品種改良を錬金術で作った豆を餌に含ませて食べさせる。


 馬はまずは病気を治す秘薬を餌に混ぜて食べさせ、身体が大きくなり言う事をよく聞く様になる餌を錬金術で作って食べさせた。


 すると最初はぐったりしていた馬達は次第に活力を取り戻し、数週間後には寺の敷地内を走り回るくらいに元気になった。


 病を治したのが私だとわかっているのか、それとも主と認めたのか、私が近づくと顔を擦り付け、背中に乗っても暴れることが無かった。


 ただ、そのまま乗ると安定性が悪いので鞍を錬金術で竹を変化させ革の様にして拙いながらも作り、鐙は洋鐙(輪っかに足を乗っける平たい部分を取り付けた鐙)を鍛冶屋に依頼して作って貰った。


 牡で栗毛に大栗、牝の芦毛に初霜と名付け、手綱を取り付けて乗馬の練習をした。


 二頭とも言うことをよく聞き、私でなくても子供は乗れるので宇治と左貫を乗せて走らせる事が多々あった。








 春頃になると鶏も大きくなり、有精卵を生み始め、特殊な餌を食べているからか頭が良くなり、卵を雌が産むと温め始めるが、雌が卵を温められなくなると雄も余った卵を温め始めた。


 一ヶ月で十羽ずつ増え、卵から孵った鶏も私の品種改良が効いている為に頭が良くなっていた。


 攻撃性が薄くなったので他の卵を攻撃しなくなり、どんどん増えていく。


 広めに作ったが一年も経たずに鶏でいっぱいになりそうである。


 そして三年目の米作りが始まるのだった。


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