第3話 初心者

 初心者パーティへの同行は心配が尽きない。

 迷宮一階層に住まう魔物は、動物や虫のような生物が迷宮の魔力にあてられて大型化したものがほとんどだ。

 そのため体当たりや嚙み付きといった原始的な攻撃しかして来ないが、その脅威を甘く見た冒険者ほど命を落とす。


 今回のパーティは前衛に戦士と盗賊、後衛に聖職者がひとりの構成だ。

 そして相対した敵は二匹のビッグローチ。主に台所で目にすることが多い黒光りする甲虫が、大型犬サイズにまで成長した魔物だ。


 ビッグローチの脅威の一つが圧倒的な素早さだ。

 単純な速さ比べなら熟練冒険者にも勝り、しかも光源の少ない迷宮では黒い甲殻が保護色になるせいで視認し辛い。

 ビッグローチ自体が好戦的な魔物ではないのと、攻撃手段が直線的な突進か倒れた相手への嚙み付きくらいしかないので、脅威度としては低く見積もられている。

 それでも戦闘自体に不慣れな冒険者にはかなりの脅威だ。


 実際、戦士はビッグローチの動きに翻弄されている。得物が刀身長めな直剣のせいか当てられず、突進を躱すので精一杯だ。

 一方で盗賊の方は身のこなしが上手い。武器が軽めのダガーということもあってか、致命傷にはならずとも着実にダメージを与えていた。


 突っ込んで来るビッグローチを避けながら、盗賊はすれ違いざまにダガーで切りつける。

 ビッグローチの対処法としては最適解だ。突進は威力を乗せるために直進せざるを得ない。つまり突っ込んで来るとわかっていれば、進路に得物を構えるだけでビッグローチは傷を負う。

 甲殻が油膜に覆われているので刃を立てる角度を誤ると滑ってしまうが、そのあたりも盗賊は直感で対応できている。


「当たるかよ、そんなもの!」


 意気揚々と吠える盗賊の背後で、影が揺らぐ。


「後ろだ!」


 僕は咄嗟に叫ぶが間に合わない。

 新たなビッグローチの突進が、身を浮かして回避したばかりの盗賊の背に刺さり、身体を弓なりに大きくしならせた。

 鈍く、それでいて軽薄な音が響き、盗賊は岩肌へ叩きつけられた。


 ビッグローチの脅威二つ目。奴らは群れる。

 ビッグローチは普段から集団で行動するわけではないのだけれど、同族が戦闘行動に入るとどこからともなく現れて戦闘態勢に入るのだ。

 ただそれは仲間意識というよりも食事の確保が目的であり、敵が死んでいれば言わずもがな、駆け付けた先で同族が死んでいれば敵そっちのけで同族の死体を食べ始める。

 よってビッグローチと会敵したならすぐ倒し、離脱する。これが鉄則となるのだが初心者パーティには難しい。

 そのため一番楽な対処法は、手持ちの食料を餌に逃げてしまうことだ。


「盗賊を回収して離脱するよ。戦士は僕の援護、聖職者は回復の用意を」


 指示を出しながら僕は背嚢から干し肉を取り出し、盗賊へ嚙み付いているビッグローチの傍へ投げる。

 ――防具を嚙みちぎるより、そっちの方が楽だろう?

 僕の意図を察してか、あるいは眼前に無防備に放られた餌へ興味が移ったのか、どちらにせよビッグローチは干し肉を選んでくれた。


 僕は急いで盗賊を背負おうとして、伸ばした手が止まる。


「傷ありがいない」


 戦士が戦い続けている一匹と盗賊を戦闘不能にした一匹、そし盗賊が切り付けていた一匹――背後からガサガサと音がして、僕は腰に手を伸ばしながら身をひるがえす。


「やっぱり!」


 狙いは瀕死の盗賊か、それとも盗賊を助けに来た僕か。

 僕は腰に差している手斧を抜き、突進してくるビッグローチの頭部目掛けて振り下ろす。

 薪割りのような軽快な音と共にビッグローチの頭部が砕けて体液が飛び散った。


 ――最悪だ。

 ビッグローチの体液に臭いはないが、粘り気があって中々落ちない。

 僕は買ったばかりの皮鎧を見て吐息した。


 とりあえず今は人命優先。

 気持ちを切り替えて盗賊を背負い、治療魔法の詠唱をしていた聖職者へ呼びかける。


「回復魔法は何回使えるの?」


「ええと、三回です」


「なら二回はかけてあげて。たぶん一回だと足りないから」


 指示しながら盗賊を聖職者の前に降ろす、その時だ。


「ファイアボルト!」


 雄叫びのように響いた呪文と共に、迷宮の岩肌が赤々と照らされた。

 驚いて振り向くと、延焼するビッグローチと、したり顔で見つめる戦士の姿があった。


「やった。やりましたよ監督役!」


 振り返り、嬉しそうに直剣を掲げて報告する戦士もとい魔法戦士に、僕は呆然とする。


「きみ、魔法が使えたのか」


「はい! 一発切りなので使いどころが難しいですけど、上手く当てられました」


「そうか……最悪だよ」


「えっ?」


 面食らったように固まる魔法戦士の背後で炎が揺らぐ。

 僕は魔法戦士を横へ突き飛ばして手斧を振るった。

 頭部をカチ割られて絶命したビッグローチを見て、魔法戦士は目を丸くする。


「まっ、まだ死んでいなかったんですね」


「ビッグローチは炎に巻かれてもすぐには死なないよ。それよりすぐに立って。逃げるよ」


「え、いや、ちょっと休みませんか。魔法使うと頭がくらくらするんです」


「ここで休むと死ぬよ?」


 僕は魔法戦士に告げて踵を返す。

 ビッグローチは油膜に覆われているのでよく燃えるが、火の魔法は厳禁だ。

 理由は二つ。

 一つは彼らは生命力が高く、燃やされてもすぐには死なない。そのため火を纏った状態で突進されるとこちらが燃やされるのだ。

 もう一つは、彼らは燃やされると仲間を呼ぶ。

 戦闘態勢に入った彼らは先述のとおり仲間を呼ぶのだけれど、仕組みとしては同族を誘引する何らかの成分を分泌するらしい。

 延焼すると誘引成分の拡散範囲が大幅に広がるのだ。それこそ第一階層全体へ届くほどに。

 そして至近距離にいた僕たちは、その誘引物質を被っている。


 迷宮でビッグローチが大量発生した際には討伐隊がその性質を利用して一網打尽にするのだけれど、今回はただの探索でしかない。しかもたった三匹のビッグローチに苦戦する程度の初心者パーティである。

 戦士が魔法を使える魔法戦士なのだと初めから知っていたら忠告したのだが、時すでに遅しだ。


 一度目の回復魔法をかけ終えた聖職者へ僕は叫ぶ。


「二回目の回復魔法は中止! 光源魔法が使えるならそっちに魔力を回して全速力で撤退するよ!」


「でも、このままだと彼が……」


「わかっているけど、ここにいたら全滅するんだよ」


 全滅の一言に目を丸くする聖職者。しかし彼女はすぐに事態を飲み込んで詠唱を始める。

 僕は痛みに呻く盗賊を背負うと、呆けている魔法戦士を𠮟咤する。


「早くしろ! 死にたいのか!」


 慌てて駆け寄って来る魔法戦士を確認してから僕は駆け出した。


「先導するから着いてきて。光源の魔法は詠唱したままで、僕が指示するまで撃たないでね」


 迷宮は光源となるのが僅かに発光する光苔という苔のみなのと、どこも同じような岩肌で入り組んだ地形をしているので、夜目が効かないと出口がわからなくなり迷いやすい。

 とはいえ迷宮に、第一階層なんて数えるのも馬鹿馬鹿しいほど同行してきた僕は最短で出口まで導ける。

 ――しかし間に合うかは別問題だ。


 そうして走りだした僕たちは出口を目指して一心に駆け、出口まであと少しといったところで異音が鼓膜を揺らした。


 ガサガサと、乾いた物が擦り合わさるような音が後方から響く。


「な、何の音ですか?」


「振り向かないで走り続けて。魔法の準備は大丈夫?」


「はい。いつでも撃てます」


 聖職者が返事をした直後、天井を影が駆け抜けた。

 ガサガサと音が大きくなっていく。森林で風に吹かれた葉が擦れ合う音を何倍にも大きくしたような異音が背後に迫る。

 そして光苔を蝕むように、黒い影が迷宮の壁面全体を覆い始めた。


「今だ! 後ろに向けて撃って!」


「光よ。我が歩の導となれ!」


 呪文を唱えた直後、蝋燭の灯程度の光球が後方へ射出され、数秒後にカッと瞬いた。


「ひやあああああ!」

「おわあああああ!」


 聖職者と魔法戦士の悲鳴が上がる。

 一瞬だけ照らされた岩肌の全面を黒光りする甲殻が埋めていた。夥しい数のビッグローチが並走している光景は一瞬であっても、生涯、彼らは忘れないだろう。

 ビッグローチを燃やすとどうなるか。忘れられても困るのだけれど。


 やがて潮が引くように、黒い影が後方へ、迷宮の奥へと帰っていく。

 ビッグローチの習性として彼らは強い光に吸い寄せられる。入り組んだ迷宮において唯一直線が続く迷宮出入口付近でギリギリまで引き寄せたから、上手く追い返すことができた。


 同時に前方へ光苔とは異なる光源が見え、僕は安堵した。


「もうすぐ出口だ。まだ気を緩めないように」


 首だけ回して後ろを見ると、聖職者と魔法戦士のふたりは涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしていた。


※※※


「迷宮の外にまでは来ないかな」


 ふう、と息を吐きながら僕は背負っていた盗賊を降ろす。

 何匹か飛び出してしまったかもしれないが、魔力の薄い地上では長生きできないだろう。

 迷宮の入口である洞穴から少し離れた場所で僕は腰を下した。


 ふと盗賊を見ると口の端に泡を噴いた痕跡があり、僕は慌てて脈を測る。

 ――生きてはいるけど、弱いな。

 治療が終わる前にガンガン揺らして運んだので、折れた胴体の骨が内蔵を傷つけたのだろう。


「息を切らしているところ悪いけど、回復魔法かけてあげて。残りの魔力全部でね」


 街へ戻るまでは持つまいと判断して聖職者へ呼びかける。

 聖職者は精神疲労と酸欠のせいか、もとより白い顔が蒼白の域だが頷いてくれた。

 それから僕らは小休止を取り、盗賊が目覚めるのを待った。


「……ここは」


 宝石を散りばめたような夜空を見て盗賊が呟く。

 ぼーっと空を仰ぐ彼に、ここは死後の世界だと伝えたら信じるかもしれない。

 くだらぬ思考を吐息と共に排出して僕は腰を上げる。


「おはよう。いやこんばんはかな」


「あんたは監督役の……」


「だいぶ記憶が飛んでるね。まあいいや。とりあえずきみはビッグローチの体当たりで死にかけた。彼女に回復魔法をかけてもらったけど、完治はしていないだろうから帰還後改めて治療を受けるように」


「……ああ。わかった」


 ぼんやりした顔で頷く盗賊。

 とりあえず彼への対応はこれでお終いだ。


「さて、次にふたりとも」


 呼びかけると彼らは酷く疲れた顔を向けてくる。

 帰りたいよね。わかる。僕もさっさと帰りたい。


「今日きみたちは三人でビッグローチを倒した。僕はそれをいつも通り監督役として見届けた。冒険者ギルドにはそう報告するからね」


「……え? 二匹は監督役がご自身で討伐されたではありませんか」


「僕は戦闘行為をギルドと、そのさらに上からも禁じられている。もし他言するつもりなら僕はこれできみたちの頭蓋を割らなければならない」


 僕はビッグローチの体液を払うついでに。手斧を軽く振り下ろす。

 ぶわりと風圧が彼らの頬を撫でると生唾を飲む音が返ってきた。


「ひとつお聞きしてよろしいですか」


 問うてきたのは聖職者だ。


「答えられる範囲でよければ何でもどうぞ」


「では、あの、どうして禁を破ってまで私たちを助けてくれたのですか。嘘がばれたら監督役が罰則を受けるのですよね」


 あまりに馬鹿げた質問に僕はガリガリと頭を搔いた。


「今朝会ったばかりの他人であっても、目の前で死んだら嫌でしょ」


 今度はふたりが驚いた顔で僕を見る。

 今朝挨拶した同業が、晩には死体になっていてもおかくないのが冒険者だ。

 パーティも利害が一致しただけの仮初の団結でしかなく、勝てない脅威には他人など顧みずに蜘蛛の子を散らすように逃げる。

 実際、冒険者養成校では迷宮内では仲間には常に見捨てられる覚悟で、また見捨てる覚悟を持てと教わるらしい。

 負傷した仲間を無理に庇えば、負担が余計な危機となって返ってくる。溺れている人間を助けるときは溺れて気絶するのを待てと言われるように、共倒れを防ぐための教えだ。

 ことリスク管理という面でみれば、養成校の教えは冷酷だが理にかなっている。


 まして彼らは僕のスキルを利用する代わりに僕を守る義務を負っている。

 僕も監督役としてパーティの指揮権を有しており、同時に自分の命を最優先とする行動を義務付けられている。

 つまり僕には彼らを肉盾として使い捨てる権利があるし、彼らは承知の上で僕の指揮下に入っているのだ。


 ゆえに僕は彼らを守る必要はない。むしろ守れば糾弾される立場だ。

 よって僕が彼らを助けるのは彼我の立場から見ても、おかしな話しなのだ。 

 そう、とどのつまり論理的な話ではなく倫理的で感情的な、もっと簡単に言えば『目の前で死んだら』の自己満足に帰結するわけだ。


 だから僕の言い分を彼らが理解する必要はない。ただ黙っていてさえくれれば、それでいい。


「とにかく、死ぬなら僕の目の届かない場所で死んでくれ。それと冒険者養成校で習ったと思うけど、今日はしっかり寝るように。寝ることで初めて、きみたちは成長するし、僕のスキルも役立つのだから」


「「わかりました」」


 子気味良い返事が生返事でないことを祈るばかりだ。


 それから僕は支度をして彼らに告げる。


「冒険者ギルドには僕の方から先の内容で報告しておくからね。くれぐれも約束を忘れないように」


 街へ帰ろうと歩き出し、裾を引かれて僕は止まる。


「なにか?」


 裾を引くのは聖職者だ。


「よ、よろしければ食事でもしながらお話ししませんか!」


「宗教勧誘なら聞き飽きてるよ。また機会があればよろしくね」


 ぱさっと手を払って僕は街を目指した。

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