第3話 その選択は最悪の結果に
一目惚れだったんだ。
俺はリズにそう言った。結婚して半年でやっと言えたことだった。
リズは驚いた顔をして、それからうつむいた。どうしたのだろうと思ったら、照れているようだった。
ロザリー侯爵家令嬢リズとは、舞踏会で出会った。俺が王太子として初めて舞踏会に出されることになって、俺はそれが嫌で王宮から脱走することにした。たまに息抜きに街へ出るのと同じだ。着飾った礼服は使用人の部屋で着替えればいい、俺はバルコニーの飾りを足場にして伝って、階下に降りる。
どうも、それが舞踏会の会場の窓からリズに見られていたらしい。リズは先回りして、階下の庭先で待っていた。
「あの、エセルバート様?」
俺は飛び上がるほどに驚いた。リズはバレエ人形のように可愛らしく、なのに表情が乏しかった。容姿も立ち居振る舞いも模範的な淑女、見惚れるほどにだ。首元のほくろでさえ彼女の瑕疵にはならない。
リズはバルコニーを降りてきた俺に少しも驚いた様子もなく、何もおかしくはない、とばかりの声色で話しかけてきた。それも含めて、俺は気圧されたのだが。
「あ、ああ、君は?」
「失礼いたしました。ロザリー侯爵家のリズと申します。窓からエセルバート様のお姿を拝見して、つい、追いかけてきてしまいました。申し訳ございません、はしたない真似を」
俺が逃げるところを見ていたから、リズは追いかけてきた。普通に考えれば、俺を射止めようと必死になっている令嬢のような考え方、とも思うのだが、リズがあまりにも淡々と言うものだから、気まずくなることもなく、俺はそのまま受け止めた。
とりあえず、誰かに見つかってはまずい。俺はリズの手を引いて、庭の木陰に移動した。
ここまで来れば、リズも一緒に王宮から脱走してはどうだろう。このまま帰しても、主役不在の舞踏会でリズは手持ち無沙汰だろうし、もし誰かに告げ口をされてはまずい。それに、舞踏会でどこかの貴族の息子がリズを口説く、ということを想像すると、嫌な気持ちになった。
「リズ、ちょうどよかった。甘いものは好きかい?」
「いえ」
「そ、そうか」
「申し訳ございません。厳しく制限されていて、ほとんど食べたことがないものですから」
そんなこと、あるのだろうか。甘い甘い砂糖は貴族たちの大好物だ。高価な砂糖を大量に食すことができるのは一種のステータス、だというのに、リズは食べたことがないと言う。ロザリー侯爵家といえば財産家で有名だから砂糖が買えないほど貧乏ということはないし、リズの言っているとおり淑女教育の一環として禁止されていたのだろう。
何だか、不憫だ。年頃の娘がそこまで躾けられて、と思った。
それに、俺はリズを手放したくない、このまま一緒にいられるよう、口説く。
「よし、分かった。今から着替えて街のカフェに出かけよう」
「しかし、舞踏会は」
「あんなもの、いいんだ。よし、どうせなら弟も誘ってこよう。共犯者に仕立ててやる」
本当は少し距離のある弟レオを誘いたくはないが、王太子を止めなかったとリズが責められる要素を少しでも減らすためだ。王太子と弟王子の二人に誘われては、リズは断れない、そういう話にしておこう。
それに、もしかするとレオと距離が縮まるかもしれないし、という打算もあった。俺にもこのときはレオと仲良くしたいという思いはあって——その思いは結局実を結ばなかったが、俺なりに努力はしていたのだ。
すると、リズはぎこちなく、どこか悲しげに微笑んで、こんなことを言った。
「楽しそうですね。エセルバート様が楽しそうになさっていると、私もそう思えます」
慣れない言葉を使っている、と聞いていて分かった。
彼女は、『楽しい』ということが分かっていない。楽しそうだ、ということは分かる、だがそれだけだ。一体、どんな教育を受けてきたのだろう。ロザリー侯爵家は、彼女にそんな感情さえも与えてこなかったというのか。
貴族の令嬢は、確かに政略結婚の道具だ。しかし、一人の人間でもある。なのにリズは道具として完璧に仕立て上げられた、ただ目当ての男を射止めるために。
胸が締め付けられる。そんなことを強要されて、逃げることも口答えすることもできずに、彼女は舞踏会に送り込まれ、ここにいる。
俺の考えは、傲慢かもしれない。彼女を助けたい、手を差し伸べたいと思った。普段は嫌っている王太子という身分が、彼女を自由にできるのではないか、散々考えた末に、俺はリズのためにできることをしてやろうと決めた。
「リズ」
「はい」
リズは従順に返事をする。まるでよく躾けられた犬のようだ。背を伸ばして、相手を見つめ、言葉を待つ。
だから、俺は言葉をかけることにした。彼女のために、彼女を心から愛していくために。
「いや。リズ、可愛い名前だね。とてもいい名前だと思うよ」
俺は、リズを王太子妃に選んだ。
三年後の悲劇を知っていれば、そんなことはしなかったのに。
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