第4話 結末

 

 私はドアを開け、慌てて瑠香の後を追う。

 

 彼女を追いかけ、階段を下って辿り着いた先は1階のリビングだった。

 

 そろーっとドアノブに触れて、少しだけ押し開ける。

 

 すると食卓の近くに瑠香がいた。

 

 その奥にはお母さんの姿が見える。お母さんは何故か床に座っていた。

 

 そして怯えたような目で瑠香のことを見つめているようだった。

 

 お母さんも瑠香のことが見えてるんだと、ふと思う。

 

 やっぱり家族旅行で行った神社で妙な力でも授かったのかもしれない。それくらいしか思い当たる節はないし、あのとき神社で変な感覚を覚えた記憶もある。お母さん、お父さんも、なんかこの神社はざわざわするって言っていた。

 

「お母さん」

 

 瑠香が私のお母さんへ話しかけた。


 なんでお母さんと呼んだのか、その理由がわからず戸惑う。

 

「わたしを殺しに来たんでしょう?瑠香」

 

 お母さんの声は震えていた。

 息は荒く、青白い顔をしている。


 何が起こっているのか全くわからない。


 お母さんは瑠香のことを知っている? 瑠香がお母さんを殺しに来た? 頭の中が疑問で埋め尽くされていく。

 

 しかしこの雰囲気のなか部屋に入って尋ねる勇気がなかった。


 今、ここは修羅場だ。

 

 私の家じゃないみたいだった。

 

「わたしがあなたを犠牲に生きながらえたことを恨んでいるのでしょう? だから、幽霊となって今もこの世を彷徨ってわたしを呪い殺そうと……」

 

「まってまってお母さん、全然違うから!」

 

「……え?」

 

「確かにあたしは死んだ。でもそれはお母さんのせいじゃない!」

 

「そんなはずないわ、だってわたしが緊急時に母体を優先するようになんて言わなければ、あなたは死ななかったはずなのだから」

 

「そうだけど、そうじゃないの!」

 

 お互い熱くなって言葉をぶつけ合う。


 どちらの言い分も相手のためを想っていた。

 

 お母さんは私だけのお母さんではなく、瑠香にとってもお母さんだったのだ。

 

 それはつまり、瑠香は私の姉妹であることを意味していた。

 そして、瑠香が私のことをお姉ちゃんと呼ぶ意味、それが今になってはっきりとわかったのだ。

 瑠香は私の妹になるはずだったのだ。それなのに亡くなってしまった。

 

 何とも言えぬ感情が心の中に生まれる。


 どちらもお母さんから生まれたのに生きられた私と、生きることが出来なかった瑠香。それを何も知らずに生きてきた私と、ずっと心に抱え続けてきた瑠香。

 

「あたしは、お母さんに死んでほしくなかった。それにお姉ちゃんにはお母さんが必要じゃんか。あたしがここに来たのはお母さんに自分を責めてほしくないから、それと……」

 

 一息置いてから瑠香は続ける。

 

「あたしをいなかったことにしてほしくなかった」

 

 瑠香が成仏できなかったわけはこの二つなのだろう。


 こんな重いものを背負っていたと聞いているだけでも心が締め付けられそうだった。

 

「あたしは生まれてすぐ亡くなった。それでもこの世界で少しだけ生きたんだ。あたしは確かにこの世に存在した。それを忘れないでほしかった」

 

「忘れてない。忘れられるわけない……」

 

「でもお母さんは忘れようとした」

 

「ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさい。あなたに恨まれている気がして、責められている気がして、わたしなんて母親失格なのだと、生きる資格もないのだとそう思ってしまって。苦しくて逃げたくて。あなたを意識しないでいれば、暗い気持ちから遠ざかれた。だから、わたしは……わた、しは……」

 

 最後は泣き声で言葉にならなかった。お母さんもこんなに苦しい気持ちを抱え込んで生きてきたことを、私は露ほども知らなかった。

 

「あたしはお母さんのこと好きだよ。わたしを産もうと頑張ってくれた。お腹の中にいた頃いっぱい愛してくれた。だからね、いまも好きでいてほしいんだ」

 

 瑠香はお母さんを抱きしめる。幽霊なので形だけではあるが、お母さんは涙をたくさん流して瑠香の背中をあたりを撫でていた。

 

 ぎゅるるる……。


 明らかに場違いな音が鳴った。

 そう私のお腹の音だ。


 ドアを少し開けていたことで二人にも聞こえたようで、気まずくなる。

 

 一瞬静かになる空間。その後、二人して笑い出したのだった。


 ――――――――――

  

「つまり……料理が食べられるのね?」

 

「うん!お母さんの作るごはん食べてみたかったんだ!」

 

「よーしわかったわ。今日は全力で作っちゃうわよ」

 

 いつにもましてやる気を出し、そんなことを言い出すお母さん。


 先程のしんみりした空気感はどこへやら、愉快な会話を繰り広げる親子がそこにはいた。

 

 さっきが初対面のはずなのに、既に家族の絆が生まれている。瑠香の明るい性格のおかげかもしれない。

 

 瑠香はお母さんが料理を作るところを眺めていた。お母さんは料理を美味しく作るコツを伝授したりしている。

 

 玄関からガチャリと音がした。お父さんが仕事から帰って来たようだ。

 

 部屋のドアを開けたお父さんは目を真ん丸とさせ、

 

「えーと、一体何がどうなってるんだ?」

 

 と、困り顔を浮かべた。


 今晩の食卓にはオムライスとコンソメスープ、ほうれん草のおひたしが並んでいた。

 

 瑠香はケチャップを持ち、四つのオムライスそれぞれに何か描いていた。

 

 ちなみに足りない椅子は他の部屋から持ってきた。

 

 いつもは三人で食べている夕食の席に四人いるというのはなんだか不思議な感じだ。

 

 全員席に着き、いただきますと食べ始める。


 お母さんの料理は、気合を入れていたからか普段より美味しく感じる。


 瑠香は隣でとろけそうな顔をしていた。

 

「お母さん、このオムライスすっごく美味しい!」

 

「嬉しいわぁ。頑張って作った甲斐があるわね」

 

「スープもほうれん草のおひたしもおいひー」

 

 和やかな食事の時間。


 この夢のような光景は、有り得たかもしれない家族の姿でもあった。


 しかし瑠香はもう生きていない。


 一時的に幽霊としてこの世に留まってはいるが、心残りがなくなった今、いついなくなるかはわからない。

 

 だからこの食事が最初で最後かもしれないのだ。

 

 でもしんみりした空気感は漂っていなかった。

 誰もが気付いているはずなのに。

 

 きっと瑠香の為なのだろう。


 一度きりしかない楽しい食卓を味わってほしいとみんな思っているのかもしれない。

 

「いやー、僕の知らない間に色んなことがあったようで。この目で見ているのにまだ信じきれないよ」

 

 騒動が終わってから来たお父さんには、何があったのかを洗いざらい話した。


 お父さんはお母さんがずっと瑠香のことを忘れようとしていたことを知っていた。お母さんに苦しんでほしくない、その一心で協力していたようだ。


 ただ同時に瑠香に対して申し訳無さも感じていたようで、後ろめたさを抱えながら生きてきたと言っていた。

 

 お父さんもお母さんも多くの苦悩を抱えてきた。幽霊となり、この世に残り続けた瑠香も。

 

「お姉ちゃん、どしたのー?」

 

「あーいや。なんでもないなんでもない」

 

 声をかけられて反応に手間取った。


 心を見透かされていないか不安になったが、瑠香は眼の前の料理に夢中なようだ。

 

 こんな考え事している場合じゃない。今しかない時間を楽しまなきゃ。思考を振り切り、頭を切り替える。

 

 それから食事が終わるまでの間、瑠香を中心に話が盛り上がった。


 私と瑠香でゲームをしていた話もした。


 お父さんには通りで最近二階が騒がしいと思ったなんて言われてしまった。どうやら下まで響いていたらしい。少し反省した。


 ――――――――――

  

 夕食を食べ終わり、二人して二階の部屋に戻る。

 

 私はベッドへ、瑠香は机の前に座り寛ぎ始める。瑠香はお腹いっぱいのようで腹部をポンポンと叩いていた。

 

 しかしその手を突然やめるとこちらに視線を向けた。そして座り方を正す。

 

 いきなり空気感が変わり、焦り出す。

 

 私も瑠香へと向き合い、視線で話を始めるよう促す。

 

 「お姉ちゃん、いままでありがとう」

 

 にっこりと微笑んだ瑠香の顔。


 何の心残りもないその顔を見れば、私はこれがどういった話なのか想像がついた。

 

 「お姉ちゃんはこの先の人生長いから色々あると思う。楽しい事だけじゃなく辛いことも。でも頑張ってほしい。それで最期まで生きたら、天国で聞かせてほしいな。色んなお話」

 

 「うん」

 

 瑠香の体が薄くなっていっていることに気付き、涙ながらに頷いた。

 

「さっきも別れの挨拶したばっかだし、まあこんなもんでいっか。湿っぽいのもあんまり好きじゃないし。それじゃあね、お姉ちゃん。元気に生きてね!」

 

 瑠香の体はどんどん薄くなっていき、しまいには消えていった。

 

 まるでそこにはなにもなかったかのように。


 ――――――――――

   

 次の日友人と直接顔を合わせると謝られた。


 いきなりのことで驚いたが、昨日のメッセージの件だそうだ。穂香にもなにか事情があるかもしれないのに冷たい言い方をしてしまったと。

 

 私は大した事情ではないものの説明をした。


 その話を友人は半信半疑で笑いながら聞いてくれた。

 

「なんか後ろめたいこと隠すために嘘ついてないー? 部屋に突然現れた幽霊が実は妹で、二週間も遊んだとかフィクション感ハンパないんだけれど」

 

「本当だって!本当の本当だから」

 

「まぁでも穂香嘘とかつかないよなぁ……いやでも幽霊ねぇ、うーん」

 

 やっぱり幽霊と遊んだなんて言っても信じてくれる人はなかなかいないだろう。


 でも私は確かに瑠香と過ごしたのだ。


 幽霊になった妹とゲームをしたり、おしゃべりしたりした不思議な二週間は、紛れもなく私にとって最高の思い出だった。


 ――――――――――


 学校から家に帰ってくる。


 玄関のドアを開け、二階への階段をトントンと上っていく。


 今までは瑠香が部屋にいた。

 

 だが、もういない。

 

 寂しさをにじませながら自室のドアノブに手をかける。そして回してドアを開けた。

 

 そこには寝転がった半透明の体が見えた。

 

 驚きに目を細め、一度ごしごしと拭く。


 それでも消えなかった。

 

「おかえり、お姉ちゃん。まだゲームがやりたくて成仏しきれなかった」

 

 てへっと可愛くポーズをとる瑠香。

 

「今度こそ絶対に勝つから!」

 

 そう不敵に微笑んだ。

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部屋に幽霊の女の子がいる件 水面あお @axtuoi

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