第3話 妹

僕には公務員の父と専業主婦の母と歳が3つ離れた妹がいた。

都内の新築の家に住み、幸せな家庭だったと思う。

だけど、僕が小学校2年の時に公務員だった父は、大腸ガンで死んだ。

家のローンが団体信用保険とやらでチャラになり、それなりの額の死亡保険金も母は受け取る事になった。

そして、父が死んで1年程すると、母は男を頻繁に家に連れて来る様になった。

茶髪で細マッチョ、首にタトゥーの入った男だ。


「よう」


そう言って僕と妹に声をかけてきたのが、男との最初の接触だった。


「こ、こんにちは」


僕は辛うじて返事を返すが、妹は俺の後ろに隠れて出て来なかった。


「何だ、妹の方には嫌われちまったか」


そんな会話をしたのを覚えている。

思えば、その時から妹は目を付けられてしまったのかもしれない。

それから3ヵ月もすると、男は家に堂々と居座る様になり。


「これからは、俺がお前らの父親になってやる。有り難く思えよ?」


僕達に向かって男はそう宣言した。

その頃から母はほとんど料理をしなくなり、食事はコンビニ弁当か出前ばかりになった。

男と母親は何処かで酒を飲んで帰って来る事が多くなり、僕や妹をしつけと称して殴る様になってゆく。

最初は頭をはたく程度だった。

それが日に日にエスカレートしてゆくのだ。

ゲンコツになりビンタになり、罰と称した拷問に変わって行ゆく。

特に、男になついていなかった妹の扱いは酷かった。

冬にハダカ同然の恰好でベランダに出されたり、熱湯のシャワーを浴びせて面白がっていたりと、母親も一緒になって参加をしている状態だ。

そんな事が続くある日、おねしょをしてしまった妹は母からヤカンの熱湯を掛けられていた。


「これから旅行に行くって時に、これはおねしょの罰よ!」

「いゃぁぁぁぁぁぁ!!」


僕は顔を背け耳を塞いだ。

妹の背中は真っ赤に腫れ、皮膚は水ぶくれの様になってしまっている。

母親も流石にまずいと思ったのか、妹の身体にアロエの汁を塗りラップでグルグル巻きにしていた。


「私達は予定通り大阪のUSJに行って来るから、ケンジは留守番しといてね」

「いいか、ソイツを病院になんて連れて行くんじゃねぇぞ?」

「でも、火傷が」

「ラップで治るってネットに書いてあったから大丈夫だろ」


そう言って二人は旅行に出かけてしまった。


「いたい、いたいよう。おにいちゃん」


ラップで巻かれてロクに身動きの取れない妹が背中の痛みを訴えて来る。


「ごめんな、何もできなくて」

「せなか、いたいの」


僕は妹に何かしてやりたくて、学校で流行っていたゆるキャラのキーホルダーの事を思い出した。

キーホルダーをランドセルから取り外すと、妹の目の前に持って来た。


「なぁに・・・それ」

「学校で流行ってるゆるキャラの『いなウサ』だ。これをお前にやるから元気出せ」

「ウサギさん?」

「いなウサだ」


僕は『いなウサ』を妹の手に握らせると、その上から妹の手を握った。


「ありがと、おにいちゃん」

「ああ」


だが、それから数時間経つと、妹の様子が一変した。

背中は真っ赤になって晴れ上がり、呼吸がかなり荒くなっている。


「いた・・い。たすけ・・て」

「くそっ、このままじゃマズい。医者に見せなきゃ」


けど、頭をよぎったのは、妹の事を病院に知らせた事に怒り狂った男の姿だ。


「おに・・い・・ちゃん」


ハァハァと荒い息をつく妹を見て決心した。

僕もあの男から罰を受けるだろうけど、妹を死なせる訳にはいかない。

家の電話の受話器を取ってみたが、音がしない。

あっ!

固定電話を解約したとか母親が前に言ってたっけ。

僕はスマホを持たせて貰っていないし、どうしよう・・・・

あの男からは「病院に連れて行くな」って言われてる。

でも、でも・・・・・死なせる訳にはいかない。

だって僕は「おにいちゃん」なんだから、妹は守らなきゃ。


「少し待ってろ。助けを呼んでくる」


あの男から何をされるか想像しただけで怖くなるけれど、妹をこれ以上このままにしておくのはダメだ。


「・・・・」


妹からは荒い息が聞こえるだけで返事は無い。

これはマズい!

僕は家を飛び出すと、隣の家の呼び鈴を押した。

・・・・暫く待ってみたけど返事は無い。

もう一度。

・・・隣りの家は留守か。

ああ、時間を無駄にした。

確実に人がいる所に行かないと・・・そうだ! 近くのコンビニに行こう。

あそこなら必ず店員さんがいるハズだ。

僕は駆け足でコンビニに入ると、制服を着て作業をしていた女性店員のズボンの裾を掴んだ。


「おねぇさん。たすけて、妹をたすけて!」

「ど、どうしたの君? 何があったの?」

「妹が死にそうなんだ!」

「ええっ!? お家の人は?」

「家には僕と妹しかいないから・・・」

「救急車は呼んだ?」


僕は首を横に振る。


「家の電話は使えなくなってて、スマホも持って無いんだ」

「分かった、呼んであげるから住所を教えて」

「うん」


住所を女性に教えると5分ぐらいで救急車は来るという。


「家の前で待ってて」

「ありがとう、おねぇさん」


僕はコンビニの店員さんにお礼を言うと、慌てて家に戻った。


「救急車を呼んでもらったよ! もう大丈夫だ」


僕は妹に駆け寄ってそう言ってみたけれど、妹に意識は無く「ヒュー・・・ヒュー・・・」という呼吸の音が聞こえるだけだった。


「ど、どうしよう」


僕は家の前に出て救急車を待った。

5分が1時間にも2時間にも感じる。

ピーポー、ピーポー

大きなサイレンの音がこちらに向かって近づいて来た。

はやくはやく!

玄関で待つのももどかしく、僕は道路に出て救急車に手を振った。


「ここ! ここですっ!」


僕に気が付いた救急車は家の前に止まり、救急隊員が車から降りてきた。


「119番に連絡したのはこの家かな?」

「うん、こっち!」


僕は救急隊員を急いで家の中に案内する。


「救急車が来たよ」


妹からの返事は無い。

隊員はラップに巻かれた妹の状態を見て驚いている。


「親御さんには知らせたの?」

「医者には見せるなって・・・旅行に行っちゃった」

「何だって!?」

「ねぇ、それより妹を!」

「あ、ああ、そうだね。急いで搬出するよ」


救急隊員は急いでラップを剥がすと、救急車に妹を乗せた。


「君も乗って」

「うん」


病院に着くと妹は治療室へと運ばれていった。

僕はストレッチャーに乗せられた妹を病院に引き渡し、その場に立ちすくむ救急隊員に尋ねる。


「ねぇ、妹は大丈夫だよね?」

「ごめん、わからない」


数時間後、病院の長椅子で待つ僕の元へ病院の看護師から妹が死んだ事を教えられた。

衰弱が激しく、治療が間に合わなかったのだそうだ。

僕がもっと早く医者に見せていれば・・・・

あの男や母親に逆らう勇気があれば、妹は死なずに済んだのだろうか。

僕は・・・


それから、警察が来て事情を話すと児童相談所とやらに連れていかれ、暫くはそこで生活する様にと指示された。

その後、色々な人に事情聞かれたが、僕はその全てに正直に答えている。


あの男と母親が逮捕された事を知ったのは、それから数日後の事だった。

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