第4話 ブルースター ②


 和室にいる大人三人も、虚をつかれた顔をしている。あおいを抱いたまま、再び和室に戻った翔太の顔は、紅潮していた。


 さくらちゃんが散らかしっぱなしのおままごとセットの中から、りんごとメロンを拝借する。


「りんごが奥さんで、メロンがぼくです」


 みんなが、りんごとメロンを交互に見る。


「こうやって自分を中心に、仕事や趣味、友人など色々なものが、紐付いていますね」


 翔太は、りんごとメロンの周りにも、幾つかおもちゃを置いた。


「けれど、子どもが産まれると……」


 そう言いながら、卵をりんごとメロンの間に置いた。


「奥さんは、世界の中心が自分と子どもに変わります」


 卵をりんごにくっつける。


「それによって、仕事や今まで好きでやっていたことを、どんどん切り離していかなければならなくなる。育児をしているから、そうなってしまう」


 りんごの周りにあるおもちゃを、翔太は取り除いていく。


「けれど、ぼくの世界の中心は、ぼくのまま。そりゃあ、多少はぼくも子どもが産まれたことによって、切り離さなければならないこともあります。

 でも、奥さんは赤ちゃんが産まれた瞬間から、切り離さなければならないことが、多すぎた。彼女の世界は、一変してしまった。隣にいるぼくは、ほとんど世界が変わっていないのに」


 りんごに残されたおもちゃは少なく、メロンはまるで人気者のように、おもちゃに囲まれたままだった。


「だから奥さんは、ぼくが『羨ましく』て『ずるい』と感じてしまった」

 

 うーん、と唸ったのはさくらちゃんのお母さんだった。


「なんだか、子どものせいで、あたしたちが犠牲になっている……と聞こえなくもないですね」


「すみません。そんな意味で言ったつもりはなかったのですが……。誤解を招く言い方でしたね、申し訳ありません」


 翔太は深々と頭を下げた。犠牲だとか、子どもを産んだから、というように聞こえてしまう言い方だったかもしれない。


「いえ、責めてる訳ではないです。こちらこそ、すみません。お父さんの言いたいことはわかります。確かに、このりんごとメロンの構図になっていますよ、我が家も」


「私も……以前まで、そう考えていたかもしれません。なんで私ばっかりって」


 颯汰くんのお母さんは、颯汰くんを抱きしめたまま、どこから遠くを見ているような目をしていた。


「そこで、です。例えば、ぼくも奥さんと同じように育児をして、家事をして、そして仕事もする……。これが世の中でいう『イクメン』の姿なのかもしれません」


「でもさ、そうなると今度はお父さんばっかりになっちゃわないかい?」


 田辺さんがすかさず、突っ込みをいれる。


 翔太はりんごとメロン、そして卵のおもちゃを見つめる。


 何かが、違う。何かに、違和感を感じる。


「公平さを求めてばかりいると、相手が見えなくなってくる気がします。粗探しが始まるというか。シェアで上手くいくなら、みんなとっくに幸せですよね」


 颯汰くんのお母さんの言葉に「それだ」と翔太は呟いた。そうだ、何故気がつかなかったのか。


「それですよ! 颯汰くんのお母さん!」

「ええ?」


 答えは、至ってシンプルだったんだ。複雑に考えすぎてしまった。


「奥さんも、ぼくと同じようにバリバリ仕事をするのは、無理があります。育児をしながら、男性と対等にというのは、残念ながら、今の現状では厳しいものがあります。

 そして、ぼくも奥さんと同じ量の家事をこなすというのも、やはり無理があります。二人を養うために、もっと仕事をしないといけないから」


 翔太は卵のおもちゃをりんごから離して、りんごとメロンの間に、丁寧に戻した。


「でも、育児はお母さん一人では、もっと無理です。だから、ぼくはイクメンになるというより、奥さんがどうしたら幸せかを考えます」


「まあ、素敵!」


 櫻子さんが、小さく拍手を贈った。


「奥さんは、家事が好きなので……」

「ええ! 家事が好きなんですか?」  


 目を丸くして、さくらちゃんのお母さんが、半ば悲鳴をあげるような声で言った。


「わたしだったら、一番に家事を旦那にやってもらうのに」


「家中を掃除したり、料理をしている方が、ストレス解消になるそうです。ぼくが手伝おうとすると、逆に邪魔になるみたいで……。今日も追い出されてきました」


 翔太は、照れくさそうに頭をかいた。


「まだ、具体的に何をしたらいいか、わかっていませんが、ゆりが毎日笑っていられるようにするのが、ぼくの役割だと思うのです。お母さんが笑顔なら、あおいも嬉しいはずです。きっと」


「夫婦のあり方は、それぞれよね」

 櫻子さんが伏し目がちに言った。


「うちの旦那にも聞かせてあげたい言葉だったわ。ねえ、さくら」


 名前を呼ばれて、不思議そうにさくらちゃんは振り返る。口におもちゃのスプーンをくわえている。お腹が空いたのだろうか。


「そう思うなら、直接旦那に言ったらいいさ。女は、むっつり黙って『どうして、うちの人わからないの』って心の中で呟くけど、そんなの一方通行さ。男の人に通じやしないよ。どんな人間も、言葉にしないと伝わらない事の方が、多いのさ」


「田辺さんって、お母さんみたい!」


 さくらちゃんのお母さんは、田辺さんの腕に抱きついた。


「あたしゃ、こんな若い娘産んだ覚えないわよ」


 しばらくの間、さくらちゃんのお母さんがくっついたまま、二人は笑いあったり、冗談を言い合ったりしていた。


「義理の母には、したくはないわね」


 そんな二人を見つめながら、櫻子さんがポソリと言った。その横で、颯汰くんのお母さんが体をふるわせて笑っている。




「ハナさん、ケーキはテイクアウトできますか?」


 小さなガラスショーケースの中に飾られている、シフォンケーキを指差して、翔太は尋ねた。


 ふわふわの生クリームの上に、薔薇の花びらとすみれの砂糖漬けが散りばめられている。


「できますよ。二つでいいですか?」

「はい、ありがとうございます」


 ゆりは、甘いものが大好きだ。お土産に持って帰って、一緒に食べよう。そして、ハナサクカフェの話をしよう。


「あおいちゃん、また来てね。今度は三人で」


 ハナさんが、ドアの外まで見送ってくれた。振り返ってお礼を言い、花の件は電話しますと伝えて、ハナサクカフェを後にした。


 今頃、掃除は終わった頃だろうか。これからは、きちんと「ありがとう」と言おう。

 

 言わなければ伝わらないのは、女性に限ったことではない。


 歩みを進めていると、水色の花が目に飛び込んできた。玄関前にグリーンとブルースターの寄せ植えを置いている家があった。


 立ち止まって花を見ていると、声をかけられた。


「お父さんが抱っこして、えらいわね」


 すれ違い様に、おばあさんが微笑む。


「はい、ありがとうございます」と素直に答えた。


 お父さんも、えらい。

 お母さんも、えらい。

 みんなが、えらい。

 そして、がんばって生きている、子どもたちはもっと、えらい。


「あおい」と翔太は、呼びかける。


「あおいは、えらい。お父さんとお母さんに気がつかせてくれて、ありがとう」


 青空のような花。

 ブルースターの花言葉は、信じあう心だ。

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