第5話 インフルエンサー ①
「ここちゃーん、手が邪魔~」
スマホの画面いっぱいに映し出された、プレートランチにこころのプニプニした手が伸びてきた。
「あ、待って。逆に映えるかも!」
お洒落なカフェランチに、赤ちゃんが手を伸ばしている写真。いい! すごく、いい!
木月美優は、興奮して何度も写真を撮った。
「何が生えるか知らないけど、写真撮ってないで、温かいうちに食べなさいよ」
「のりちゃん。今絶対違う、はえるを想像したでしょう」
あおいちゃんを抱っこしているおばちゃんが、田辺さん。みんなからは、田辺のおばちゃんと呼ばれているらしい。
そして白髪のマダムが、店長の櫻子さん。名前の通り、品がある人。
美優は二人をちらりと盗み見て、確認した。
「SNS映えって言うのよ。孫が教えてくれたわ」
「えすえぬえぬ?」
「SNSよ、のりちゃん」
「なんだい、それ。流行ってんのかい?」
「綺麗な写真を撮って、沢山の人から、いいねってされるのが、いいらしいのよ」
「いいねって?」
「もう、ご老人は黙っていてよ」
櫻子さんは、首を振ってイヤイヤした。
「ゆり先輩、ここいいですね。めっちゃ綺麗だし、ランチもお洒落! 教えてくれて、ありがとうございまぁす」
ハナサクカフェの事を教えてくれたのは、ゆり先輩。会社の先輩で、近所に住んでいたのはびっくりだけど、出産したのも同じ年っていうのも、またびっくり。まあ、わたしの方が若いし、先に出産したけどね。
「でしょう。翔太がね、教えてくれたの」
「へぇー……。旦那さんが」
おっといけない、と美優は内心舌を出す。声のトーンが低くなっちゃった。別に羨ましくないけど、ゆり先輩が旦那さんと仲良しなの、自慢されたくないのよね。
「美優は、インフルエンサーなんですよ」
ゆり先輩が、櫻子さんたちに紹介してくれた。
「やだ、元ですよ、元!」
嬉しさを隠しつつ、美優は付け加えた。
「なんだって? インフルエンザ?」
あー、嫌。おばさんって本当に面倒くさい。
美優は答えず「いただきまぁす」と手を合わせた。
「インフルエンサーですよ、田辺さん」
ゆり先輩が笑って訂正する。
「例えば、この商品がとっても使い勝手よかったって、SNSで発信したとします。すると、その投稿を見た人が紹介された商品を買いに行く……というような、影響力を持つ人のことですよ」
ゆり先輩の説明を聞いて、田辺さんは「へえーあんたスゴい人なんだね」と言った。
そうなの、わたしはすごいの。沢山の女の子たちが、わたしに憧れて、真似をしたがったんだから。
「はい、ここちゃん、あーん」
こころは、離乳食をあまり食べない。もう生後八ヶ月になるのに、お粥を口に入れては、ベーっと口から出してしまう。正直、面倒くさいし、ダルい。
「元ってことは、今は辞めちゃったの? どうして?」
櫻子さんが、不思議そうに言った。
「あーそれは……。妊娠したから辞めたんです。それまでは、プレ花……結婚式関係の情報を投稿してたので、妊娠をきっかけに、卒業しようかなって」
美優は、これから結婚式を行う花嫁向けに、自身の結婚式の記録や披露宴の内容、ドレスやメイクなどを詳細に投稿していた。
写真の撮り方や、頑張ってお金をかけた結婚式が良かったのか、次第に美優のフォロワーは増えていき、プレ花嫁向けのイベントに参加しないか、と企業から声をかけられたこともあった。
『幸せいっぱいで、羨ましい』とか、
『こんなステキな結婚式に招待されたい』とか、
『そのアイディア真似してもいいですか?』といったコメントで溢れていた。
だが、もう美優のアカウントは存在しない。
妊娠したからではない。晒しにあったからだ。「痛い」「うざい」「次はマタニティフォトか?」などとコメントをしてくるアンチが、突如増えたのだ。
他人の幸せを素直に喜べない、不幸なヤツら。本当に、心が貧しい人たちと美優は同情した。
「育児関係のアカウントは作らないの? 私、美優の花嫁アカウント参考にしていたよ」
「育児アカウントは、実はもうあるんですけど……。今回は細々続けていこうかなーって」
花嫁アカウントで得た、女の子たちからの羨望や脚光を浴びた優越感。それは、忘れることのできない快感だった。
だが、美優の育児アカウントは伸び悩んでいた。結婚式関係の投稿は、ネタの宝庫だった。結婚式場やドレスは、何の工夫をしなくても既にフォトジェニックだったし、凝った結婚式の内容は、ネタが尽きなかった。
対して、育児は盛り上がるネタがなかった。人気のある育児アカウントは、漫画やイラストで育児ネタを描いている人だったり、美しく作った離乳食を紹介している人だったりする。
美優は、どちらも苦手だった。絵も料理も得意ではない。こころの服のコーディネートを載せてみても、旦那譲りの細い目では、写真映えしない。
赤ちゃんを連れて、イベントや写真映えスポットへ行くのは限界があったし、集まってランチ会をするママ友もいなかった。
「こころちゃん、ドロドロのお粥より、軟飯にちかいほうが、食べるかもしれませんね」
「え?」
考え事をしていたので、突然話しかけられたことに呆然としてしまった。
「モグモグ口を動かしているので、形がある方が、食べてくれるかもしれません」
確か、この人はキッチンスタッフのハナさん。あまり喋らない人だと思っていたけど。
「もしよければ、軟飯を作りましょうか?」
「え? あ、はい」
断る理由が見当たらなかったので、とりあえず返事を返した。軟飯にしようが、ドロドロのお粥だろうが、変わらない気がした。この子は、食べることに興味がないのだから、と美優はつまらなそうに、こころを見た。
ハナさんが作ってくれた軟飯を、こころの口に入れてみる。
「モグモグ、ごっくん」
カウンター越しにハナさんが、リズムを作って、こころに話しかけている。
そんなことしたって、食べないに決まってる。
「うそ……」
「あ、食べましたね!」
美優は驚いた。今まで、何をあげても食べなかったのに。それに、ハナさんの言う通り、こころは口をモグモグと動かして咀嚼していた。
「こころちゃん、おいしかったー?」
ゆり先輩が話しかけている。その声もどこか、遠くに聞こえた。
なんで、どうして。
美優はそればかり、考えていた。ネットで調べた通りに、離乳食を進めていたのに。美優には、こころがわからなかった。
「ここちゃん、いつの間に食べられるようになったのよ〜」
とりあえず、喜んでみたが内心はモヤモヤが残った。面白くなかった。
「ハナさん、ありがとうございます。ハナさんって、保育士さんだったんですか? とっても子どものこと、詳しいんですね」
適当に喋った言葉だったが、思いの外、ハナさんは驚いた顔をしていた。驚いたというより、愕然とした、という言葉の方があっているかもしれない。
ハナさんは、目を見開いたまま、衝撃にあった人みたいに立ち尽くしていた。
やだ。わたしが嫌味を言ったみたいじゃない。勝手に軟飯食べさせておいて、そんな顔しなくたっていいじゃない。
「ところで、ハナさん。前から気になっていたのですが、この絵は何ですか?」
気を利かせたのか、ゆり先輩が、白い額縁に飾られている絵を指して尋ねた。途端、ハナさんが我に返る。
草原の上に親子が立っている絵。青空の上には、文字が書いてある。美優は、その言葉を読み、眉根を寄せる。どういう意味だろうか。
「これは、児童憲章の三原則です」
「児童けんしょー?」
「子どもは、一人の人間として扱われる存在。そして社会の一員であり、親の所有物ではない。だから、親だけががんばる必要なく、みんなで助け合って子どもを育てていきましょう、その環境を整えましょう……と私は解釈しています」
ゆり先輩が、肩で大きく息を吸ったのがわかった。
「なんだか、感動してしまいました。肩の荷がおりたというか」
そう言った、ゆり先輩の目にきらりと光るものがあったのを見つけて、美優は「これだ!」と思った。
「わたしも、感動しちゃいましたぁ! 写真を撮ってもいいですか?」
美優はスマホを片手に立ち上がった。 思ったとおりだった。
ハナサクカフェで撮った児童憲章の絵は、美優の予想通り、SNSでの反応は上々だった。
パステルカラー調の絵は綺麗だったので、それだけでSNS映えすると思った。
それに加えて『児童憲章って、知っていますか?私は今日、この言葉に助けられました。私、一人じゃないんだって。一人でがんばる必要ないんだって。肩の荷がおりました。育児で悩むことも多いけれど、これからは娘ちゃんと前を向いて、がんばります』という文章を一緒に投稿した。
『感動しました!』
『素敵な言葉、シェアありがとうございます』
『私もがんばろうって、勇気もらえました!』などという、コメントが沢山きた。それから、フォロワーも増えた。
美優は、ほくそ笑んだ。
なぁんだ、簡単じゃない。児童憲章がなんだか、知らないけど。久しぶりのこの感覚、最高に気持ちがいい。
やっぱり、わたしはみんなと違う。みんなと違って、一歩先を歩いてる感じ。だから、みんなに教えてあげるの。
だからもっと、わたしを見て!
それからは、ネタ探しだった。この流れを止めたくなかった。
育児中、苦労したけど解決したことを載せるのもいいかもしれない。「みんなは、どうしていますか?」と逆に質問して、コメント数を稼ぐのもいいかもしれない。
ハナさんが作ってくれた軟飯、写真に撮っておくべきだった。美優は後悔した。『食べてくれなくて、毎日心配だったけど、たまたま軟飯を出してみたら、食べてくれましたー!』という文章はどうだろうか。そんなことを考えて、ふふふっと笑った。
「ここちゃん、ありがとね。ママ、やっと楽しくなってきた」
こころを抱っこしたまま、ぐるぐるっと回転してみせた。美優は笑っていたが、こころの表情はどうだったか、美優は覚えていなかった。
その日は、こころをベビーカーに乗せて、近所の公園へ行くことにした。
前に頼んでいた、こころのワンピースが届いたのだ。淡いパープルの長袖ワンピース。ウエスト部分からふんわりとした、チュールスカートになっている。その上に、真っ青なカーディガンを着せた。
うん、かわいい。
美優は大満足だった。これを着て、紫陽花と一緒に写真を撮るのはどうだろう。近所の公園は紫や青色の紫陽花が沢山植わっていて、この時期見頃となっていた。
ベビーカーを押しながら、ハナサクカフェの前を通った。帰りにケーキを食べよう。かわいいケーキがあったのを、先日チェックしておいて、正解だった。
「育児のご褒美に!」
鼻歌を歌いながら、ベビーカーを押す。何を投稿しようか。何と反応が来るだろうか。面白くて、愉快で、仕方がない。美優は、SNSのことで夢中だった。
少し日差しが出てきた。
こころに帽子を被せてくれば良かった。麦わら帽子を買ったばかりだったのに。まあ、いいか、ベビーカーの幌で日差しは遮れるし。
片手で日傘をさして、美優は目的の公園へ向かった。
昼どきの公園は、空いていた。
午前中は保育園児が走り回っているので、落ち着いて写真が撮れない。逆に、昼過ぎになってしまうと幼稚園帰りの親子で賑わってしまう。昼どきの今がチャンスだった。
ベビーカーを置いて、撮影スポットへこころを抱っこして移動する。撮る場所は、前々から決めていたのだ。ベンチを挟んで、右側が透き通るような水色の紫陽花。左側が淡い紫とピンクが混じった紫陽花。
こころの今日のコーディネートとマッチした背景。完璧。これなら可愛い写真が撮れる。流石、わたし。
早速、こころをベンチの上に座らせる。
「ここちゃーん、こっち向いてー」
上から下から、様々なアングルで写真を撮る。こころが飽きてきて、ベンチの上をハイハイしたり、つかまり立ちを始めたので、写真から動画に切り替えた。後で、動画を編集して、最高の一枚を探すのだ。
「ここちゃーん、もうすぐだから」
次第に、こころがグズり始め、泣き出してしまった。もうここまでか、と思った時、ハッと気がついて夢中で写真を撮った。
「泣いてる顔も、逆にいいかも」
花と赤ちゃんの組み合わせは良く見るけど、泣き出してしまった赤ちゃんは、みんなの目に留まるはずだ。
「ここちゃん。すごく良かった、お疲れ様」
そう言って、こころを抱き上げた時だった。
「なにこれ……熱い?」
こころの顔は、真っ赤だった。髪の毛も汗で濡れている。体は熱く、ぐったりしている。
「ここちゃん?」
美優は辺りを見渡したが、誰もいない。突然の不安に襲われた。体が、熱すぎる。
急いでベビーカーへ駆け戻り、麦茶の入ったマグをこころの口元へ持っていったが、ぐったりとしたこころは麦茶を飲もうとはしなかった。
「どうしよう……。熱かな……病院……」
手に持っているスマホで症状を検索しようとして、美優は自分の指が細かく震えていることに気がついた。
気が動転していた。こころは喋れないし、どうしてあげたらいいか、わからない。
乳幼児突然死。
その言葉が頭をよぎった。確か、それは睡眠時に起きることではなかったか。わからない。どうしよう。
こころが。こころが、死んじゃったらどうしよう!
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