俺が思う、堅苦しい小論文を書いてみた。

林先生の言葉に、物を書く人間って本当に嫌な奴だなという言葉がある。

この言葉をみなさんが間に受けるべきではない。

というのも、この言葉はとある講義の一部分を切り取った物で、もちろん実際に口にした時には文脈がある。

それに恐らく、これは小論文に限った事であるように思えるし、私が関わっている作家さんで良い人はたくさんいる。

というか実際に関わっている作家さんで、こいつ嫌な奴だなと思ったことは一度たりとない。


しかし、確かに理屈っぽい小論文を書く人に、俗に言う性格の悪い奴がいるのも確かであると感じる。

そして、ならば私も小論文の作家に向いているのでは、と思ってしまったのだ。私の性格が悪いからである。

今思えば作家に性格の悪い奴がいたとして、では性格の悪い奴が作家に向いているかは別問題であるが、文章を書くのがそこそこ好きで今まで先生から一定の評価を受けていた私はそう思ってしまったのだ。

つまり私は、自分が作家に向いているであろう理由を探していただけなのである。


今までの経験の中で、自分より文章が劣っていると感じる作品を多く見てきた。

明らかにパクリである物、文章構造が変である物、日本語が怪しい物、口語表現が多くあるなどの、日本語の文章として正しくはない作品が、カクヨムには多くある。

それを読んで、せめて文を大衆に公開するならば正しい文章書けるようにしてからでないと恥ずかしくないか?と思うとともに、大して小説作品と呼ばれる物を書いたこともない癖に謎の優越感を感じていたのだ。

私の方が、正しい文章を書けると。

文章には、明確に正しい正しくないがあるため、それを受験勉強で学んできた私にはいささか気になってしまう内容だったのだろう。

今思っても本当に性格の悪いやつである。


だが受験に向け、多くの小論文を書いて読んできた私は、私の性格の悪さと林先生の言う嫌な奴では違いがあることに気づいた。

林先生の嫌な奴というのは、人を見下して他のやつと自分は違うんだ、と言った考え方などが皮肉めいた文章として具現化すると、それらの相乗効果によって、恐ろしく気に触る文になってしまうことで、感じる印象なのだ。

つまり元々の考え方だけでなく、書き方も加わってこういった印象になってしまうのである。


では、私の性格はどのようなものなのか。

自分の自己分析が、主観的な偏見をはらんでしまっていることは留意してもらいたいが、自分の言動から感じるのはあまりにも自己中心的な考え方と欠落した倫理観である。

私の文章は身勝手で傲慢な考え方と、言って良いことと悪いことの区別がついていないような危うさを、論理展開で理屈っぽく取り繕った物なのだ。

あたかも自分の考えが、絶対的で正しいのだと言わんばかりの畳み掛けるような論理は時に他の考えを否定するような攻撃性さえ持ってしまう。そんな文章なのだ。


そんな文章を、誰が読みたいと言うのだろうか。

少なくとも私は読みたいとは思わない。

ある程度の誇張表現や、強い物言いは小論にはつきものだ。

しかし私の文章は、度を超えてしまっている。読む人を不快にさせるだけであろう。


この考えが私の頭によぎった時、私は物書きに向いていないだろうと思った。


今このように言葉を綴っているのは、ただの自己満足と娯楽である。

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