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 真奈美の家に入る前に、もう一度変なところは無いかと全身を確認する巫女さんを置いて、真奈美はいつも通りに「ただいま」と入って行く。玄関ドアの向こうに消えようとしているその背に「ちょっ……待てって」と声を上げて、彼女も中へ足を踏み入れた。

 巫女さんにとってはもう三度目となるが、実体を持って入るのは初めてのことだ。

 久しく感じていなかった『人の目』というものが容赦なく自身へ注がれるのだろうと思うと、彼女は少しげんなりした。いかんせん、霊体となってからの方が長いせいか、実体を持った生き物の事情というものに面倒だと感じてしまう。巫女さんとしては自分はまだ人間寄りの思考を持っていると思っていたが、長い年月を過ごすうちにそういった感情からは離れてしまっていたのだろうかと、自分で自分の考え方に驚いた。

 そうして、自分の思考にどっぷり浸かりそうになった彼女は、ふと目の前に人影が立っていることに気が付いた。俯きがちにしていた顔を上げると、そこには小さな少女がいた。どことなく面差しが真奈美に似ているその少女は、にこにこと人懐っこい笑みを浮かべ、巫女さんを見ている。一瞬面食らった巫女さんだったが、すぐに「ああ、なんだ。霊か」と思い至る。実体を持って見ているせいで、霊か生者か一瞬よく分からなかったのだ。その少女の隣に真奈美の母親らしき女性が近付いてきて、巫女さんへ「あら、あなたが真奈美の新しいお友達? そんなところにいないで、上がっていらっしゃい」と声を掛けた。その声に巫女さんは少女から視線を外して一礼する。その様を少女はあどけなく真似をする。子供が他人の物真似をする時と同じように、ただただ無邪気で害意や悪意は感じられない。玄関脇にあったスリッパ立てからスリッパを一組取り出して、真奈美の母は巫女さんの前に置いてくれた。それに甘えて「お邪魔します」と言いつつ、靴を脱いで上がった。

 リビングに通されると、巫女さんの後を少女霊もついて来る。裸足でぱたぱたと駆け寄り、真奈美の母や真奈美の周りを嬉しそうに行ったり来たりしているところを見ると、巫女さんは微笑ましく思った。おそらくこの世には生まれることができなかった子供なのだろうが、恨むでもなく、悲しむでもなく、ただ大好きな家族と一緒にいたい霊なのだろう。祓う必要は無いと判断している巫女さんは、自分にしか見えない少女霊の動きを楽しみつつ、出されたペットボトル出身の紅茶を一口飲んだ。

 真奈美から巫女さんの事情を説明し、そのまま泊まることになった彼女は、ただ真奈美の母に「大変なのね」と哀れみの目を向けられたことに対して、内心「真奈美はどんな説明をしたんだ」と問い詰めたくなって、ちらと彼女の方を見たが、ぐっと無表情で親指を立てられただけだった。いや、上手く言っといたからじゃなくて、説明して欲しい。そういった意味を込めた目で見つめても、真奈美には上手く伝わらなかった。代わりに首を傾げられただけだった。




 それからは何事も無く夕食を済ませ、久しぶりの入浴をし、気が付くと巫女さんは真奈美の部屋に用意された布団の中で横になっていた。温かい体と布団に危うく微睡みそうになって、はっと我に返ると、がばりと起き上がった。隣のベッドに座ってスマホを弄っている真奈美に声を掛ける。


「なぁ、真奈美」

「――ん? なぁに? 巫女さん」

「お……お前は自分の親に私のことをなんて説明したんだ……?」


 あまりにも真奈美がいつも通りの反応なので、却って巫女さんの方が恐る恐るといった様子で訊くと、真奈美は今思い出したように「ああ」と言って、簡単に告げた。


「お母さんには、ちょっと訳ありの子なのって説明しておいたよ」

「ちょっと……だと?」


 巫女さんはもう一度真奈美の母の様子を思い出してみるが、どう考えても『ちょっと』ではないように思えて仕方ない。まるで信じられないものを見るような目を向けられたのだから、当然だろう。もう少し詳しく教えてくれと彼女が求めると、真奈美は「これは絢が考えたんだけどね」と前置きをしてから説明に入った。

 真奈美の説明を聞き終えた巫女さんは、頭を抱えていた。目頭を指で押さえて項垂れていたかと思うと、大きな溜息を吐いてぼやいた。


「絢のヤツ……もうちょっとマシな理由は無かったのか……?」


 まさか自分が父親は酒に溺れてDVと浮気に走り、母親はネグレクトで家に居場所が無いなんて滅茶苦茶な設定を付けられているなど、巫女さんは思いもしなかった。だから、友人達の家々を転々としており、今日は真奈美の家の番だったなどと説明されれば、あんな態度を取られたのも納得するしかない。だが、一度そういう設定を付けられてしまったのなら、仕方がない。経緯はどうあれ、今後もこのようなことが起こらないとは限らないのだから、動きやすい設定を付けてもらったと考えよう。心底呆れていた巫女さんはそう自分に言い聞かせ、どうにかこうにか自身に飲み込ませるしかなかった。しかし、それとこれとは別だと言わんばかりに頭の中で「明日抗議するか」と切り替えた。彼女の名誉を傷付けた訳ではないが、腹が立つからだ。そんなことより、今はどうやって涼佑を取り返すか考える方が先決だろうと、巫女さんは口を開く。


「――まぁ、それはまぁ、いい。この際」

「良いんだ」

「そんなことよりどうやって涼佑を取り返そうか考える方が大事だからな。なぁ、真奈美。お前もなんか考えてくれ。私だけじゃこの町に詳しくないし、どうにもお手上げだ」

「……今までこんなことは無かったの?」

「前例が無い。そもそも涼佑に関しては、例外だらけだ。従来なら、私は宿主となった人間の身を守る代わりに宿主の体を依代としてこの世に顕現し、霊や妖怪と戦うんだが、あいつはそうじゃない」

「うん、そうみたいね」


 巫女さんが話し始めると、いつの間に持っていたのか、真奈美は授業用のノートを広げて熱心にメモを取っている。普段の授業もそのくらいの熱意を持って臨んでいるのかと余計なことを考えそうになった巫女さんは一旦、「あー……」と言いにくそうにしていたが、もうこの際気にしないようにしようと、再び口を開く。


「あいつは何なんだ。これまでのどの宿主とも根本的に違う。生者でありながら、魂だけを飛ばして他の霊や妖怪の精神に介入するなんて、ただの人間ができる芸当じゃない」

「う〜ん……あるいは、幽体離脱とか、エクトプラズマ、かも」

「幽体離脱は分かるが、エクトなんちゃらってのはなんだ?」

「正式にはエクトプラズムっていうんだけどね。人の口から出てくる霊的エネルギーを物質化させたもののことなの。涼佑くんの持っている力がどういうものなのかは私達は見たこと無いからよく分からないけど、性質はこれらに似てる気がする」

「――なんかあれだな。陰陽師が守護霊を飛ばして攻撃させるのと似てるな」

「陰陽師って、そんなことできるの?」

「ああ。九字切りってあるだろ? あれは自分に憑いてる守護霊に攻撃させて魔を祓うやり方なんだ。修行を積んでないヤツがやるのはおすすめしないがな」

「ああ、それは確かにそうね。無闇に相手を刺激することになるもの。余程、強い守護霊を憑けていないと自分の身を危険に晒すことになるものね」

「……強過ぎるのもどうかとは思うがな」


 真奈美には聞こえないように呟かれた巫女さんの一言は、幸い彼女に拾われることは無く、真奈美はノートのぺーじを捲ると、涼佑を助け出す為の案出しに乗り出すのだった。

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幽霊巫女の噂 れく @rek1011

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