第2話 監督役

 気づくと眼前に火炎が迫っていた。

 忘れもしない成人の日。僕の運命が変わってしまった忌むべき日。よもや走馬灯として思い出す光景が十年前のあの日とは、なんとも最悪な気分だ。


 迷宮七階層。熟練の冒険者ですら油断一つで命を落とす危険地帯に僕はいた。正確には八階層へ降りる階段がある『巣穴』と呼ばれるエリアだ。

 迷宮では階層ごとの広さ、魔物の強さが深度に比例する。七階層までは人が五人横並びに歩くのが限界の通路が入り組んでいるが、七階層より下層は地上に出たのかと錯覚するほど広大だ。

 八階層への入り口である『巣穴』もまた半球上に広く、八階層から上がってきた大型の魔物がそれ以上進めずに住み着くことが多い。ゆえに『巣穴』と呼ばれている。


 そして今回の探索で『巣穴』に住み着いていたのが漆黒の鱗に覆われたブラックドラゴンであり、彼の縄張りへ踏み込んだ僕たちを、ご自慢の火炎のブレスで歓迎してくれたわけだ。


 鋼鉄すら融解させるドラゴンブレス。

 くる、と認識した時にはもう遅かった。

 走馬灯の下らぬ過去に解決策が潜むはずもなく、僕は回避どころか悲鳴も上げられず、迫る死を見つめることしか出来ずにいた。


 視界が火炎の赤に染まり、眼前に太陽が現れたかのような灼熱が鼻先を焼く――その刹那。

 ブレスが僕を避けるように散り、同時に右方から罵声が飛ぶ。


「ぼけっとすな! さっさと後ろに来い!」


 魔術障壁を展開してくれたであろう魔法使いの少女マオに叱咤され、僕は急いで彼女の後ろに回る。

 僕を含めて四人のパーティは、すでに僕以外散開していたようだ。

 僕よりも年下のマオは出会って半年ほどか。だぼだぼだった紺のローブも引きずらなくなり、肩口で切り揃えられていた水色の髪も肩甲骨の下まで伸びている。

 初級魔法しか使えなかった彼女は今や上級魔法の同時発動という、エルフ顔負けな高次元魔法の使い手になっていた。


「砕けろ大地。吹き荒べ寒風よ」


 省略された詠唱はドラゴンの足元に裂け目を生じさせ、冷気を孕んだ突風が翼を凍らせる。

 見上げるほどの巨体が大地に沈む。飛翔する翼が重荷と化した今、芋虫のように這いつくばるドラゴンは唯一自由の効く口で、再びブレスを吐く他なくなる。


「合わせてくれ!」


 一陣の風がドラゴンの正面へ飛び込んだ。

 軽鎧を纏った戦士のレグルスが直剣の矛先を真っ直ぐに突き立て、突貫する。

 大型弩砲バリスタでさえ角度によっては弾くほど硬質な鱗にドラゴンは包まれている。並の剣では傷すら付けられない堅牢な鎧を着込んでいるうえに、その下は分厚い肉。考えなしに剣を振るっても致命傷は与えられない。

 致命傷を与えるには、人間でいう喉仏の位置にある逆鱗に刃を突き立てるしかない。


 ドラゴンはブレスの用意をしながらも地面に喉をぴたりと着けて急所を隠す。

 ドラゴンとて馬鹿ではない。狙われる急所を大っぴらに見せびらかしたりはしないのだ。


 それでもレグルスは止まらない。

 ドラゴンの口先から炎が迸り、射線上の敵を飲み込まんと大口が開かれる。


「今だ!」


 レグルスが叫ぶと一筋の光がその肩を追い越すように飛来する。

 僕はすぐに目を覆った。

 光は僕と同じ非戦闘員である聖職者のヒナカミが放った照明の魔法だ。暗い室内を少しの間照らすだけの魔法だが、ヒナカミはこれを攻撃にも使う。

 効果時間を一瞬にする条件を課し、光量を最大限に高めることで目くらましにするのだ。


 その魔法がドラゴンの鼻先で炸裂した。

 『巣穴』全域を照らすほどの強烈な閃光にドラゴンは視界を奪われ、ブレスの発射が止まる。


属性付与エンチャントウインド! くらえ!」


 レグルスは直剣の刃を撫でるように手を這わせると投擲するように腕を引き、開かれたままのドラゴンの口腔目掛けて刺突を繰り出した。


 直剣の刃渡りは一メートルもない。腕を食らわせる覚悟で突っ込んでもドラゴンの喉にすら届かないだろう。

 ゆえにレグルスの刺突はその切っ先がドラゴンの口に触れる距離で止まる。彼の狙いは刺突による攻撃ではなく、ブレスの逆流にあった。

 ドラゴンのブレスは食らった獲物の発酵で生じた可燃性ガスを口腔で着火して吐き出している。

 レグルスはその仕組みを逆手に取った。風属性を纏った刺突により風の砲弾を撃ち出すことで、吐き出される炎を無理やり内側へと押し込んだのだ。

 ドラゴンは自身のブレスを反射されたとしても鱗によって防いでしまえる。しかし可燃性ガスによる爆発は、しかも内側からとあっては耐えようがない。


 束の間の静寂。


 不意にドラゴンの腹部が不自然に膨らみ、認識の直後、爆発が起きる。


 耳をつんざく音と肉片を乗せた爆風が押し寄せる。


「ひぃ」


 つい、情けない声が出た。

 マオが魔法障壁で守ってくれるとわかっていても音と衝撃、それから不可視の障壁に鮮血や肉片が打ち付けられる様は刺激が強い。


 マオは首だけ動かして僕を一瞥すると吐息した。


「いつになったら慣れるん?」


「と言われても……血が苦手で」


「情けな」


 呆れ顔と鋭利な声音が精神にぐさりと刺さる。

 情けない自覚はある。けれど苦手なものは苦手なのだ。克服出来たら苦労はない。


 やがてブラックドラゴンを爆心地とした血肉の雨が収まると魔術障壁が解かれる。べしゃり、と障壁に張り付いていた血肉が落下した。


 僕は思わず口を覆った。

 フロアには血肉とガス由来の腐敗臭が混ざった、酷く饐えた臭気が立ち込めている。抑えていないと少し前に食べた携行食が飛び出しそうだ。


「いやあ、ナイス連携。ありがとう二人とも」


 いつの間にか駆け寄っていたレグルスが爽やかな笑みで健闘を讃える。

 乱雑に切られた橙色の髪が縁どる顔は出会った頃の幼さがすっかり抜け、正しく好青年だ。


「合わせられたから良かったものの、あまり無茶しないでくださいよ」


 愚痴っぽい声音で窘めながらヒナカミも戻ってきた。

 すっぽり被った白のフード付きローブから覗く顔は、拗ねたような表情もあってか子供っぽく見える。


 三人は冒険者養成校時代からの同期ということもあってか仲が良く、連携にも優れていた。

 ――ほんの少し前までは。


「無茶じゃないさ。ヒナカミなら合わせられるって信じていたからな」


「……もう。そうやって大怪我しても知りませんよ!」


「怪我したら治してくれるだろ?」


「治しません。薬草でも食んでいれば良いのです」


「冷てえなぁ」


 諍うように見せて仲の良いふたり。

「あたしも足止めしたし、最後の爆発だって皆を守ったのに……」と、ふたりに届かぬ声量で愚痴をこぼしながら、粘度の高い眼差しで見つめるマオ。

 他人の色恋に興味はないが、痴情の縺れはパーティの瓦解によく繋がる。

 少女ふたりの殴り合いで済めば良いが、意図的な魔法の誤射や直接的な魔法の撃ち合いにまで発展すると巻き添えで全滅しかねない。


 仮にも年長者でありパーティの監督役を務める僕が窘めるべき事案なのだが、以前行動に移して痛い目に遭っていた。

 あれは八年前くらいに監督したパーティだったか。前衛ふたりの戦士が後衛の聖職者を取り合う泥沼の惨劇で、片方が死んだのだ。

 蘇生に必要な金銭を死んだ戦士も仲間も用意できなかったために、生き残った戦士は仲間殺しの罪に問われて投獄された。

 そして騒動の中心となった聖職者は罪の意識からか、あるいは信仰する神に愛想を尽かされたのかは知らないが、信仰に由来する魔法全般が使えなくなり冒険者生命を断たれたと聞いた。


 その時の僕は監督役を始めて二年と経たないひよっこで、戦士ふたりを窘めようとして反撃に遭い、生死の境をさまよった。


 とりあえず僕は元凶というか、騒動の芽であるレグルスへ視線を送る。

 するとレグルスはこちらを見て任せろとでも言いたげに頷いて、

「マオもありがとうな。ほんと、いつも助かってるよ」

 ポンポンとマオの頭を撫でた。


「やめえよ、子供扱いせんで!」


 言葉とは裏腹に手を退けない辺り、まんざらでもないのだろう。


 解決には程遠い対応に僕は吐息した。

 ヒナカミを見れば、今度は彼女の双眸が嫉妬に淀んでいる。

 ――これは一夫多妻か、それともふたりに刺されるか。

 独占欲の高いふたりへ曖昧な態度を取るのは危険だと思うが、教えたことで片方が失恋し、僕へ飛び火しても困ってしまう。


 三人とも、と呼びかけて僕は提案する。


「とりあえずスライムが来る前にブラックドラゴンから素材を剥いで、今回は帰還しようよ」


「え、帰還するのか? 今回こそは八階層へ行けると思ったのに」


 反発するレグルスに僕は首肯で返す。


「今回は『巣穴』にドラゴンがいて運が悪かった。傷を負わずに勝てたからレグルスとヒナカミの消耗は少ないけど、マオは上級魔法に魔術障壁を多用している。彼女の援護なしに八階層へ行くのは危険だよ」


「あたしは平気! まだまだ行けるって!」


 帰還の理由にされたくないのか、マオが吠える。

 しかしマオの顔色は明らかに悪いし、抜きんでた成長を見せているとはいえ、今は無理を押し通す状況ではない。


「だめだ。きみたちの役割が敵と戦うことであるように、きみたちを監督するのが僕の役割だ。聞き入れてくれないのなら僕はひとりで帰還させてもらうよ」


 強気な僕にマオが苦い顔をする。

 僕自身は戦力にならないが、個々の成長を目的として迷宮に潜っている彼らとしてはスキル『成長加速』持ちの同行が大前提だ。

 無理をして成長もできないのでは本末転倒。何より、半年の期間で彼らは自身の異常なまでの成長を実感している。僕の提案を断るという選択肢は選べない。


「確かにオーリさんの言う通りだな。ブラックドラゴンを倒せるくらい俺たちは強くなれたし、焦って下層に行く必要はないか」


 パーティの選択権を持つレグルスに言われてはマオも従う他なく、渋々といった様子で頷いた。


 それから僕たちはブラックドラゴンから素材を剥ぎ終え、帰還魔法の支度をしているとレグルスが寄ってきて、

「オーリさん。俺たちこの後ブラックドラゴンの素材売って打ち上げするけど、一緒にどうだ?」

 と、誘ってきた。


「誘ってくれてありがとう。でも、やめておくよ」


 間髪入れずに断ると、レグルスは残念そうに肩を竦める。


「そっか。なら仕方ないな。また同行頼みたいから、その時はよろしくな」


「うん、よろしく」


 そうして僕は帰還の魔法を発動させ、丸一日かけた迷宮探索が終わった。


 後日、レグルスがパーティメンバーに刺されて負傷したという噂を小耳に挟んだが、あまり驚かなかった。

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