楽園の詩物語

第1節 荒野と創世の朝の光-レーラン-

【〜楽園の詩〜荒野と創世の朝の光-レーラン-】

『世界は荒野が広がっていた。何も無い悲しみの不毛の大地。幾度と繰り返される世界の果て全ての約束された終着点。その荒野に新たな光が降り注ぐ何度目かの朝の光が荒野を刺す。そしてまた物語は紡がれる。』


――――――――――――

 

 私は長い年月を旅をして過ごして来た。水神域オケアーノスで生まれてからずっと其の土地を出た事は無かった。毎日入れ替わり立ち替わりでやってくる旅商人や旅人によく他の地域の話を聞いた。

 

 心地よい風が吹き1年中過ごしやすい気候に恵まれている風神域アーネモイ

 地平線の彼方にまで続く砂の海原が広がる大地神域ガイディア

 文明と知恵を象徴とする火が絶えない火神域へファイストスティ

 そして、未だ名も無い丘や山脈、海峡、川が広がる無名の大地。


 それらの見た事も無いような土地で紡がれた人々の物語を聴いていると自分も旅をしている気持ちになり、自然と私の旅への憧れが芽生えた。いつか絶対に世界を巡る人間いなりたい。そう思って居た。

 ただ、現実はそう簡単な話でも無く私が15になる前には婚約者は決まり、一生を水神域オケアーノスで過ごす事が決まって居た。両親も婚約者も誰一人として悪気があった人はいなかった。それは私のたった少しの我儘だった。私は其の我儘が溢れ出ないように箱の奥底に仕舞い込んだ。


 20になる前に子供は3人出来て一般的な幸せな家族になれた。けれども其処に至るまでまた3人の子を水に流した。

 誰も責める者は居なかった。それが普通だから。自分こそ4人兄弟だが6人程生まれてくる前に死んでいった兄弟が居る。だから、誰も責めない。それでも私は罪悪感を抱いて居た。あの子達に生を与えてやれなかった事による罪悪感だ。


 

 水神域オケアーノスにはこんな物語がある。

 『生まれる前に死んだ子は水神様の力によって水に流れ東にある死者の国へ流れる。死者の国に辿り着き母親を待つ。そうして命尽きた母親が死者の国に訪れた時、また家族として生きる。』

 

 そして物語は詩に続く。

『流れてお行きなさい。水は全てを流す。貴女が見た凶夢だって朝になるまでに水に流す。時には子供も流れて行く。けれどもそれでも貴女は絶対に逢える。水は輪廻し、いずれ来るであろう再会の日を待ち望んでいるのだから。

 流れてお行きなさい。水は全てを流す。貴女が見た恐ろしい幻想も必ずや水に流す。時には貴女の大事な人も流れて行く。けれどもそれでも貴女は絶対に逢える。水は貴女を覚えているから。水に流れた者も貴女を覚えているから。』


 其の詩に励まされ水神域オケアーノスの母親達は生きるのだ。私もこの詩によって背中を押された母親の1人だった。



「けれども……あんまりです。こんな惨い結末はあんまりです……。」


 

 ある年の冬。突然と私の愛しい存在達は奪われた。両親も義両親も夫も子供達も自分以外誰一人として溢さずみんなだった。それは予期せぬ病の流行だった。肺に霜が張り付くような寒さに襲われる。後に『氷結病』と名付けられる不治の病。

 何故か私だけ大丈夫だった。なんで……なんで。蒼い空に嘆いた泣き言も美しすぎる空に吸い込まれて奪われるばかりだった。



 其の後、私はどうして居たのかは覚えて居ない。ただ、旅装束に身を包み旅をして居た。哀しみを詠う詩人として。水に流れていった筈の愛おしい者達の痕跡を信じてただただ東へ進む。


 初めに憚ったのは大きな海だった。私は仕方が無く北へ進路をずらして歩み始める。


 水神域故郷でも未だ来た事の無い地域。そこでも母親が子供を水に流して泣いて居た。私も弔いの詩を紡いで哀悼の意を示す。


『煌めく水面。貴柱あなたは流してくれるのかしら?

  揺らめく波。貴柱あなたは思い出してくれるのかしら?

   滴る雫。貴柱あなたは泣いてくれるのかしら?

    麗しい水よ。小さな棺を揺らしておくれ。

 その子が安らかに眠れるように。揺り籠のように。』


 

 雷鳴が届く大地。そこには邪神と呼ばれる大きな龍が現れるらしい。ここにもいつか物語が紡がれ詠われるのだろう。詠うのは私ではないみたいだけども……。


 絶えず炎が揺らめく大地。そこに生きる人々。火の神の民達は皆力強くそして、他民族にも優しい人達だった。客人を厚く歓迎する文化を持つ彼らにとても助けられた。


『大陸一位の繁栄を手にせし者達よ。その繁栄を永遠に。

  春を手に入れし者達よ。その生を永遠に。

  夏を手に入れし者達よ。その蔓延を永遠に。

  秋を手に入れし者達よ。その実りを永遠に。

  冬を手に入れし者達よ。その美しさを永遠に。

 火を最初に手に入れし者達よ。どうかその暖かさを永遠に保って居てくれ』


 火の神の民達は優しかったのだが、次第にそれに負い目を感じ少々逃げるように私は火神域へファイストスティを出て行った。


 そうして少しの間、厳しい山脈を見上げるように渓谷を歩いていると次第に寒くなって行く。それは永遠の凍土への入り口。と通り掛かりの旅商人は教えてくれた。そしてお近付きの印に。と言って彼女は売れ残った布を使って外套を作ってくれた。


 少し進む度に悴む指。そう言えばあの度商人は言って居た。これから幾度目かの冬がやってくる。冬は氷の女王が笑顔になる季節だ。どうか氷神域ザミェルザーチティカでは冬の悪口は言わないでおくれ。彼女が……氷の女王が悲しむ。


 そう言って居た気がする。けれども、悪口を言う前に寒さによって気絶してしまいそうだ。目の前は吹雪によって目が開いているのか開いて居ないのかさえ分からなくなって来た。


 冷たい何かが全身を覆う。嗚呼、私は雪に埋もれて死ぬのか。私の旅もここで終末を迎えるのか……。



「……!!……た!!あんた!!!」


「うっ……」


 返事をする前に身体を起こされソリの上に乗せられて居た。


「あんた、そんな薄い服着て死にたいのか?んまぁ、その外套は悪くないけど。うちはもうすぐそこだからそこまで耐えるんだよ!絶対に寝るんじゃないよ!」


 はっきりとした物言いの壮年の女性だった。どうにか瞼を擦りながら辺りを見る。遠くに微かに光る何かが見えた。

 ……結局私の記憶はそこまでだった。


「……?」

「全く。寝やがって。起きたんならさっさと起きな。うちにはベッドは1つしか無いんだよ」


 そう言うと私の手を引っ張りリビングらしきところに案内してくれた。そこの暖炉には木が焼べられておりそれのおかげでだいぶ温かった。


「そこに座んなさい。」

 そう言うと台所に立ち何かを作り始めた。ものの数分すれば美味しそうないい香りが香ってくる。


「シチューだよ。ゆっくり食べるんだよ。喉に詰まるから。」


 温かそうで私が見た事の無い料理だった。きっとこの地域の料理なんだろう。


「あたしの名前はアシェラ。あんたは?ってかどこから来たんだい?」

「私は……レーランです。水神域オケアーノスから来ました。」

「レーランか。水神域オケアーノス……結構来たんだな。1人でかい?家族とかは?」

「……両親も義両親も……夫も子供達もみんな流行病で亡くしました……。」

「そうかい。あんたも哀しみを背負ってるんだな……。」


 そう静かに言うとアシェラさんはまた黙り深々と降っている窓の向こうの景色を見た。



「レーラン。あんた、春にまでここに居な。あんたみたいに慣れない人間がこれ以上先に進めるとは思えないからな。何、ちょっと手伝いをしてくればタダで居させてやるよ」


 アシェラさんもとても優しい人だった。口ではだいぶ荒い事を言っているが人をとても深く想っているのを感じられるいい人だった。


「あたしは氷神域ここで生まれ育ってここで骨を埋めるつもりだったから知らなかったけど、水神様もだいぶ慈愛に満ち溢れた神様なんだな……。その考え方はあたしには無かったさ……。」


 そう滞在最終日に独り言のように言った。


「レーラン。あんたとあたしは似た者同士だ。あんたが見えなくなってもあんたの旅へ祈り続けるよ……。気を付けてな。」

「はい!アシェラさん。本当にありがとうございました!!」


『人の暖かさは宝だ。

  人の優しさは宝だ。

   人の愛おしさは宝だ。

 人とは美しい宝石よりも価値のある存在だ。』


 

 氷神域ザミェルザーチティカの都を通り過ぎ東の果ての森に着いた。森を抜ければ死者の国があると思い胸を高鳴らせながらも冷静にその鬱蒼とした木々が立つ森を抜けていく……


 けれども、そこには死者の国など無く、寄せては返す波の音が響く海辺だった。自分が立っている場所からは永遠に続く海と其の向こうの霧しか見えなかった。そんな景色を見て私にどうしようも無い無力感が襲って来た。私には何も出来ない。私には何も為せない。人間とは結局のところ無力な存在なのだ。っと……

 

 何故、今頃そう想ったのかは分からない。けれども、目を瞑ってもう一度開けた景色は異様なものだった。空が緋かった。それは血で染めたかのように。そうして何かを察した。


「この平安の、この平穏の、この平和の時代もいつしか尽きる。其の後訪れるものは争いの時代だ。」


 緋色の空の元、見てしまった。この世界の過去と現在と未来を。私は知ってしまった。生きて行く上で知らなくていい事を知ってしまった。



「嗚呼……運命の女神ソフィアよ……心があるのでは教えてくれ。貴柱あなたはなんで悲劇ばかりを望む?哀の詩が紡がれるのを望む?……貴柱あなたの望んだ世界とはなんだ……?教えてくれ給え!!」


 私は緋色の空の元、祈るように神に問う事しか出来なかった。それでも神は答えない。その代わり神は私に祝福呪いをくださった。

 目を潰したのだ。もうこの残酷な世界を見ないで済むように。この悲劇の観劇者にならないように。けれどもそれは同時に私の愛した世界を見れずに朽ちると言う事が決まったのだった。



「運命よ。貴柱あなたが私から肉親を、愛した人を、子を何人と奪っても私は立ち上がった。そして歩み始めた。

 運命よ。私は貴柱あなたから私の瞳の光を奪おうとも私から詩は奪わせない。私は進み続ける。世界の美しさを詠う為に。詩を紡ぐ為に。詩を……私が生きた痕跡を残すために……!それが私の見出した私の使命なのだから!!」


 誰も居らぬ東端の海辺。そこで私は何かに向けて叫んだ。


「人は誰しもが死せる運命を背負っている。けれども、同時に人は歴史を紡ぎ詩い継ぐ運命をも背負っている。私は其の運命を……受け入れよう。」


――――――――――――

 

 視力が消えたらどうやら其の他の感覚が発達するようだ。微かに香る水の匂い、瞼の向こうから感じる音。光の流れる方向。それらの情報を足し合わせ私は以前見て来た景色を脳内で作り上げた。鬱蒼と生い茂る森を抜ける頃には以前と遜色変わりないほどに歩けるようになって来た。


 森を抜けると砂の海が広がりし大地神域ガイディア領である事が分かった。乾いた風と砂塵が私の頬を撫でた。それは湿気を感じられない自分の常識には無い風だった。

 よく考えてみると水神域オケアーノスは随分と湿気の多い場所だった。それでも其の湿気は水神様の授けてくださった恵みだとは知っている。だからこそ、大地神域ここのように一切の水を感じられない場所に恐怖感を抱いた。水神様の恩恵はここには無いのだ。そう想ってしまった。


「されども大丈夫。ここも神に祝福されし土地……。」

 

 私は砂の海をただ歩いていく。時に商人達に列に加わり水を囲む都オアシスにまで連れて行ってくれたりとした。


「旅人は砂の丘を超える。そこに水があると信じて

 旅人は砂塵にも屈しない。それは大地神の恩寵であるから

 旅人は砂に埋もれながらも祈りを捧げる。神は慈悲深いから」


 水を囲む都オアシスは活気が溢れていた。目では一切見えないが景色はなんとなく分かる。ここも栄華を極めている都市である。っと。


 大地神域ガイディア領では実に12個程の水を囲む都オアシスを辿り遂に風神域アーネモイの手前まで来た。久方ぶりの水を感じ勇気付けられた気がした。最後の国だ……。きっと大丈夫……。



 船に揺らされる事、数時間。私はとうの昔に限界を達していた。こんなにも海が荒れているとは聞いて居なかったのだ……。異様に揺れる船の中、吐瀉物をバケツに放り込むぐらいしかやり過ごす方法は無かった。

「まさか……自分が……ここまで……船に……弱いなんて……」

 

 ただ、ある時一瞬にして船に平穏が来たのだ。其の時には私の背中を無言ながら摩ってくれる優しい人も居た。


「これが……神の恵み……なのね……」

「まぁ、そうとも言うかも知れませんね。」


 今まで一言たりとも言葉を発していなかった背中を摩ってくれる優しい人はそう答える。……この人からは冷たいけれども優しい風の匂いがする……。そう直感で思っていた。


水神域オケアーノス出身で肉親を失い死者の国を目指して東へ旅を始め、その後、死者の国は無いと悟りそして、残酷な景色を見たが故に目が潰れ、それでも水神域オケアーノスに戻ろうとする放浪詩人のレーラン……であっているな……?」


 やけに詳しく自分の経歴を知っているもんだ……。神の遣いか何かなのか……?


「自分は風神域アーネモイを統べる風神・アネモイ様の眷属のソーライと言う……。貴女の事をアネモイ様は気にかけていらっしゃった。どうか、風神神殿に来て欲しい。……勿論、風神神殿まで自分が送り届けよう……」


「私を……風神様が……気にかけている……?」


 一体何事だろうか……。そう考えているうちに船は港に辿り着き、風神様の眷属であるシューラン様は私を抱えた。


「えっ!?うわっ!?なっ……なんですか……!?」

「空を飛んでいるのだ。人間の貴女には中々体験出来ない事だろう。少し楽しめば良い」



「風は優しく流れていく。それは故郷オケアーノスの水の如く。

 風は私を癒していくくれる。それは故郷オケアーノスの水の如く。

 風は傷を痛みを包んでくれる。それは故郷オケアーノスの水の如く。」



「ここが、風神神殿だ。足元に気をつけて」


 空の散歩が終わるといつの間にか神殿の前に着いたようだ。目が見えなくても分かる……。ここは正真正銘の神の住まう場所。神の座る場所。であるっと……。


「アネモイ様。件の詩人様をお連れ致しました。」

「ご苦労……。ソーライ。」


 とても優しいお声だった。私も一度オケアノス様を見た事がある。其の時に匹敵する程の心の浄化を其の声は促してくれた。


「お主レーラン……っと言ったかな?……お主の詩は良く風に乗って私の元にまでやってきている……。悲劇を背負いし者よ……。悲劇を見た者よ……。先短し仔よ……。我、風神アネモイの力を用いて少しの休息をやろう……

 時に、詩を紡ぐ為には休息も重要だろう。」


 そう言うとアネモイ様の服の布の擦れる音が僅かにし、其の語爽やかな風が私を包んだ。



――――――――――――

 

「……ここは……?」


 草原だった。それも見慣れている。


「お主の故郷……水神域オケアーノスの風景……。今、お主が最も見たい景色であると言えよう」


 アネモイ様は私の近くに立っているようだ。そして、その近くにはソーライ様も立っているのが分かる。


「水と風はよく似ている……。いつも何処かへ流れていく。それは行き先は選べない。けれどもそれでも流れていく。水は澱む前に、風は止まる前に流れていく……。私とオケアノスの思想は似たモノがある。生まれたばかりの頃は双子とも称された程だ……。

 だからこそ、水神域オケアーノスの地で生まれ育ったお主の歌に共鳴し……こうして助けたいと思ったのだろう……。」


「やはり……私の先は短いのでしょうか……?」


 なんとなく感じていた。あの緋い空を見て目が潰れてから、自分の先は長くは無い。っと。正直に言って仕舞えば水神域オケアーノスに辿り着けるかも分からなかった。私の体は確実に朽ちて行っている……


「嗚呼……風が1つの丘を超える程……。水神域オケアーノス流に言えば雨の雫が地に落ち、それが地に染み込むまでの時ぐらいに……。どちらとも共通して言えるのはたった一夜の夢ほど。っと言う事だ……。けれども、これは私が神であるが故の時間感覚。人間ではもう少し在るかも知れない。それでも短い時間だ……」

「そう……ですか……」

 寂しい風が私の頬を撫でる。それは実際にアネモイ様が私の頬を撫でているようにも思えた。いつの間にか私の目からは一粒の雫が流れ出ていた。それも地面に落ち徐々に染み込む。

 

「自分達の力を用いても貴女の生命を引き伸ばす事は出来なかった。ここは仮初の楽園。謂わば、風神が作りし夢の中。この中では生命など時間など気にせずに過ごせる……。少しでも自分達は貴女と会話をしてみたかったから……。」

「確かに、お主は死ぬ為に旅をしたのかも知れない。だから、こそ水神域オケアーノスに戻る事が重要なんだろう?」


 自分でもあやふやになっていた水神域オケアーノスに戻りたい理由がはっきりと見えてきた。私も、流されるのだ。水によって死者の国に……。けれども、それは叶わないかも知れない……。



「お主が望むのであれば我の眷属であるソーライに頼みて水神域オケアーノスに送る事が出来る。お主はそれを望むか?」

「いえ……神様達に迷惑をかけるわけにはいきません……。それに私は自分の足で水神域オケアーノスに戻りたいのです」

「そうか……それがお主の望みであるのならば、我らはそれを尊重しよう……。余計な世話であったらすまなかった……。お主の旅が良い旅になるよう……風神アネモイが願っておこう」

「風神眷属のソーライも……」


 

 そうして現実に戻された。2人(人では無い)は少し寂しそうな顔だった。

「シューランに水神域オケアーノスへ続く港まで案内させよう。ソーライは口足らずだがいい奴だ。」

 そう言って私とソーライ様は風神神殿を出て行った。



「風よあなたの慈愛を私は忘れないだろう

 風よあなたの暖かさを私は忘れないだろう

 風よあなたの優しさに私は感謝をし進むだろう」


 風は鳥を飛ばし自由の象徴だ。きっと風神域アーネモイも永遠の楽土になるだ……


 見えたのは風神アネモイが何も見えぬ暗き門へ進み民に背を向ける様子。

 見えたのは災厄の渦が風神域アーネモイを飲み込もうとする様子。

 見えたのは山河が荒れ果て風も止まった風神域アーネモイの様子。

 見えたのは2代目風神となったシューランが無力に打ちひしがれ玉座で涙を流す様子。

 見えたのはソーライが災厄を止める為に、民から酷い罵倒を受けながら災厄の渦に身を投じる様子。


風神域ここはいずれ……神の居ない土地になる……?そっ……そんなに人間は耐えられないっ……」


「どうしたのか?」

「いや……なんでも……ないです。」


 きっとソーライ様にとっては聞くまでもなく私の状況を理解しているのだろう。形式的に、人間と関わる上でわざわざ聞いてくれているのだろう……シューラン様の険しい面持ちはそれをはっきりと語っていた。


「風は流れる。古き風は流され新たな風が吹き込む。神の居ない時代、神が信仰されない時代新たな時代になっても恐るべきではない……風と言うのは自由なものなのだから……それは人間もそう……。それより貴女は目先の事に気を付けた方が良い。」

 すると足元の小石に躓き転びかけたところをシューラン様に助けられた。

「ほら」

「はい……気をつけます……」


 ソーライ様は確かに口数少なく怖い印象があるが私のペースに合わせて歩きついでに風神域アーネモイの観光案内もやんわりとしてくれた。そうして遂に、水神域オケアーノスへ続く港街へ辿り着いた。


「貴女の体調は本当に良くない。だから少し小細工をしよう」

 そう言うとソーライ様は私を引き留め額に手を置き何かをした。それが何かは分からなかったが、幾許か身体が楽になった気がする。


「あと少しとは言え気をつけて……最後まで気を抜かないで……」


 そう言い私を送り出した。

 今度の船内ではとても快適に過ごす事が出来て特に何も起きずに水神域オケアーノスに辿り着いた。



 久方ぶりの故郷。私は家へ向かう。懐かしい道のり。懐かしい雰囲気。目が見えなくとも分かるこの日常。


 家に入る。もうだいぶ荒れ果て朽ちている。けれども水神様に捧げるゴブレットは綺麗に残っていた。そこに新たな水を汲み入れ私は祈りを捧げる。恐らく最後の祈り……。


 ベッドもだいぶ荒れ果てていたが一人寝るのには十分だった。



「私は……少し休もう……そう。そうしよう……。」


 ベッドで横になると微かに聞こえてくる水の流れる音。微かに見える太陽の輝き。そして、家族の暖かさ。



『流れてお逝きなさい。貴女の楽園は川を降って東にある。

 流れてお逝きなさい。水は永遠を輪廻する。貴女は其の輪廻でまた家族に出逢える。

 流れてお逝きなさい。ゆっくりと……優しい夢を見るように……眠りなさい……』


 ――――――――――――


 私はまた草原に立っていた。あの時、アネモイ様が一時の安らぎとして見せてくれた草原と似ていた。

 けれども明確に違うところがあった。



「お母様!!」

 駆け寄ってくる小さな光達。

「レーラン……。お疲れ様」

 優しく温かい大きな光。

「レーラン……。旅はどうだった?」「レーラン。旅は楽しかったかい?」

 慈しみの少し自分より小さな光。

「レーランや。旅に出るなんてすごいねぇ」「レーラン。後で旅の話を聞かせておくれや」

 少し離れたところからの優しい光。



 みんな……みんな家族だ。家族の光だ。



「お母様……生まれてくる前に死んでしまったのに気にかけてくれて……ありがとうございます」

「私達、お母様に逢うのをすっごく楽しみにしていたの!」

「お母様の旅のお話沢山聞きたいな!!」


 私の涙も地面に染み込み消え失せる。



「おかえり!!レーラン」「お母様!!」



「ただいま……みんな!!」 


――――――――――――


『未だ世界が《神話の時代》と呼ばれた頃に助けられながらもたった1人で世界を旅した詩人・レーランの物語はこれでお終い。めでたし。めでたし。』

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