第2話 ヌードデッサン 前編

 とある休日の午後。

 オレ、吉永隆輔よしながりゅうすけは、高校の美術の授業で使っているスケッチブックとデッサン用の鉛筆を持って自室を出た。

 妹にとあるお願いをするためだ。


 自室を出た後はそのまま廊下を進み、妹の部屋の前で立ち止まる。

 そして、コンコンと軽くノックをした。


「……誰?」


 部屋の中から妹の声が聞こえてくる。


「彩実! オレだ! 入っていいか?」

「リュウ兄? いいわよ、入って!」


 入室の許可が出たので、オレはドアを開けて部屋の中に入った。

 その途端、女の子らしいファンシーな空間が視界に飛び込んでくる。

 散らかり放題のオレの部屋とは対照的に、塵ひとつ落ちていない床。ほとんどピンク一色の壁。ベッドや本棚、タンスの上などに所狭しと並べられているたくさんの可愛らしいぬいぐるみ。

 彩実の部屋にはもう何度も入ったことがあるが、いつ見ても女子女子した部屋だなと感じる。

 妹の部屋とはいえ、ついキョロキョロと室内を見回してしまうのだった。


 そんなオレを、彩実が怪訝そうに見つめてくる。


「どうしたの? あたしの部屋に何かあるの?」

「い、いや! 何でもないぞ! いつの間にかぬいぐるみが増えてるな〜と思っただけだ!」


 女の子の部屋に入ってちょっと興奮してましたなんて実の妹に言えるわけがないので、適当にはぐらかすことにした。


「最近ぬいぐるみは増やしてないけど……」

「そ、そうか? じゃあオレの気のせいだったみたいだな! そんなことより彩実! ちょっと頼みがあるんだけどいいかな?」


 室内を見回していた理由をこれ以上追及されたくなかったので、強引に本題に入ろうとする。


「あたしに頼み?」

「あぁ、実はな……」


 オレはそこで一度口を閉じた。

 そして、彩実の顔をじっと見る。ゆったりとしたクリーム色のルームウェアに身を包んだ彩実と目が合った。

 相変わらず可愛い妹だ。兄の贔屓目を差し引いても、彩実は美少女だと思う。

 その美少女に、これからとんでもないお願いをするんだよな……などと考えながらも、オレは再び口を開いて続きを話した。


「……美術の授業で妹のヌードを描くという宿題が出たんだ」

「……は?」


 彩実の思考が停止する。兄が何を言っているのかまったく理解できないという表情だ。

 まぁ、「ヌードを描く宿題が出た」と言われてすぐに理解できないのは仕方ないだろう。

 だからオレは、もう少し詳しく説明することにした。


「昨日の美術の授業で珍しく宿題が出たんだよ。一週間以内に姉か妹のヌードを描いて提出しなきゃならないんだ。……まぁ、姉も妹もいない生徒は母親でもいいみたいだけど」


 そこで一度、言葉を区切る。

 そして一呼吸おいてから話を続けた。


「とにかく女の子の裸を描く必要があるんだ! 美術の先生が言うには裸婦画の練習らしい……だから協力してくれ!」

「ええっ!?」


 ようやくオレの話が理解できたのか、彩実が顔を真っ赤にして大声を上げる。

 オレはそんな妹の両肩を掴み、至近距離で目を見て真剣にお願いした。


「頼む! ヌードデッサンをさせてくれ!」

「そ、そんなこと急に言われても……ヌードってことは下着も脱がなきゃいけないのよね……?」

「もちろん! 一糸まとわぬ姿だ!」

「無理! 絶対無理!」


 彩実が全力で首を横に振る。

 だが、この反応は想定内。

 オレはさらに押してみることにした。


「協力してくれなきゃ宿題が提出できない。そうなれば、美術の成績に関わるだろうな……」

「成績に関わるって……具体的にはどうなるの?」

「そうだな……最悪の場合、単位を落とすかも……」

「そんな……」

「だから彩実! オレの美術の成績のためにも脱いでくれないか?」

「……あたしにしか頼めないの?」

「あぁ、お前にしか頼めない」

「そう……」


 その言葉を最後に彩実は黙りこくってしまった。

 おそらくいろいろと考え事をしているのだろう。

 オレは妹の返事を気長に待つことにした。


 それから十五分は経っただろうか。

 意を決したように彩実は口を開いた。


「…………わかったわよ。ヌードモデル、やってあげる」

「……え? いいのか?」

「あたしにしか頼めないんでしょ? これでリュウ兄が単位落としてもイヤだし……妹として協力しないと……」

「そうか……ありがとう。本当にありがとな、彩実!」


 彩実の手を握り、感謝の気持ちを伝える。


「……じゃあ脱ぐから、ちょっと部屋から出てもらっていい?」

「わかった。脱いだら声かけてくれ」


 そう言って、オレは彩実に背を向けると部屋を出た。

 バタンという音を立ててドアが閉まる。

 扉を背にして立ち、妹の脱衣が終わるのを待ちながら、オレは内心少しだけ焦っていた。


(信じちゃったよ! 冗談のつもりだったのに!!)


 そう――妹のヌードデッサンの宿題が出たという話は真っ赤な嘘なのだ。

 そんな宿題を出す美術教師など、いるわけがない。

 仮にいたとしたら、とっくに懲戒免職になっているだろう。


 だから、今回ばかりはさすがに疑われるかと思っていた。

 しかし、今回も彩実は信じてしまった。相変わらず兄の言葉を疑うという考えはないようだ。……まぁ、そこが可愛いところでもあるのだが。

 

 こうなったらヌードデッサンを思いきり楽しんでしまおう――そんなことを考えていると、部屋の中から声が聞こえてきた。


「リュウ兄……脱いだから、入って……」

「あぁ、わかった……」


 ドアを開き、再び妹の部屋に入室する。

 すると、そこには本当に一糸まとわぬ姿となった彩実が立っていた。

 両手で大事な部分を隠しているが、今の時点ですごく恥ずかしそうだ。

 これから全部見せるというのに大丈夫だろうか……。


「あの……あんまり見ないで……」

「いや、見なきゃ描けないだろ」

「そうだけど……」


 もじもじと体をくねらせ、必死に羞恥を振り払おうとしている様子の彩実。

 そんな妹には少々酷かもしれないが、いつまでもこのままというわけにもいかないのではっきりと要求を伝えることにした。


「じゃあ立ったままでいいから、さっそく後ろで腕を組んでくれ」

「う……やっぱりポーズ取らないとだめ?」

「妹がこんなに頑張ってくれてるからな……このデッサンに妥協はしたくないんだよ」

「…………わかったわ」


 彩実が襲いかかる羞恥に頬を染めながらも、ゆっくりと両手を大事な部分から離す。

 そのまま両手を後ろに回して左手で右の手首をつかみ、そのポーズのまま直立した。

 一点の穢れもない美しい裸体が、オレの目の前で晒された瞬間だった。


 

 

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